未曾有
11日には、たまたま仕事の手伝いに、御茶ノ水駅近くのビル6階に行って地震に遭遇しました。「あ、地震だ」と気がついてから、揺れが収まるまでの時間が長かった。のみならず振動がどんどん大きくなりました。これまで経験したどの地震とも違いました。
幸い新築のビルなので、つぶれることはないだろうとそこは楽観していましたが、非常階段のドアを開けて、押さえながら、上の階へ昇る階段を支える鉄骨が左右に揺れるのを恐怖しながら見ていました。記憶が混乱しました。鉄骨を見たのは、1時間後の余震(揺れも時間も1番目と同じくらい)のとき。
揺れが収まってから必要最小限の連絡先に電話をしましたが、通じなかった。ケータイも電話は通じません。のちにケータイのメールはつながることが分かって少し落ち着きました。
パソコンのメール、ツイッターのやりとりなどは、普段と同じように機能しました。「つながる」ことのありがたさを実感しました。
結局、その社屋で一晩過ごし、翌日、普段は1時間かかるところを3時間くらいかかって、昼過ぎに自宅に戻りました。おかげさまで、家族とはすべて(直接・間接)連絡がつきました。
日が暮れてからだったか、ツイッター上で、都内の施設を休憩所として開放するニュースが流れました。明治大学(神田)、立教大学(池袋)、文化服装学院(新宿)、東京文化会館(上野)などです。そこで朝まで待機した人も多かったようです。
「停電でテレビが写らないので、自分の街がどうなっているのかがわからない。ネットで知らせてください」という仙台の人からのツイートに心が痛みました。あらゆるツールを使って情報を届ける必要があります。
津波は、逃げる余裕がないほどの速さで海岸を襲ったのでしょうか? 安否不明の人数が多すぎるのが心配です。
![]()
電子ブック
今日の朝日新聞に、ハーバード大学ロバート・ダーントン教授に聞くというインタビュー記事がありました。電子書籍と紙の本とは共存する、という趣旨の話。その中で注目した発言がこれです。
《18世紀のパリの歌について本を書いた時、友人に歌ってもらい、ネットで公開した。電子書籍ではこうしたことが容易で、多くの学者が同様のことをしている。読者も本に対して受身でなくなる》
まだ iPad も Kindle も持っていないので、電子ブックの使い方を知りません。アイパッドは、アップルの売店などでちょっとだけさわってみたことがあります。ソニー・リーダーもビックカメラでのぞいてみました。買って買えないこともないけれど、こういう機械で本を読む、という感覚になじめなくて、購入をためらっているのです。友人の iPhone には、泉鏡花の作品集が入っていてルビまで付いているのを見せてもらったこともあります。
ダーントン教授の言葉に反応したのは、そうか、こういうものなら電子ブックで読んでみたいと思える本があることに気が付いたからです。
ずっと前から、NHKの語学番組でなぜ「音声学」の授業がないのか不思議に思ってきました。視聴者が少ないだろうという予想はつきますが、テレビの番組で、生徒と先生が一緒になって稽古する、ピアノのレッスンのような方式で音声学の授業をやってくれたら、ぜひ勉強し直してみたい、と思い続けていました。
服部四郎『音声学:カセットテープ、同テキスト付』(岩波書店、1984)という、立派な教科書があります。カセットテープの音声は、服部先生ご自身が吹き込んだもので、資料としても貴重きわまりないものです。M のオトが、有声・無声の順に発音されるのを耳で聞いていると、妙なものですが。
画面を見ながら、クチの形と音声を一緒に覚えられたら、さぞや素敵だろうと考えていたのです。電子ブックではそれも実現しそうです。
夢はさらに広がります。西洋音楽史、日本民謡大系、などなど、音が入っていれば理解がうんと深まる分野も電子ブックで読める時代がやってきたということです。もちろん動画も入れられるはずですから、「ヴェルディ・オペラの見どころ」などというのも可能ですね。
初めから動画・音声込みで企画を立てて、電子ブックを作るということをしたら、おもしろい本がたくさんできるはずです。私が思いつきそうなことですから、もう、各社で着手しているでしょうけれど。「シルクロード美女紀行」(文・椎名誠)なんていう電子ブックが売り出されたら飛びつきますね。
著作権という難儀なハードルをどう乗り越えるかが大問題だということは理解しています。法律の方を変えるしかありません。
![]()
映画「インセプション」と夢
レオナルド・ディカプリオが主演した映画『インセプション』は、タイムトリップの手法を、睡眠時の夢に取り入れたものでした。もう街の貸しビデオ屋(貸しDVD屋という言葉はまだ定着していませんね)に出ているようです。
筋を追いかけていると、途中で混乱する仕掛けになっています。話の展開を主人公側に近づけるために、途中で夢を見直すシーンが何度か出てきます。もどかしい説明ですみません。ストーリー展開はスピード感あふれるものですから、ごらんになってソンということはありません。
夢を見ている間は、夢で展開する事態は「リアル」そのものです。怖ければドキドキするし、悲しければ涙があふれるし。「インセプション」は、数人の夢を組み合わせてオハナシができていました。新機軸というべきでしょう。
もう一本『シャッターアイランド』という映画も、ディカプリオが主演でした。こちらは、脳内のリアリティが現実を作り出す、という凝った仕掛けの映画です。観客が置いてきぼりにならないように、ヒントは小出しに出されているようでしたが、私の場合は、あれよあれよという間に、最後まで引っ張られてしまいました。
仮想と現実をないまぜにした世界をスクリーン上に繰り広げられるのが映画のよいところですが、すべてが成功するとは限りません。ユマ・サーマン主演の『ダイアナの選択』という作品も、同じような仕掛けでした。これはよくできた作品でした。
寝ていて見た夢を比較的覚えているほうです。ものすごく綺麗な、聞いたことのないメロディーが聞こえたことがあって、目覚めた瞬間、思い出そうとしてスッと消えてしまったのは悔しかった。
使い方のわからないケータイ電話で知人に電話をかけなければならないのに、どうしようもできなくて、地団太を踏んでいる途中で目が覚めました。今朝のことです。
![]()
ヒアルロン酸の注射
とっくに50歳を過ぎ、もうすぐ「アラコ」(アラウンド古稀、まだ見たことないな、この表記)だというのに、左肩が、上げる角度によって「五十肩」のときのように、やや激痛が走るようになって3カ月くらいたちます。首からかぶる式のシャツやセーターを脱ぐのに、小学生がやるように、ネックの部分を両手でつまんで、上に引っ張り上げています。
そこへ今度は昨日、階段の曲がり角で左足の拇指の外側をぶつけて、そこも痛くなりました。
整形外科の病院でレントゲンを撮ってもらったら、肩は「肩関節周囲炎」で、足は骨に「ヒビができた」という診たてでした。右手の親指の付け根の骨の関節も、磨耗していると、11月頃、別の病院で診断が下っています。
肩には、ヒアルロン酸の注射をしました。筋肉注射というものだろうと思います。炎症が治まるためには、1週間おきに5回ほど注射を続けなければならない。左足はテーピングで固定されました。
気分は満身創痍ですが、歩くのも動くのも寝るのも不自由しませんから、軽症でとどまっているということのようです。
ヒアルロン酸は、骨と骨とのクッションの役目をする「関節液」の主成分なのだそうですね。それを配合したことを謳う化粧品は家の鏡台の手前にもありました。
これが直ったら、スクワットや腕立て伏せをやらなきゃいけない、と思っています。
![]()
高峰秀子『わたしの渡世日記』
高峰秀子『わたしの渡世日記』(上下、文春文庫)を、帰省する新幹線で読み始め、秋田の小安(おやす)温泉の「こまくさ 」で読了しました。1924年生まれの高峰さんが、52歳のとき、『週刊朝日』に連載したもので、連載中に読んだ覚えがありますが、通して読んだのは初めてです。
圧倒されるのはその「渡世」のすさまじさです。それでも、「オブラートに包んで」あると書いています。実父の妹である叔母に育てられたそうですが、この母と娘の葛藤が全編を貫く綴じ糸になっています。
それにしても文章の簡潔で的確なことには舌を巻きました。筆の立つ女優というのではありません。単に文章家と呼ぶしかないものです。
これを発表した頃には、有吉佐和子も向田邦子も現役パリパリで活躍中だったのですが、怖い競争相手がいきなり現れたと、内心敵愾心を燃やしたに違いありません。
多忙と非道な仕打ちから逃れるために、パリに半年「留学」したことが書いてあります。なんと、渡辺一夫先生が3年下宿したアパートに、渡辺先生の紹介で宿泊したのだそうです。そのことを綴る文章は、スターではない、「タダの人」になれた喜びに満ち溢れたものです。
物語は、木下恵介監督の下で助監督を務めていた松山善三氏と結婚するところで終わっていますが、いつも「今が一番幸せだ」と言ってはばからない結婚生活であったことは、ところどころに出て来る、松山氏とのエピソードからうかがえます。
《私の母は、今年七十四歳である。》と書き出された、この長編自伝は、病気で脳を冒された母に触れ、《母が言うように、彼女の年齢が「七十万年」だとすれば、娘の私の年はさしずめ「五十万年」というところか。長い間のつきあいである。そして、まだまだ続く「母と娘」の縁である。》と結ばれます。そうして、結末のセンテンスがこうです。
《私の口の中に、まだ「親知らず」は生えていない。》
![]()