小室直樹 | パパ・パパゲーノ

小室直樹

 小室直樹氏が9月4日に亡くなったという情報は、9月7日ごろネットで飛び交いました。発信元が1ヶ所だったので、間違いかもしれないと、その後は止んでしまい、9月27日ごろ、ようやく新聞に出ました。『週刊新潮』が「墓碑銘」という1ページコラムで追悼の記事を載せたのが目立つくらい。


 妙なご縁で、小室さんには彼が35歳のころに会いました。博士論文の口述筆記のアルバイトをしたのです。政治学の論文だったと思います。難しくてよくわかりませんでした。経済学は物理学をモデルにして科学たりえた、同じことが他の社会科学にも適用できるはずだ、と繰り返しおっしゃっていたのを覚えています。


 ハーヴァード大学へ留学したときの話も聞きました。ポール・サミュエルソンに習ったということですが、サミュエルソン教授にキャンパスで会うと「ヘイ、ポール!」と声をかけるのだとか。本当かしら、と思ったことでした。ハーヴァード、コロンビア、ダートマス、イエール大学など、アメリカの有力大学で「アイビー・リーグ」という、「六大学」のようなグルーピングがあるのだそうですが、同じ大学で構成される「シークレット・アイビー・リーグ」というものもあり、そこでの武勇伝なども(こっそり)教えてくれました。


 アルバイト代は、半分しか払ってくれなかった。「赤貧洗うがごとし」というのは、こういう学者を呼ぶのだろうと思います。10年程前に、岩波書店の近くで見かけたので声をかけたことがありました。何も言ったわけではないのに、「君に返さなくちゃいけないのは覚えてるよ」と、律儀に答えてくれました。結局、未払いは残りました。


 晩年にたくさんの啓蒙書を著し、いずれもよく売れたと仄聞します。何冊か私も読みましたが、どうしても「余技」という印象をぬぐえなかった。理論書の大きなものを書きたかっただろうに、と素人目には感じられます。享年七十七。


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