パパ・パパゲーノ -43ページ目

結婚式

 十なん年ぶりに結婚式に出席しました。8人いる甥・姪のうちの一人(甥)が、第1番目に結婚しました。義理の甥・姪および自分の息子2人を含むと全部で17人。みんな別々に結婚式を挙げるとすると、あと16回、そういう機会があるはずですが、10回あるのかなあ。結婚年齢が上昇しているらしいですが、自分の親族を見ても十分納得できます。
 
 明治記念館というところでの神前結婚式でした。おごそかなものです。竜笛と筝との伴奏がついて、神官の祝詞が読まれます。祝いの舞は、巫女さんが昭憲皇太后の御詠の朗詠にあわせて、(たぶん)平安時代ふうの振り付けで踊りました。昭憲皇太后という方は、明治天皇のお后ですね。場所柄の選歌ということでしょう。
 
 その日は、同じ場所で、28組もの結婚式があったようです。案内板に名前が列挙されていました。お見かけしたのは花嫁・花婿5、6組ですが、みなさん20代、行っても30代前半という感じでした。甥も27歳寸前ですから、早すぎも遅すぎもしない年齢です。
 
 続く披露宴には、たくさんの若い人たちが出席してくれました。仲人もいない、祝辞も新郎側・新婦側それぞれお一人のみ、あとは、ふたりの赤ん坊のころからの写真映写ぐらい、歌舞音曲はスピーカーから流れる音楽だけ、いたってシンプルな披露宴でした。お料理はチャイニーズ。これも結構でございました。
 
 「金襴緞子の帯締めながら 花嫁御寮はなぜ泣くのだろ」という歌はまったく似合わない時代になった(すでに相当前からそうですが)と、あらためて感じた次第です。


カメ        カメ        カメ        カメ        カメ

番茶問題

 平松洋子『おとなの味』(平凡社)を読んでいたら、「梅干番茶」というものが出てきました。作者が子どもの頃、大人たちが湯のみの番茶に梅干を放り込み、両手で持ちながらさもおいしそうにすするのを見て、早く大人になってあれをやってみたいと思ったのだそうです。


 自分でできるようになってから、熱々の番茶あるいは煎茶に、梅干を入れて、ふーふー冷まして、まず香りを楽しみながら口に含み、梅干がほとびるころに箸でかきまぜて、果肉と皮とがビラビラになったのを啜りこむのが、なんとも言えずおいしい、と、すぐにもやってみたくなるような筆さばきで書いています。


 さて、ここで言う番茶は、「ほうじ茶」であるのかないのか、それが悩ましいところです。ふつう辞書では(辞書の記述は東京方言が主となる)、まず例外なく、「番茶:二番茶以降の緑茶、品質は煎茶に劣る」と書かれてあります。上等が「玉露」で、中等が「煎茶」、下等が「番茶」という説明です。


 ところが、北海道や東北、北陸地方では、「ほうじ茶」のことを「番茶」と呼ぶことが多い。これはウィキペディアにもあります。私も秋田の生まれなので、「番茶」と言えば、まっすぐ「ほうじ茶」を指しました。普通の家庭で飲む「ほうじ茶」は、二番茶以降の、「品質の劣る」茶葉を焙じて(炒って水分を飛ばす)作ったものだったでしょうから、同じ名前で呼ぶことになるのは自然な成り行きというものです。


 そこで、さきほどの「梅干番茶」です。これは、お茶の苦味が残る「煎茶」系よりも、さっぱりした「ほうじ茶」のほうが旨いような気がするのです。今でもときどきやりますが、子どものころ、ごはんが終わったら、茶碗に白湯をそそぎ、それに梅干(カリカリの梅漬けでしたが)のミジン切りにしたのを入れて飲んだものでした。口がさっぱりするのと、おそらく一種の整腸剤の役目も果たしたものだろうと思います。その記憶があるものだから、「梅干番茶」の「番茶」は「ほうじ茶」であろうと、想像するのですが、煎茶でもやる、と書いてあるので、平松さんのおっしゃる番茶は、「煎茶ほど上等ではない」という意味かもしれません。


お茶        お茶        お茶        お茶        お茶

マッサージ

 高校生後半くらいから重度の肩こりで、背中の痛みも取れません。いつでも「おんぶお化け」を背負っているような按配です。いつの日にか、晴れ晴れとした軽い身体にならないものか、と、あんまり運動もしないのに、夢見ています。あるとき、マッサージをしてくれた(有料)お姉さんから「焼けば直りますよ」と言われて、ハテ、筋肉をどういうふうに焼くのか、一瞬疑問に思ったのですが、そう言いながら含み笑いをしたので分かりました。焼き場に送られれば直る、ということでした。そりゃあ、痛みも凝りもなくなる道理です。
 
 あんま、整体、指圧、鍼、灸、あらゆる治療を受けましたね。あごに皮製の袋のようなものを引っ掛け、それだけを支点にしてぶら下がる、というのもやりました。こわかった。歳をとると、どうしても柔軟性が失われるので、もはや、小学生のころの、一晩眠ればシャッキリもとの体に戻るなどということはありえない。それは分かっているのですが、なんとか、「焼かれる」前に、いくらかでも柔軟性を取り戻したいと、今は、主としてスポーツ・ジムのマッサージをときどき受けています。
 
 大臀筋というのか、お尻の肉を肘で押す治療がありますが、これがときに脂汗が出るほど痛い。股関節まわりの筋肉をこうしてほぐすのだそうです。
 
 経験した方はたくさんいらっしゃると思いますが、施術者との相性というものがありますね。その人に揉んでもらうと、揉み戻しがない、あるいは比較的少ない、人がたしかにいます。


 むかし「ベルギー人は肩が凝らない」という面白い論文を読んだことがありました。いま単行本になっています(飯島英一著)。そういう表現がベルギー(のフランス語だったと思います)にないので、(肩が凝るという)現象はあってもそう知覚していない、という趣旨の文章でした。


パンダ        パンダ        パンダ        パンダ        パンダ

フェデリカ

 『道』や『8 1/2』などで知られる映画監督は、フェデリコ・フェリーニという名前でした。とてつもなく太った、巨乳女がよく出てきて、それが「フェリーニ的世界」の現出などと言われました。ジュリエッタ・マシーナは奥さんなんですね。
 
 フェデリコは男名前ですが、フェデリカとすると女名前になる。6月にローマで泊まったホテルの受付にいた女性がフェデリカという名前でした。こじんまりしたホテルなので、レセプションにいるのは、いつも一人の人だけです。私どもがチェックインした日の当番だったんですね。
 
 部屋番号のついたカード・キーをもらって、部屋に入ったのはいいけれど、狭くてうす暗い。フロントに戻って、「部屋を代えてもらえないか」頼んでみました。部屋が気に染まないときは、荷物をほどく前に、ともかく交渉だけはすることにしています。「もう20ユーロ出したら広い部屋が用意できます」と、フェデリカさんはのたまった。3泊するから60ユーロの出費か、その部屋で我慢するか、とあきらめかけたら、少し考えて、「私にとってはちょっとリスキーだけど、部屋を代えてあげます。でも内緒にしてね」という意味のことをおっしゃって、別の部屋のカード・キーをくれたのでした。おお、なんという幸運、広くて、庭にすぐ出られるテラスまでついた、立派なお部屋でした。
 
 小柄で、おきゃんな感じのフェデリカさんの機転に助けられました。もちろん追加料金なしです。間違えたふりをして、その部屋に代えてくれたらしい。3日目の朝だったか、また当番がまわってきたフェデリカさんに、上乗せになったはずの1日分(ちょっと見栄を張って)を封筒に入れて、「これラブレター」なぞとキザなことを言って渡しました。という話を、東京で会った「ローマからの親戚 」に話したら、「だから日本人観光客の評判がいいのね」と言ってくれました。ホテルの名前を明かしたいのですが、迷惑がかかってもいけないので控えます。


ヒヨコ        ヒヨコ        ヒヨコ        ヒヨコ        ヒヨコ

夢の中へ

 若いころからよく夢を見ました。目覚めても内容を記憶していることが多いので、朝になって、夢の中身の辻褄の合わなさに呆然とすることもしばしばでした。夢を見ているさいちゅうは、リアルな感覚がありますから、怖い夢のときなど、心からおびえていたりします。崖の棚状の場所に下側から上って行かなければ谷底へ落ちてしまう、このタイプの怖い夢を何種類も見ましたね。分析医にかかれば、なにか答えが見つかるのかも知れませんけれど。
 
 まことに、ネルヴァルという詩人の言う通り、「夢は第二の人生である」ようです、私の場合。楽しみも2倍あるのならいいけれど、そう都合よくは運びません。
 
 漱石に「夢十夜」という作品があります。第一夜は「こんな夢を見た。」と始まる。たしかに、夢でしか起きないようなことが書かれています。あっという間に百年が経っていたりする。黒澤明監督にも「こんな夢を見た」とナレーションが入るオムニバス映画(『夢』)がありました。トンネルの中を行軍する軍隊の靴音と、雛人形の装束をまとった公家たちとお姫様・官女たちが桃の花の咲く、ひな壇状の丘に並ぶ様子しか覚えていません。他人の夢の話というのは、聞かされても面白いものではないな、というのが、この二つの作品の感想です。


 将来の願いも「夢」と言いますね。「ぼくの夢は宇宙飛行士になることだ」というふうに。英語のドリームというのも、同じように二つの意味があるようです。「ドリームズ カム トゥルー」というときのドリーム。なぜそうなるのか不思議です。
 
 井上陽水に『夢の中へ』という歌がありました。「夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか ウフッフー」というの。メロディーは好きですが、「俺なんか毎日行ってるけどなあ。そう言われてもなあ」と思ってしまいます。ABBAにも I have a dream という、バラードのきれいな曲があります。
 
 なんだか、夢のようにとりとめもない話になりました。


てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし        てんとうむし