伸びる
ヒトの体の部分で、髪と爪とはモトが一緒だという知識を何かの本で得た覚えがあります。一緒だから、どちらも伸びるという性質がある、という話でした。
馬齢を重ねてつくづく思い知るのは、爪の伸びるのが速いことですね。ついこの間切った爪がもうこんなかよ、と愕然とすることが多い。背中や肩・腕の筋肉が固くなっているので、足の爪を切るのに難渋することさえあります。何ものかがヒタヒタと寄りついてくる気配がします。
同様に、鼻毛・眉毛、耳毛(という単語はないだろうけれど耳の中の毛)も、われがちに伸びてくる気がします。俺は村山富市と血縁関係にあったか、というくらい、眉毛(のそれも白いの)が、他を圧して自己主張したりします。鼻のそれもちょっと油断すると目立ってしまう。
頭髪は、それほど伸びが気になるわけではありませんし、もう一つのヘアも、変化が著しいということはありません。ホルモンが違うのであったかもしれません。
よくまあ伸びるもんだ、いくつになっても初体験というのはあるものだ、と、ヒトの変化というものに驚いているわけです。
体内の現象は見えないから気がつかないだけで、ナニモノかが増殖したり、ドコカで血瘤ができたりしているのかもしれませんが、なーに、知らぬが仏というものです。
明日は姪の結婚式です。身内の祝儀で初めて『秋田長持唄』を歌います。いのちの受け渡しを吟じた、味のある民謡です。心を込めて歌うことにしましょう。
 
         
         
         
        
謝恩会
 美容院の窓に「謝恩会」の文字を見つけたら、お連れ合いが今や「死語」だとおっしゃった、と、@toriihijiri さんがツイートしていました。
 卒業式が近いのですねえ。学校行事と縁が遠のいたので、卒業式・入学式などの季節感は、すっかり忘れてしまいました。
 今では、「仰げば尊し」も「蛍の光」も卒業式では歌わないのでしょうね。
私が中学校を卒業したのは昭和35年だったと思いますが、小学校・中学校ともに、卒業式の歌と言えば校歌のほかには、「仰げば尊し」と「蛍の光」でした。「仰げば尊し」の歌詞は2番まで覚えていたつもりでしたが、いま調べたら2番3番のまぜこぜでした。「身を立て名を上げ やよ励めよ」なんて、立身出世を願う明治時代の空気が色濃く感じられますね。子どもの頃は意味もわからず歌っていました。「今こそ分かれ目」だと思っていたし。係り結びというものを教わったのはいつだったか。
なつかしいので、「蛍の光」(その原曲の詩 Auld Lang Syne とともに)も引用しておきます。こちらの歌詞は、3番4番を見ると、「国防に邁進せよ」というメッセージですね。さすがに戦後の学校では、2番でおしまいにしていました。
仰げば尊し
             文部省唱歌
1
  仰げば尊し わが師の恩
  教えの庭にも はやいくとせ
  おもえばいと疾(と)し このとし月
  今こそわかれめ いざさらば
2
  互いにむつみし 日ごろの恩
  わかるる後にも やよ忘るな
  身をたて名をあげ やよはげめよ
  今こそわかれめ いざさらば
3
  朝ゆうなれにし まなびの窓
  ほたるのともし火 つむ白雪
  忘るるまぞなき ゆくとし月
  今こそわかれめ いざさらば
蛍の光
          作詞 稲垣千頴
1
  ほたるのひかり まどのゆき
  書よむつき日 かさねつつ
  いつしか年も すぎのとを
  あけてぞ けさは わかれゆく。
2
  とまるもゆくも かぎりとて
  かたみにおもう ちよろずの
  こころのはしを ひとことに
  さきくとばかり うたうなり
3
  つくしのきわみ みちのおく
  うみやま とおく へだつとも
  そのまごころは へだてなく
  ひとつにつくせ くにのため
4
  千島のおくも おきなわも
  やしまのうちの まもりなり
  いたらんくにに いさお しく
  つとめよ わがせ つつがなく
Auld Lang Syne
                     Robert Burns
 Should auld acquaintance be forgot,
 And never brought to mind?
 Should auld acquaintance be forgot
 And days of lang syne,
 For auld lang syne, my dear,
 For auld lang syne,
 We'll take a cup o' kindness yet,
 For auld lang syne.
 Auld Lang Syne はスコットランドの言葉で、「古い古い昔」というほどの意味だそうです。このロバート・バーンズの詩は、高校英語の文法の試験に出てきそうです。初めの2行は「旧い知り合いのことをすっかり忘れてしまっていいのだろうか?」というほどの意味だと思います。英語の歌詞を覚えておくと、英語圏の国へ行ってお別れのときにかの地の人々と一緒に歌えるので楽しいよ、と先輩に教わったことがあります。
【追記】被災地での卒業式の放映を見たら、中学校の卒業式でちゃんと「仰げば尊し」を歌っていました。よかったよかった。どこの公立学校でも歌っているのでしょうか?(3月12日)
わがふるき日のうた
12月10日演奏会が終わりました。1ステージだけの出番でしたが、歌い終わって一種の達成感がありました。
三好達治の詩から7編を選んで、多田武彦さんが男声四部合唱に作曲した『わがふるき日のうた』という組曲です。
三好達治は『測量船』という詩集で脚光を浴びた人のようですが、7編の詩のうち4編がこれから採られたものです。Ⅰの「甃(いし)のうへ」という作品は、高校1年のときの国語の教科書劈頭にあったもので、なつかしかった。
甃(いし)のうへ
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
京都あたりの古寺の桜が終わるころの光景を叙したものでしょうが、「をみなご」が出てくるわりには、寂寥感のただよう詩ですね。高校1年のときどんなふうに教わったか記憶から飛んでいますが、抒情歌のような解釈を聞いたような気がします。女の先生でしたが、朗読なさるときに、思い入れたっぷりに読んでいたのは、その声音とともにはっきり覚えています。
Ⅴの「郷愁」という詩も『測量船』から採られたもの。この中の次の一節はかなり有名になったものです。
――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。
 判じ物みたいな詩句ですが、「海」という漢字のつくりの部分に母という字が見える(活字ではテンテンになっていませんが)ということと、フランス語の母にあたる単語 MERE(初めの E にアクセント記号がつく)のアタマの部分が、海 MER と重なる(どちらも発音はメール)ということを言っている。初めて読んだときは、しゃれた文句だと思ったものですが、今読むと「オヤジ・ギャグ」としか感じられませんね。堀口大学だったか、別の偉い詩人がこの一句を激賞したのですね。
多田武彦という作曲家は、日本の詩人の作品に材をとってたくさんの合唱曲を作りました。この『わがふるき日のうた』は、彼の作品のなかでは演奏される機会が多くない曲のようですが、味わい深い佳作だと思います。
指揮者の三澤洋史先生は、高齢者の多い(若い現役の大学生も入っていましたが)合唱団をたくみに導いて、気持ちのいい演奏に仕立ててくださいました。感謝のほかありません。
自転車はどこを走ればいいのか
雨の日でなければ、駅前の本屋には自転車で行きます。
バスや大型トラックの通る広い道路の片側に、比較的幅のある(1.5-2メートルくらい)歩道があります(境界に20センチ高ほどのレンガ状のコンクリが伸びている。ところどころ途切れています)。その歩道を自転車が走ってもいいものだと思い込んでいましたが、走ってはいけないのだそうですね。自動車と同じ道路の左側を走らせるのが規則(道路交通法)らしい。
バスが背後から近づいてくるときは、こわいので、自転車を止めてやりすごします。できるだけ裏道を抜けながら、駅までの5分くらいを行くわけですが、裏道も油断がならない。曲がり角の電柱などに凸面状の鏡が付けてあって(あれをミラーボール*と呼ぶのかなあ)、それを見れば、左折・右折する際に、道が空いているか、人や車がいるか分かるしかけのようですが、運転を習ったことがないので、その存在に気がついたのも、つい2年ほど前のことです。手前と奥の関係だけ逆になっているので、あっちへ曲がるのかと見えた車が、いきなり、目の前に現れたりして、驚かされます。
というわけで、自転車も自動車と同じ法律に従わなければならないことは理解しましたが、危なくて安心できるものではありません。
中学生の頃から、自転車に乗り、高校生のときなど、6キロほどの学校まで毎日自転車通学をしていたのですが、そんな規則はまったく知らずにすぎました。車の数が段違いに少なかったから、知らなくとも実害はなかった、ということでしょう。
車を運転する人たちは、自転車に乗る人の無神経ぶりにイライラするそうですが、無理もないかと同情します。
いつだか、アムステルダムの道路を歩いていて、うしろから大声で注意されたことがあります。知らずに自転車専用道路を歩いていたのでした。
そういえば、カリフォルニアで、貸し自転車を借りて散策したときは、ブレーキのない自転車でした。止める時は逆回しにする。下りの坂道なんか、こわくて押して歩いた覚えがあります。
この、ブレーキなしの自転車(競輪用などはそうなんですってね)で、公道を走るのも、日本では厳禁なのだそうです。
買い物や用足しに便利な自転車なのに、走らせるときはなんだか肩身の狭い思いをさせられています。道路が自動車中心に設計されているからなんでしょうね。若い人が、ケータイとにらめっこしながら自転車を走らせているのを見ると、危険だなあとは思いますけどね。
* 「カーブミラー」と呼ぶものだそうです。inolibro さんが教えてくれました。知らないのは私くらいのものか。
 
         
         
         
        
大噴湯
このところ、毎年正月に、小安(おやす)温泉に行っていますが、名物の「大噴湯」というのを一度も見たことがなかった。ようやく3日前、現場で噴湯のしぶきを浴びてきました。岩肌を伝い降りるお湯が熱いのなんの。
道路から河原まで60メートルの高低差があると、説明板に書いてありましたが、ゆるく長い階段を降りるのにちょっと難儀しました。別口の急な方の階段を登って道路に戻りました。この年になると階段は登るより降りるほうがキツイのですね。
下から見上げる「川原湯橋」のかたちがよい。おお、あの高さから降りたのだ、という達成感があります。何枚か写真をお目にかけますね。
そうだ、デジカメは動画も撮れるのだと気がついて、ムービー仕様にして、湯煙の上がる様子と音を撮影しました。パソコンのボリュームコントロールを上げると、迫力のある噴湯の音が感じられます。天地が寝てしまいました。たて長の画面のまま撮影したからです。静止画のようには右回り90度の回転が利かないのですね。こんど動画をとるときには、横位置にして撮影することにします。
どうしても動画のアップロードができないのであきらめます。(10月22日)
                 橋からの眺め、皆瀬川
                 川原橋を見上げる
                 これが大噴湯


