Autumn in Rome
11月9日から16日までローマに滞在しました。講演会の録音係りの仕事で行ったので、観光も買い物もできなかった。
わずかな空き時間を使って、ローマの「親戚」 の娘達と遊んできました。別の日、2時間ほどの間に、サンピエトロ大聖堂(ヴァチカンの聖堂)を訪ねたら、中に入る行列が3千人ほども並んでいるので、あきらめて、歩いていけるサンタンジェロ城の中に初めて入りました。8ユーロ。サンタンジェロ城のかなり上から、サンピエトロ寺院がのぞめます。
サンタンジェロ城と言えば、『トスカ』の舞台です。カヴァラドッシが幽閉されていた牢獄のようなところもありました。トスカはどこから身を投げたのかなどと想像してみたり。
いろいろな店でスパゲッティを食べてみましたが、なんだか東京のお店のほうがうまいような気がします。ローマの東郊外、車で1時間ほどのところにあるロヴィアーノという街にも行きました。そこのパスタはおいしかった。カエルをいためた前菜も出ました。人生2度目のカエルですが、やや鶏肉に似た歯ざわりと味でした。うまかった。
                           サンパオロ大聖堂
サンピエトロ大聖堂
サンタンジェロ城
           サンタンジェロ城から見えるサンピエトロ寺院
 
本の購入いまむかし
本は本屋さんで買う、というのが若い頃からの習慣です。まあ、それ以外に入手方法がなかった。高校生のころ、先生の勧めで村井・メドレーの英作文の練習帳を手に入れたときもオビキュー書店に注文し、1ヶ月後くらいに届いたものです。黄色い表紙の薄い本でした。練習問題が毎ページ(2ページに1問?)にあって、その日本文を書くための表現がいくつか紹介してあるだけで、練習問題の模範解答がないというシロモノでした。「正解というものはない」ということを教わったのが収穫と言うべきでしょうが、自分の書いた英文が通用するのかしないのか、はなはだ心細い気持ちになったのを覚えています。
東京・神田神保町界隈で出版社勤めを続けられたのは、本を買うという点で言えば、宝の山で働いているようなものでした。歩いて数分先に、三省堂書店、東京堂書店、冨山房、書泉グランデなどの新刊書店が軒を連ねているのですから。さらに、小宮山書店、田村書店、大屋書房、八木書店、大雲堂、一誠堂、北沢書店、古賀書店、崇文荘、などなど、古書業界の大どころが居並んでいます。本好きにとっては聖地と呼ぶべき一帯でした。
田村書店でアンドレ・ラランドの哲学辞典を購入したのは1993年2月のことでした。4000円。B5版縦長の1400ページもある辞書です。PUF(フランス大学出版)のもの。大昔、手紙で注文を出し、船便を何ヶ月も待って、しかも目の玉の飛び出るような値段だったころに比べれば、もったいないほどの掘り出し物でした。
これは、偶然目についたから入手できましたが、捜している本が見つからなくてイライすることもあります。古書組合の売りたて目録なども送ってもらっていますが、パラパラめくって面白そうな本を注文することの方が多かった。
捜し物を見つけるのは、いまやネットの独壇場ですね。無いということがわかるのも、ムダが省けて便利です。掘り出し物に当たる面白みが少なくなったということもありますがね。
最近、アマゾンで見つけて、注文を出したら、翌日、なんと岩手県一関市の古本屋さんから宅急便で届きました。『国語学辞典』(1960年の初版本)、送料込みで2800円くらい。届いた荷物をこわごわ開いたら、堅牢な函に入った美本があらわれました。おもわずニンマリしてしまいましたね。
最近は、文庫本の絶版が早いので、うっかり見過ごすと店頭から消えてしまっていることがあります。そういうときも、ネットで購入するのが便利になりました。
 
         
         
         
        
シャガール展と上村松園展
10月5日、東京藝術大学美術館で、「シャガール展」を見ました。1点を除き、パリのポンピドー・センター所蔵作品だそうです。同時代のロシアの前衛作家たち(カンディンスキー、ゴンチャローヴァなど)の作品もありましたが、シャガールのものがほとんどでした。堪能しました。
ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場のこけら落とし公演『魔笛』の舞台美術用原画が大小50点ほども展示されていました。ルチア・ポップ(夜の女王役)やヘルマン・プライ(パパゲーノ)、ヨーゼフ・クリップス(指揮者)たちと一緒にシャガールが舞台に立って、観客の拍手を受けている写真もありました。1967年とあったと思います。
シャガールの絵画は、「イカルスの墜落」のように、タイトルも構図も知っているのはそんなにありません。画集やテレビ番組などで目にしたことのある、なつかしい作品が一堂に会しているのは壮観です。恋した女を奥さんにした、幸せの絶頂だったころの幸福感溢れる絵が素敵でした。その恋女房を亡くしたあとの、後追いするのではないかと思わせるほどの悲壮感ただよう絵にも感動しました。
ナターリア・ゴンチャローヴァという女流画家の絵はこの展覧会で初めて目にしたのですが、20世紀初頭のロシアの画風を代表する人なのだろうと思います。力強い筆捌きが印象的でした。
10月14日、皇居東御苑にある国立近代美術館で「上村松園展」を見てきました。10時半ごろ美術館に到着したら、切符を買う長い行列ができていて、40分待ちということでした。
10代、20代から、60代後半まで描き続けた、美人画をたくさん見ることができました。「新蛍」(「にいぼたる」と読むのでしょうね)というモチーフの、初夏の夕方、庭にたたずむ和服姿の女人を描いた絵がたくさんありました。代表作「序の舞」のような、それ一作でも日本絵画史に残るような傑作が、両手の指で足りないほどあるのですね。「人生の花」「砧」「楊貴妃」などなど。私に好ましかったのは、「鼓の音」という二つの同名の作品。同じポーズで、今しも鼓を打とうとする夫人を、着物と帯の色合いを逆にして描いたものでした。もう一つは、前から好きだった「晴日」という作品。伸子張りをしている若い奥さんを描いたもの。
東京という都会は、こういう展覧会がしょっちゅうあるので、便利この上ありませんね。ありがたいことです。
 
         
         
         
        
小室直樹
小室直樹氏が9月4日に亡くなったという情報は、9月7日ごろネットで飛び交いました。発信元が1ヶ所だったので、間違いかもしれないと、その後は止んでしまい、9月27日ごろ、ようやく新聞に出ました。『週刊新潮』が「墓碑銘」という1ページコラムで追悼の記事を載せたのが目立つくらい。
妙なご縁で、小室さんには彼が35歳のころに会いました。博士論文の口述筆記のアルバイトをしたのです。政治学の論文だったと思います。難しくてよくわかりませんでした。経済学は物理学をモデルにして科学たりえた、同じことが他の社会科学にも適用できるはずだ、と繰り返しおっしゃっていたのを覚えています。
ハーヴァード大学へ留学したときの話も聞きました。ポール・サミュエルソンに習ったということですが、サミュエルソン教授にキャンパスで会うと「ヘイ、ポール!」と声をかけるのだとか。本当かしら、と思ったことでした。ハーヴァード、コロンビア、ダートマス、イエール大学など、アメリカの有力大学で「アイビー・リーグ」という、「六大学」のようなグルーピングがあるのだそうですが、同じ大学で構成される「シークレット・アイビー・リーグ」というものもあり、そこでの武勇伝なども(こっそり)教えてくれました。
アルバイト代は、半分しか払ってくれなかった。「赤貧洗うがごとし」というのは、こういう学者を呼ぶのだろうと思います。10年程前に、岩波書店の近くで見かけたので声をかけたことがありました。何も言ったわけではないのに、「君に返さなくちゃいけないのは覚えてるよ」と、律儀に答えてくれました。結局、未払いは残りました。
晩年にたくさんの啓蒙書を著し、いずれもよく売れたと仄聞します。何冊か私も読みましたが、どうしても「余技」という印象をぬぐえなかった。理論書の大きなものを書きたかっただろうに、と素人目には感じられます。享年七十七。
 
         
         
         
        
リアルタイムのエベレスト
栗城史多(くりき・のぶかず、28歳)という登山家が、いまエベレストの頂上めざして、6000メートルの高さにいるんだそうです。刻々とツイートが送られてくるのを読むことができます。ツイッターをやっている方は、kurikiyama というハンドルネームで検索すれば読めます。
びっくりするのは、ユーストリーム(だと思いますが)のようなもので、つい1時間くらい前の状態を鮮明な実況中継画像で見られることです。(しかも字幕までついてます。)さっきまでのエベレストの真っ青な空が、にわかにガスで白っぽくなったりします。
こないだは、クレバスにアルミ製の梯子を渡して、そこをそろりそろり進む様子を映していました。命綱のロープがあるとはいえ、見ているだけでこちらが震えてきました。
ベースキャンプにスタッフがいて、時間を決めてトランシーバーでさまざまな確認をしている様子も映しています。ツイッターの入力も、栗城さんの指示でスタッフが打っているようです。
現地のガイドもベースキャンプに陣取っていて、雪崩が起きやすいから歩度を速めたほうがいい、というようなアドヴァイスをしています。単独・無酸素登頂を目指しているのだそうです。撮影隊も、後から追いついていくのだろうと思います。登頂シーンが、その何時間か後に、日本でも見ることができるわけです。おそるべき時代が到来しました。
【10月1日:7700m まで進んだが、雪が激しくて下山を決意したそうです。拍手!!】
 
         
         
         
        



