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仙台市荒浜

先週日曜日、仙台駅の案内所で「海岸に行きたい」と言ったら、係りのお姉さんが「400番のバスで終点まで行って、1キロほど歩くと海岸に出ます。被災地ですから何にもありませんよ」とおっしゃった。30分ほどで「南長沼」に到着。遠方に、一列に植わった松の木々が見えるだけで、あとはまっ平らの地面が広がっているだけでした。10メートルの高さの津波が押し寄せ、海から4キロ奥までの住宅地・田畑が水没したということです。


4階建ての建物が残っていました。市立荒浜小学校。ここに避難して助かった人も多いそうです。


いくつかお墓が建っている墓地がありました。墓石もみな流されたのでしょうが、墓地のそばに、拾い集めて積んである集積場がありました。おそらくそこから、ご自分の家の墓石を見つけて建て直したもののようでした。はげしく傷ついた墓石もそのままに建っていました。



           防潮林の残った松が見える。

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           門柱のみが残ったおうち。

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          お花が飾られた墓石なしのお墓。

          遠方のビルが荒浜小学校。

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          流れてきたよその家の屋根が乗ったままの無人の家。

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手袋を履く

秋田県南、奥羽山脈に位置する小安峡温泉の宿屋「こまくさ」のおかみさんは、横手盆地(湯沢市)をはさんだ対岸(という言い方はおかしいか、向こう側)の出羽丘陵の麓の羽後町からお嫁にきた方です。このあいだ1泊したときに、「手袋を履く」と子どものころから言っていたとおっしゃった。隣の湯沢市ではおそらく全員「手袋をはめる」と言っているはずで、いわゆる標準語でも「はめる」が普通です。羽後町でも一部の地域で「手袋を履く」と言っているのかもしれません。方言の本には、「島」とか「飛び地」のように、ある表現が孤立して存在することがあると記されていることがあります。


俄然、興味を引かれたので、まずネットで調べてみました。「手袋を履く」というのは、北海道全域で言われているらしい。室蘭出身のトヨキさんに会ったときに聞いたら、お母さんに「寒いから手袋を履きなさい」と言われ、自分でもそう言っていたということでした。トヨキさんは昭和39年生まれです。


北海道の方言は、入植した人々の元の方言を残しているのが普通とのことなので、本土内地(これ、北海道風表現)でも、必ずや少なからぬ方言で「履く」を使うのではないか、そこまでは思いついたのですが、ネットではそれ以上調べがつかなかった。


国立国語研究所のホームページには質問を受け付けるサイトがあるので、メールで問い合わせました。後日、山田貞雄という先生が電話で懇切丁寧に教えてくださいました。


山田先生に教えていただいた参考文献を確かめに葛飾区立中央図書館(金町)に寄りました。この図書館はじつに重宝する施設です。区民でなくとも利用できます。


平成4(1992)年から6(1994)年にかけて刊行された『現代日本語方言大辞典』(全8巻+補巻)という膨大な辞典が教えてもらった本でした。


なんと秋田市では「手袋を履く」と言う、と書いてありました。インフォーマント(情報提供者の話し手)は16名で、明治40年代から大正初年代のお生まれの方々。項目「はめる」に注記があって「手袋はハクと言う」となっています。北海道についても同様の注記。今でも、秋田市では「手袋を履く」と言っているか、知り合いがいるので、後ほど聞いてみますね。


他に、「手袋を履く」のは、青森市、八戸市、兵庫県、岡山市、徳島市、香川県など。いずれも、そういう言い方もする、という記述です。


北海道の「手袋を履く」は、秋田市近辺から入植した人々の表現が広まったのかもしれない。面白い展開になってきました。また、何か分かったらご報告しますね。


羽後町の「手袋を履く」は、元の秋田方言を保存してきたものである可能性もあります。探索のヒントを与えてくださったトモコさん、ありがとうございます。



今年読んだ本から

今年読んだ本のうち、記憶に残るもの。コロン(:)のあとは副題。


【四六判】
①池田信夫・與那覇潤『「日本史」の終わり:変わる世界、変われない日本人』(PHP、1600円)
②大鹿靖明『メルトダウン:ドキュメント福島第一原発事故』(講談社、1600円)
③門田隆将『死の淵を見た男:吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP、1700円)
④鳥越輝昭『表象のヴェネツィア:詩と美と悪魔』(春風社、2800円)


【新書】
⑤塚本勝巳『ウナギ 大回遊の謎』(PHPサイエンスワールド、900円)
⑥加藤泰浩『太平洋のレアアース泥が日本を救う』(PHP、780円)
⑦藤堂具紀『最新型ウイルスでがんを滅ぼす』(文春、880円)
⑧有馬哲夫『原発と原爆:「日・米・英」核武装の暗闘』(文春、770円)
⑨菅直人『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎、860円)


【文庫】
⑩ジェフリー・ディーヴァー『追撃の森』(文春、1000円)
⑪ジョン・グリシャム『自白(上・下)』(新潮、各710円)


①は文句なしのナンバーワン。タイトルがミスリーディング(というかペダンチックすぎる)なところで損をしている。連綿と続いてきた日本人論に止めを刺すおもむきがあります。


②と③は、福島原発事故の当事者への綿密な取材で実際に何が起きたかを検証した。③は吉田所長だけでなく、現場で仕事をした無名の作業員たち(と家族)への敬意ある筆致が印象的。⑨は、当事者その人の記録。法律が決めたことで、総理大臣に何ができて何ができないか、キチンと頭に入っているのですね。それでも「要請」によって浜岡原発を止めた。


④は著者久々の単行本。ヴェネツィアの観光名所「ためいきの橋」の名は、バイロンの次の詩句でヨーロッパ全土に広まったのだそうです。


I stood in Venice, on the Bridge of Sighs;

A palace and a prison on each hand:
 

ぼくはヴェネツィアの「ためいきの橋」
のうえに立っていた。宮殿があり
橋の両側が監獄だった


「橋の両側が監獄だった」という訳文になる理由が私にも分かるように書いてあります。本書は、文学研究がそのまま文学的昇華を遂げうることを示した稀有の作品です。


⑤⑥は、日本の将来が明るくなるのはここからだ、という自信に満ちた研究者たちからのメッセージ。⑦もそういう感じがあります。


⑧は、正力松太郎の時代の原発開発の話。最初の原発はイギリス製だった、というのは初めて知りました。


今年読んだミステリーは、⑩⑪のみだった。二つともアタリでした。


ついでながら、評判になった、三浦しをん『舟を編む』(光文社、1575円)という小説を読みましたが、主人公が出版社の社員で辞書編集担当という設定なのに、辞書の原稿を(苦心しながら)書くという、私の経験ではありえないことが記されています。イワナミとかショウガクカンとかの大所では、社員が書くことがあるのかしら、と思ったことでした。映画にもなるようですね。


カメラは目の延長ではなかった

自分で撮影した写真が気に入ったことは数えるほどしかありません。偶然に加勢してもらって、やっとバランスのいい「良い絵」が撮れた、という程度です。要するにセンスがない。


友人が撮影した、ため息が出るほど素敵な写真を見ていて思い当たったことがあります。被写体を選んだ段階で、それをどういう構図に置くか、が決まっているようなのです。フレームがまず意識されているらしい。そんなの当たり前ではないか、と言われそうですが、いま気が付いたんだから仕方がない。


前のブログで、ブラチスラバの風景写真を出して、「写真では実際に見た感激が薄まっている」と書いたのですが、感激のほうは、いわば視界180度から来たものだったのに対して、写真が切り取った空間はせいぜい90度ほどだったのですから、「薄まる」もなにも、比較自体が意味をなさないものでした。広角レンズで撮ればよかった、という問題でもなさそうです。


「わ、きれいだ、写真に撮っておこう」という感覚自体は、普通に持っているつもりですが、カメラを目の延長線上にあるものと見なして、脳内映像を画面に定着させようとしていた、そのことがどうやら間違いらしい。


そうではなくて、被写体が「こう撮られたい」と望んでいるのを汲んで、被写体(人でも花でも景色でも)の発するメッセージを捉えると良い写真が撮れるのではないか。むろん技術的なこともないがしろにはできませんが、これまで見よう見真似でカメラを扱ってきただけだったのを反省して、これからは少し自覚的に写真を撮ろうと思った次第です。いきなりうまくなるはずもありませんけれど。


これがその写真。おゆるしを得て掲載します。



パパ・パパゲーノ

ブラチスラヴァ

ウィーンからバスで1時間、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァを訪ねました。国際バスですがパスポートの提示は求められなかった。東へ60キロ、高速道路を走っていきます。片道6ユーロ。今なら600円!! 信じられない料金でした。ウィーンの3番地下鉄エルドベルク駅の近くに国際バス・ステーションがあります。ブダペストとかミュンヘンなど、遠距離バスの発着は、やや広い駐車場からのようですが、ブラチスラヴァ行き(帰りも)の停留所は、前の通りのバス停でした。


ブラチスラヴァで降りたのは、ゴミゴミした感じのバス停で、一瞬不安になりましたが、歩いて旧市街へ行くと、町並みの綺麗なのにびっくりしました。何人かに聞きながら市のインフォメーションセンターにたどりつき、そこで貰った観光地図を頼りに、小高い山の上にあるブラチスラヴァ城をめざしてゆるやかな上り坂をのぼります。


たくさんの観光客に混じってお城のまわりを散策し、ドナウ川の豊かな流れを見下ろしながら、市街をカメラにおさめました。


この街は、オペラ歌手、ルチア・ポップとエディタ・グルベローヴァを産んだ街です。グルベローヴァの評伝『うぐいすとバラ』(ニール・リショイ著、音楽之友社)には、共産主義時代のこの街から逃げ出したことで、国家反逆罪のような罪に問われたことが書いてあります。恐ろしげなところかもしれないと身構えて行ったのですが、拍子抜けするほど社交的な快活な街のようでした。



          パパ・パパゲーノ-聖マルチン大聖堂、向こうに見えるのはドナウ川


          聖マルチン大聖堂、向こうに見えるのはドナウ川


パパ・パパゲーノ


           中央広場、正面の建物は旧市庁舎、

           右側の建物に日本大使館がある(った)らしい

パパ・パパゲーノ


          王宮から旧市街をのぞむ。

          写真では、目に映った感激が薄まっています


パパ・パパゲーノ


           スロヴァキア国立劇場の前で。

           このオペラハウスでもグルベローヴァはトップスターだった。



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