エンゼル・トランペット
何年か前、松本へ行ったときに見つけたアール・ヌーボー風のランプです。何の花をかたどったのか知らずに過ごしたのですが、最近やっと「エンゼル・トランペット
」という花らしいと見当をつけました。
今でも近所に咲いています。花びらが下向きに咲く、大柄な花です。写真をとっていないので、リンクを張っておきます。
この、エンゼル・トランペットという花は、ずいぶん長い間咲いているのですね。毎日、歩いて駅まで向かう道すがら、材木屋さんの庭先で見かけます。ひと月以上も花をつけたままではないかしら。
名前がわかると、不思議なもので、神田神保町界隈でも、何度か見たことがあるのを思い出しました。
きのこそば
この時期になると、「きのこそば」がいろいろな食堂でメニューにのぼります。日本蕎麦屋の「なめこそば」とか、「しめじそば」もうまいけれど、中華そばの「きのこそば」もじつにうまい。
神保町界隈にチャイニーズの名店が多いということを、ずいぶん前に書いたような気がしますが、たとえば、「上海朝市」というお店の「きのこそば」(1000円税込み)に入っている5,6種類のきのこのうち、名前が分かるのは椎茸くらいで、あとは知らないのですが、舌触りがよくて、うまいものです。
「漢陽楼」の「きのこそば」(1155円税込み)には「しめじ」も入っているかな。こちらもおいしいです。
両店とも、基本の味は醤油ベースだと思います。「あんかけ」になっているのも共通します。なんですね、中華そばの味付けには砂糖が欠かせないのかしら、ほのかな甘みが舌に残ります。あと口のよい甘さ。
子どものころ、裏山できのこ取りをよくやりました。最初のひとつを見つけるまでが大変で、ひとつ見つかると、なんだ、そこにもここにもあった! と欣喜雀躍(大げさ)したものです。あみたけ・あわたけの類。味噌汁の具になりました。上等なものではないけれど、なめこと思って食べれば、そんな味がしました。
きのこそばを食べていると、ああ、ことしもきのこ狩りに行かなかった、と残念な気持ちになります。そのたびに、来年こそ、と思い続けて何年も過ぎました。来年こそ!
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タイムズ・ニュー・ローマン
このブログで使用している書体の名前は知りませんが、いわゆるゴチック体の一種です。フォント用語としてはサン・セリフ (sans serif)というものです。サンが「無い」という意味のフランス語で、セリフは文字の頭やしっぽに見える「ひげ」のようなものです。写真で示せないので、リンク先をごらんください。
テレビの字幕(ニュースの見出しなど)も、みんなサン・セリフ体ですね。新聞の本文の書体、雑誌の本文の書体は、大体セリフ付きの書体なのに、なぜ、サン・セリフ書体なのか不思議です。
このブログでは、文字を大きくしたり、斜め にしたり、太くすることはできますが、書体そのものを変えることができません。できるのかもしれませんが、やり方がわかりません。ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。
この書きぶりでお分かりの通り、私は、このサン・セリフ書体というのが好きではありません。
タイトルにある「タイムズ・ニュー・ローマン 」というのは、イギリスの新聞「ザ・タイムズ」が長年使用している書体だそうです。大文字がことの他よいカタチなので、本のタイトル文字に使われることが多い。ローマ字で書かれた、さまざまなロゴにも使用されています。スリッパとか、サプリメントの袋とか、ビルの屋上に張り出した広告塔とか。
漢字の場合、オーソドックスな書体は、明朝体(みんちょうたい)というものです。さっきも言った新聞の本文の書体。パソコンに内臓されたワープロには、あんなにたくさん書体がそろっているのに、こういう場所でそれが使えないのは不便この上ないことです。
どこか、書体の選べるブログ・サイトがあったら、そちらに切り替えます。
そうなっても、私の場合、明朝体とタイムズだけあれば十分なのですけれど。
付記:アップしてみて気がついたけれど、「一」(これは3倍の大きさ)の、最後にちょこっと付いている筆の跳ねのような部分がセリフです。5倍になると消えてしまいますが。
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マグダラのマリア
これは、『懺悔するマグダラのマリア』という、ティツィアーノの絵です。フィレンツェのピッティ宮殿の美術館にあったはずです。同じタイトルの別の絵もあるようで、それはサンクト・ペテルブルクのエルミタージュ美術館にあるようです。そちらは着衣です。
昨日書いた「聖化された娼婦」というのは、具体的イメージとして、この絵のことがありました。実際の娼婦をモデルにしてこの絵を描いたという話ですが、信憑性は疑わしいのだそうです。
ティツィアーノ(1488-1576)は、イタリア・ルネサンスの最盛期の画家です。ヴェネツィア派の親分。ヴェネツィアの教会の内壁に描かれた巨大な宗教画をいくつか見た覚えがあります。そちらは、もちろんこんな官能的な画面のない、聖書から題材をとったらしい絵画でした。
他には、『ウルビーノのヴィーナス』が有名ですが、これは前にここで紹介した記憶があります。去年日本にもやってきました。
今年の6月にフィレンツェに行ったときに、ピッティ宮殿まで出かけはしたのですが、あいにくその日は美術館は休みでした。また、この絵に会えるかと、ひそかに期待していたのでしたが、残念なことをしました。
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マノン・レスコー
マスネーのオペラ『マノン』、プッチーニのオペラ『マノン・レスコー』は、両方ともフランス18世紀の作家、アベ・プレヴォ(1697-1763)の『マノン・レスコー』を原作としています。それは知っていましたが、原作小説をまだ読んでいなかったので、河盛好蔵(かわもり・よしぞう)訳の岩波文庫を読みました。昭和4年に訳したものだそうで(あとで改訳)、文体は古風ですが、それが効果を発揮しています。新潮文庫(青柳瑞穂訳)にも入っています。新書館から石井洋二郎訳でも出ているらしい。
シュヴァリエ・デ・グリユーと呼ばれる、裕福な家の、賢い17歳の青年が、アミアンでの勉学を終えて、生まれ故郷へ帰る日、若い娼婦(だとは明記されていないけれど行間から分かる)に一瞬にして恋に落ちるところから話が始まります。その美少女の名前がマノン・レスコーです。16歳。シュヴァリエというのは、小説の中で、この男を指す名前ですが、両親が早々と「グリユーの騎士(シュヴァリエ)」と名づけてくれた、と最初のほうに出てきます。
マノンは、この青年の求愛を受け入れるのですが、まあ、要するに金のかかる女なのですね、当人はそうも感じてないらしいけれど。シュヴァリエは、父親が死んだら相応の遺産も受け取れるのですが、とりあえず彼女を養うのにさんざんな苦労を強いられます。マノンに3度裏切られても、そのたびに「愛しているのはあなただけ」と泣きつかれると、ゆるしてしまいます。そう告白するときのマノンの心情に偽りはないのです。翻弄が繰り返されたあげく、マノンのほうがフランスにいられなくなって、ヌーヴェ・ロルレアン(ニューオーリーンズ)に流されます。そのころは、ルイジアナはフランスの植民地でした。シュヴァリエも一緒にアメリカに付いていきます。アメリカでも大変な目にあって、ふたりで砂漠へ逃げていく。疲労の末に、途中でマノンが死んでしまう。
「恋よ、恋よ、お前は永久に智慧とは融和しないのだろうか」と、シュヴァリエの操行にあきれた裁判官が嘆くシーンがありました。
知らなかったけれど、マノン・レスコーが「ファム・ファタル
(運命の女)」という主題のはしりなのだそうです。読んでいても憎めない女です、たしかに。もうひとつ、「聖化された娼婦」という人物像も、文学史にたくさん出てきますが、その典型とも読めます。遠くマグダラのマリアに淵源を持つキャラクターなのでしょうね。
映画『情婦マノン』も原作はこの作品だそうです。烏丸せつこ主演の『マノン』も。
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