未曾有 | パパ・パパゲーノ

未曾有

 11日には、たまたま仕事の手伝いに、御茶ノ水駅近くのビル6階に行って地震に遭遇しました。「あ、地震だ」と気がついてから、揺れが収まるまでの時間が長かった。のみならず振動がどんどん大きくなりました。これまで経験したどの地震とも違いました。


 幸い新築のビルなので、つぶれることはないだろうとそこは楽観していましたが、非常階段のドアを開けて、押さえながら、上の階へ昇る階段を支える鉄骨が左右に揺れるのを恐怖しながら見ていました。記憶が混乱しました。鉄骨を見たのは、1時間後の余震(揺れも時間も1番目と同じくらい)のとき。


 揺れが収まってから必要最小限の連絡先に電話をしましたが、通じなかった。ケータイも電話は通じません。のちにケータイのメールはつながることが分かって少し落ち着きました。


 パソコンのメール、ツイッターのやりとりなどは、普段と同じように機能しました。「つながる」ことのありがたさを実感しました。


 結局、その社屋で一晩過ごし、翌日、普段は1時間かかるところを3時間くらいかかって、昼過ぎに自宅に戻りました。おかげさまで、家族とはすべて(直接・間接)連絡がつきました。


 日が暮れてからだったか、ツイッター上で、都内の施設を休憩所として開放するニュースが流れました。明治大学(神田)、立教大学(池袋)、文化服装学院(新宿)、東京文化会館(上野)などです。そこで朝まで待機した人も多かったようです。


 「停電でテレビが写らないので、自分の街がどうなっているのかがわからない。ネットで知らせてください」という仙台の人からのツイートに心が痛みました。あらゆるツールを使って情報を届ける必要があります。


 津波は、逃げる余裕がないほどの速さで海岸を襲ったのでしょうか? 安否不明の人数が多すぎるのが心配です。


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