パパ・パパゲーノ -4ページ目

蕩児帰る

 9月13日、仕事の打ち合わせがあって、ほぼ3週間ぶりに東京に出ました。ことのほか暑い日で、薄い上っ張りを手に持ったリュック姿で、なにはともあれ三省堂書店へ。捜している本は見つからなかったけれど、トム・ロブ・スミスの新作(訳本)『エージェント6(上・下)』(新潮文庫)を目にして、ためらわず買いました。『チャイルド44』『グラーグ57』に続く連作第3作です。


 まだ三〇代前半だそうですが、この作者の物語の構想力には舌を巻くほかありません。新作も、一気に読ませました。


 昼食を和食の「きよし」という店で食べた。「柳カレイ定食」。ここの「鮭塩焼き」がうまい。店の場所は書きません。


 約束の時間まで少し余裕があったので、近くの「錦華公園」の石段に腰掛けて、『エージェント6』を読み進めました。


 打ち合わせが終わって、上着を手に持ったとたん、胸ポケットに入れてあったはずの定期入れが無いことに気がつきました。どこかで落としたに違いありません。


 書店で文庫本を買った際の領収書はその定期入れにはさんだことははっきり覚えているので、落としたのはその後です。歩いた場所を辿り直して捜しましたが見つからなかった。


 救世軍のビルの前に交番があったのを思い出して、「遺失物届け」を出しました。


 二つ折の、胸ポケットに収まる程度の入れ物ですが、届出書に書き出してみると、ずいぶん入っていたのですねえ。


 Suicaカード(朝3000円チャージしたばかり!)、キャッシュカード、クレジットカード、健康保険証、マツモトキヨシのポイントカード、整骨院の診察券、自転車置き場の駐輪券、などです。それに、東京の本屋に出かけるときは少し多めに現金を用意するので、1万円札を2枚はさんでありました。


 いい年をして、よくもこんななくし物をしたものだと、自分の不注意をはげしく悔やみましたが、どうしようもありません。まずクレジット会社に電話して口座を閉じてもらいました。翌日銀行へ行ってキャッシュカードの再発行を依頼。届出印がどれだったか忘れているので、それらしいものを二つ用意して出かけました。一つがヒットしたので二度足を踏まずに済んだ。


 定期入れを財布代わりにしているからいけなかったと気がついたので――などと今ごろ気がついてどうする――、Suicaカードしか入らない、うすーい物に代えました。


 ところがね、奥さん!(というふうに言いたくなります)、きのう、神田警察署から、落し物が見つかりました、と連絡があったのですよ。2万円もちゃんと入っていますよ、ですって。


 錦華公園で、23日に拾われたのだそうです。拾い主は、落とし主に名前も何も知られるのは断るとおっしゃったそうで、受け取りの署名・捺印欄のみ示した用紙に、サインしてきました。「いい人に拾われてよかった」という言い方がありますが、本当にいい人に拾ってもらいました。その方には心の中で手を合わせたことでした。


 10日間も人目につかずに転がっていたことになります。途中台風がありましたから、中身はすっかり濡れていました。


 帰りにお茶の水のディスク・ユニオンに寄って、オペラのDVDでも記念に買おうと思いましたが、すぐその気になるのがいけない、と反省して、カラヤンのシベリウス2番(800円)だけにしておきました。


叫び        叫び        叫び        叫び        叫び



フォロ・ロマーノ

 9月4日の日曜日、ローマの「フォロ・ロマーノ」を外側から見物しました。「あそこに見えるのがシーザーのお墓と言われている場所」、という説明を聞いて、2000年以上も前の都を偲んだことでした。


 当時の建築に使われた大理石の塊(建物の一部)が、ゴロンと転がっていたりするのも、面白い。


 コロッセオからまっすぐ1キロくらい続く道路は、平日は車の往来でごった返すところだそうですが、日曜日は「歩行者天国」になって、車道の真ん中を歩けるのでした。案内してくれたローマ在住の知人(日本人)は、その日は、爪皮のついた下駄を履いていて、古代ローマを髣髴させる町並みを、カランコロンと日本下駄の響きが鳴るのも風情があるものです。


 フォロというイタリア語は、「穴」とか、「フォーラム(公共の広場)」を指すそうです。この場合は後者ですね。


 9日間(8月30日~9月7日)のイタリア滞在でしたが、目いっぱい仕事があって、名所見物はわずかにこの日曜日だけでした。



パパ・パパゲーノ

フォロ・ロマーノ



パパ・パパゲーノ

今も残る古代ローマの石畳



パパ・パパゲーノ

真ん中に見えるのが大理石



パパ・パパゲーノ

ジュリアス・シーザーの銅像





鐘鳴りぬ

 今練習している合唱曲は、多田武彦作曲・三好達治作詞の男声合唱組曲「わがふるき日のうた」という全7曲からなる組曲です。その6番目が次のような歌詞ですが、意味がわかりにくいところがいくつかあります。はじめに、原詩の通り(縦組みを横組みにして)掲げ、次に漢字表記ならこうなるであろうというものを行番号を付して並べます。その際、一種の句またがりになっている箇所には|を入れて前後の区切りにしました。


  鐘鳴りぬ


          作詞:三好達治

 聴け
 鐘鳴りぬ
 聴け
 つねならぬ鐘鳴りいでぬ

 

 かの鐘鳴りぬ
 いざわれはゆかん

 

 おもひまうけぬ日の空に
 ひびきわたらふ鐘の音を
 鶏鳴(けいめい)か五暁かしらず

 

 われはゆかん さあれゆめ
 ゆるがせに聴くべからねば


 われはゆかん
 牧人の鞭にしたがふ仔羊の
 足どりはやく小走りに


 路もなきおどろの野ずゑ
 露じもしげきしののめを
 われはゆかん
 ゆきてふたたび帰りこざらん


 いざさらばうかららつねの
 日のごとくわれをなまちそ
 つねならぬ鐘の音声
 もろともに聴きけんをいざ
 あかぬ日のつひの別れぞ わがふるき日のうた――


 《漢字表記例》


 1 聴け
 2 鐘鳴りぬ
 3 聴け
 4 常ならぬ鐘鳴り出ぬ

 5 かの鐘鳴りぬ
 6 いざ我は行かん

 8 思ひ設けぬ日の空に
 9 響き渡らふ鐘の音を
 10 鶏鳴か五暁か知らず

 11 我は行かん さあれ|ゆめ
 12 揺るがせに聴くべからねば

 13 我は行かん
 14 牧人の鞭に従がふ仔羊の
 15 足どり速く小走りに

 16 路もなきおどろの野末
 17 露霜繁き東雲を
 18 我は行かん
 19 行きて再び帰り来ざらん

 20 いざさらばうから等|常の
 21 日のごとく我をな待ちそ
 22 常ならぬ鐘の音声
 23 諸共に聴きけんを|いざ
 24 飽かぬ日の終の別れぞ わが旧き日の歌――


 分かる限りで語釈をしるします。:の後が現代語訳のつもり。


 2 鐘鳴りぬ:(ほら今)鐘が鳴った
 8 思ひ設けぬ日の空に:予期していなかった日の空に
 10 鶏鳴か五暁か知らず:早朝か夜明け前か分からず
 11-12 :私は行くぞ だからそれはそうとして、決して

      いい加減に聴いてはいけないのに のだから
 16 おどろ(荊棘・藪)の:草木やいばらの乱れ茂る
 17 露霜繁き東雲を:凍った露が霜のようになっている早朝に
 20 うから等:家族の者たちよ
 20-21:毎日そうしていたようには私を待つな
 23 諸共に聴きけんを:一緒に聴いたのだったろうから
 24 飽かぬ日:満ち足りない日


 11-12 行の語釈は自信がありません。「さあれ」は「さはれ」の転じたもののようです。赤字のように訂正しておきます。ただし、未だにこれでいいか否か自信がもてない。(8月23日加筆)

 一番難しいのが 10 行目の「五暁(ごぎょう)」です。司馬遷『史記』の「留侯世家(りゅうこうせいか)第二十五」に記されたエピソードに由来する語句らしい。留侯は張良(ちょうりょう)という名で知られる、漢の高祖・劉邦の家来です。若い頃、「5日めの早朝(五暁)にこの橋の上に来い、教えてやることがある」と老人に言われて、早起きして行ったら、老人はすでにそこにいて、老人を待たせるとは何事だと叱られ、また5日後を指定されて、行ったら先に老人が来ていて、さらに5日後を指定される。今度こそというわけで深夜のうちに橋の上に行って待っていた。老人は「こうでなくてはならん」と言って、太公望の兵法の書物をくれた。なお、『史記』の当該箇所の原文には「五暁」という熟語は出てきません。「五日平明」「五日鶏鳴」とあるのみでした。(8月23日加筆)

 にわか勉強の千鳥足ですから、本当にこれを踏まえた熟語なのかということは確言しかねますが、「夜明け前」という理解でも歌うに差し支えはなさそうなので、とりあえず私はこれで行きます。


 最終行に置かれた、「わがふるき日のうた――」が何を意味するのか、これは分かりません。どなたかご教示ください。


【追記】A先輩から、『大漢和辞典』(諸橋轍次)に「五暁」の見出し語があると教わりました。「寅の刻。五旦。午前四時」と語釈がありました。但し、引用文はありません。大漢和辞典は出典を示すのが原則なのに、それがないのは、日本漢語である可能性が高い。寅の刻=午前四時という書き方も、不定時法の冬の時刻のようです。夏ならば、午前二時頃。ついでながら「鶏鳴」のほうは、「よあけ。あかつき。早朝。午前二時頃」とあります。これには、『史記』から上の一節が引用されています。「鶏鳴か五暁か知らず」は、「早朝なのはたしかだが、何時かは分からない」くらいの意味だと思われます。(11月27日記)




クローバー        クローバー        クローバー        クローバー        クローバー



谷沢永一

 たまたま読んだ一冊がおもしろいと、同じ著者の書いた他の本を手に入るかぎり集めて読むようにしてきました。本好きなら皆そうしているでしょうが。


 とっかかりになる一冊は、別の本を買うために入った本屋で、捜しているのは見つからずとりあえず面白そうだと感じられる本だったり、信頼する読み手の書評(とか紹介)で気になった本だったり、友だちが教えてくれる本だったり、いろいろです。


 一人の作家の本をすべて読め、と言ったのは小林秀雄です。若い頃、小林秀雄の本を読んでも、いっこうに面白いと思わなかったのに、ドストエフスキーを全部読め、という文章に脅されて、それでも、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』まではなんとか読みましたが、『白痴』にいたって挫折しました。今でも、ドストエフスキーと聞くと、読破できなかったことに少し心が痛みます。


 当の小林秀雄全集(新潮社)は、購入すらしなかった。小林が亡くなったときに、谷沢永一先生が、「小林秀雄には私も難儀した」と始まる追悼文をお書きになったのを読んで、胸のつかえがとれた気がしたものでした。


 林達夫著作集の第1巻は「芸術へのチチェローネ」と題されています。「チチェローネ」はイタリア語で「案内人・ガイド」のことのようです。ご自身が万能のチチェローネでもあった、林達夫(1896-1984)の文章も好んで読みました。『歴史の暮方』『共産主義的人間』(いま中公クラシックスというものに一冊になっているようです)などが印象に残っています。おそらく筑摩叢書で出たころ、サワダさんが教えてくださったのではなかったか。


 谷沢永一『本は私にすべてのことを教えてくれた』(PHP)は、読書を通してご自身の人生を振り返った自叙伝と言うべき秀作ですが、谷沢先生こそ、『紙つぶて』(文春文庫、PHP文庫)シリーズなどで、惜しみなくその蓄積を分け与えてくださった、「日本一のチチェローネ」と呼ぶべき方でした。3月8日にお亡くなりになりました。享年八十一。私の小さな書棚の2段ほどに先生の本が並んでいます。

















英国王のスピーチ

 今年のアカデミー賞4部門を受賞した作品。コリン・ファース(『真珠の首飾りの少女』でフェルメールに扮した俳優)が、ジョージ6世にさせられてしまう。「させられて」というのは、ジョージ5世の死後、長子エドワード8世が即位しますが、この王様は、アメリカ人のウォリス・シンプソン夫人(2度の離婚暦がある)と結婚するために退位してしまい(離婚暦のある女性は王の妻になれないそうで)、お鉢が弟のヨーク公にまわってきたからです。


 この弟君は、吃音に悩んでいる。映画で初めて知ったことですがX脚のコンプレックスもあったそうです。


 シンプソン夫人スキャンダルと、ヨーク公の吃音は、英国の大人ならおそらく誰もが知っていることです。


 映画は、吃音矯正のコンサルタント、ライオネル・ローグとヨーク公との対立・緊張・和解・協働をめぐる、すさまじい心理的格闘を中心に展開します。舞台劇を映像にしたかのごとき白熱した台詞のやりとりが圧巻でした。オスカーの脚本賞受賞もうなづけます。


 ライオネルを演じたのが、ジェフリー・ラッシュ(『シャイン』でアカデミー主演男優賞受賞)です。このたびも、助演男優賞にノミネートされていましたが、逃しました。


 ジョージ6世の奥方が、ヘレナ・ボナム・カーター(『眺めのいい部屋』の少女役)。控えめながら着実に夫の支えになっている役を淡々と演じ切りました。二人の間に二人の娘がいます。エリザベスとマーガレット。このエリザベスが現在のイギリス女王ですね。


 ラッシュとカーターふたりの脇役が素晴らしい。もちろん主役のファースの、激情と意気消沈との落差のはげしい性格描写が光りました。


 吃音矯正のレッスンの初めに、本を渡されてここを読みなさいと指示されます。レコードからヘッドホンで音楽が流れ、読んだ言葉が別のレコードに記録される。このときヘッドホンから流れたのが『フィガロの結婚』の序曲。録音されたテキストは、シェイクスピアでした。


To be, or not to be, that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer


 ハムレットの独白です。吃音というのは、激怒したり、歌ったり、独り言を言ったりなどでは出ないもののようです。この台詞の朗読も、つっかえることなく進んでいました。


 1939年、ドイツとの戦争に入ることをラジオで告げる演説が最後に登場します。これがタイトルになった The King's Speech です。格調の高いスピーチの間じゅう、バックに流れた音楽がベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章でした。戦争相手国の大作曲家の荘厳な調べをバックミュージックとして使ったところに興味を惹かれました。おしまいのタイトル・ロールに流れたのがモーツァルトのクラリネット協奏曲の第1楽章。この映画オリジナルの音楽は、ピアノ・ソロの素直な曲が多いように感じました。


 おそるべしイギリスの底力、と言いたくなる傑作です。

グッド!        グッド!        グッド!        グッド!        グッド!