パパ・パパゲーノ -6ページ目

お正月

 昨年11月から続いていた仕事がやっと一段落しました。慣れない主題について調べものをしながら原稿にしていく作業は、当たり前ですが、ものすごく時間を食うものです。今年は、分不相応なことはしないよう心がけるつもりです。


 ブログ復帰の小手だめしに、日頃からちょっと気にかかっていることを並べます。


①初期のウォシュレット形式のトイレは、「洗ってほしいお尻」を洗ったのち、ドライヤーの温風で乾かすものが主流だったと思いますが、最近、これの付いていない便器が多いような気がします。拙宅のものにも付属していますが(14年前購入)、私はまったく使っていません。ついでながら、駅のトイレなどで、うるさい音を出すドライヤーに手をかざしておしまい、というおじさんたちが増えたのではありませんか。もったいないような気がして、私は昔流にハンカチを使います。やってみたこともありますが、スッキリしないので、あらためてハンカチを使いました。


②よその会社の知人の直通電話に電話をすると、先に受話器をとった近くの席の人(大抵は若いご婦人)が、「お名前をいただいてもいいですか?」とおっしゃる。耳が遠くなっているので、「お待ちいただいてもいいですか?」と聞き間違えて、「いいですよ」とトンチンカンな答えをしてしまいました。先に名乗らないこちらも悪いのですけれど。これは、英語の May I have your name, please? と同じ表現法だということに気がつきました。昔風に「どちらさまですか、どちらさまでしょうか」と「言っていただいてもいいですか?」


③1400円くらいの買い物に、1万円札を出して、レジでおつりを渡される際、こちらの目の前にまず8000円分の札をかざして、「まず大きいほうから」と言ってから、5、6、7、8、と数えてくださるやり方は、いつから始まったのでしょうか。レジ係の手元を見ているのだから、そっちで勘定してもいいはずです。コインは数えませんしね。病院で年寄りの患者に子ども言葉で話している看護婦さんがいますが、あれと同じ不快感がちょっとあります。


④看護婦と書いて思い出した。言論統制にかかったように「看護師」とみんな言い出したのもおかしい。「看護士」(こちらは一発で変換)、「看護婦」の上位概念が「看護師」のはずでしょう。近頃は昔の映画の字幕でも看護婦が禁句になったように、書き換えが行われます。


 なんだか、年寄りの小言ばかりになりました。


 明日からちょっとだけ温泉に浸かりに行ってきます。お正月さんがようやく僕のところにもやってきた気分です。


晴れ        晴れ        晴れ        晴れ        晴れ




抗がん剤

 今月号の『文藝春秋』は面白いですよ。近藤誠さんが「抗がん剤は効かない」という画期的な論文を書いています。この方は、慶応の医学部のスタッフですが、未だに講師の肩書きのままです。


 著書の影響力が大きいので、おそらく慶応大学も手に余ると思っているらしいけれど、クビにはできないのかな。


 近藤先生は、世界的に権威のある『ランセット』とか、他の専門誌をとりあげながら、抗がん剤の無効を書いています。


 効くのもあるのだそうですですが、理由が分からない、と書いていました。


 製薬会社と学者との癒着についても触れています。


 とりあえず、私は、癌にかかったら、抗がん剤治療は拒否しようと思いました。


カメ        カメ         カメ        カメ        カメ


なんだか多忙

 今年は6月過ぎから、なんだか忙しくなってしまいました。原稿執筆が重なったのです。身の程知らずでしたが、頼まれた仕事をみな引き受けてしまったからです。終わってしまえば、面白かったと言えますが、やってる当座は後悔していました。


 いま、今年、最後の仕事のさいちゅうです。先が見えないので不安ですが、何とかなるだろう、で乗り切る予定です。


というわけで、ブログが飛び飛びになります。お許しください。


ペンギン       ペンギン       ペンギン       ペンギン       ペンギン



フリーメイソンのハイマート

 ニューヨークのメトロポリタン美術館は、エジプト美術の部門が大きな部分を占めていたと覚えています。見物人は少ないのに、なぜかスペースは大きい。パリのルーブル美術館でも同じように、エジプトの美術が大きな場所を占めていたような記憶があります。


 ヨーロッパは、先史文明に比して遅れて進歩したので、エジプトにコンプレックスがあるのかもしれない、と思ってきました。


 モーツァルトは、最後のオペラ『魔笛』を、イシス・オシリスという、エジプト神話の王と王妃が話題に出てくる作品にしました。タミーノとパミーナが通過する火の通路は、フリーメイソンの儀式をなぞったものなのだそうです。


 エジプトに幾何学が発達したのは、ナイル川の氾濫を予測しなければならない、という農業上の必然性があったからのようです。太陽と地球の位置関係をたえず捕捉しておく必要があった。天体の運行と東西南北の正確な把握がすでにエジプトにあったということが、どうも、西欧のエジプト崇拝の根っこにあるらしい、と最近になって気がつきました。


 ピラミッドを作った石工たちを初め、大工たちは、みな文盲だったので、合図としていろいろな種類の記号が生まれたのだそうです。フリーメイソンの今に伝わる伝達方法を、古代エジプトにまで遡る、と主張するセクトもあるようです。


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ケンケンパ

 サンパオロ大聖堂には、観光客もほとんどいませんでした。雨の日だったせいもあるでしょうが。聖堂の回廊の大理石の床は白と黒のモザイクでした。聖堂の中もそうだったような気がします。


 一緒に行った4歳のお嬢さんが、その白黒を(市松模様というのではなかった)飛び始めました。「ケンケンパ」というやつ。昔、丸を地面に一つ二つ、一つ二つと描いて、片足・両足で飛び進む遊び。子どもはなんでも遊び道具にしてしまいますが、ローマの4大バジリカの一つで、「ケンケンパ」ができる子どもは、そう多くはいませんね。うらやましいと思いました。


 その聖堂の外側には、だだっ広い公園のようなものがありました。なんだか無意味に広い、ブランコくらいしか遊具のない公園。この広場でも、お嬢さんたちは駆けまわっていましたね。


 小学校1年生のお姉ちゃんは、もう、ひとりでブランコがこげるので、ぶるんぶるんやっていました。イタリアの小学校では体育という科目がないんですって。あったらクラスの人気者になるくらい、運動神経がある子ですから惜しい。


 ローマの中心地の広場(ピアッツァ、英語ではスクエア:たくさんあります)にある大きな時計が、みんなと言っていいほど時刻が合っていないのも愛嬌でした。そういうところで、ケンケンパをしながら育つ子どもは、おおらかになるんじゃないかと思ったことでした。


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