鐘鳴りぬ
今練習している合唱曲は、多田武彦作曲・三好達治作詞の男声合唱組曲「わがふるき日のうた」という全7曲からなる組曲です。その6番目が次のような歌詞ですが、意味がわかりにくいところがいくつかあります。はじめに、原詩の通り(縦組みを横組みにして)掲げ、次に漢字表記ならこうなるであろうというものを行番号を付して並べます。その際、一種の句またがりになっている箇所には|を入れて前後の区切りにしました。
鐘鳴りぬ
作詞:三好達治
聴け
鐘鳴りぬ
聴け
つねならぬ鐘鳴りいでぬ
かの鐘鳴りぬ
いざわれはゆかん
おもひまうけぬ日の空に
ひびきわたらふ鐘の音を
鶏鳴(けいめい)か五暁かしらず
われはゆかん さあれゆめ
ゆるがせに聴くべからねば
われはゆかん
牧人の鞭にしたがふ仔羊の
足どりはやく小走りに
路もなきおどろの野ずゑ
露じもしげきしののめを
われはゆかん
ゆきてふたたび帰りこざらん
いざさらばうかららつねの
日のごとくわれをなまちそ
つねならぬ鐘の音声
もろともに聴きけんをいざ
あかぬ日のつひの別れぞ わがふるき日のうた――
《漢字表記例》
1 聴け
2 鐘鳴りぬ
3 聴け
4 常ならぬ鐘鳴り出ぬ
5 かの鐘鳴りぬ
6 いざ我は行かん
8 思ひ設けぬ日の空に
9 響き渡らふ鐘の音を
10 鶏鳴か五暁か知らず
11 我は行かん さあれ|ゆめ
12 揺るがせに聴くべからねば
13 我は行かん
14 牧人の鞭に従がふ仔羊の
15 足どり速く小走りに
16 路もなきおどろの野末
17 露霜繁き東雲を
18 我は行かん
19 行きて再び帰り来ざらん
20 いざさらばうから等|常の
21 日のごとく我をな待ちそ
22 常ならぬ鐘の音声
23 諸共に聴きけんを|いざ
24 飽かぬ日の終の別れぞ わが旧き日の歌――
分かる限りで語釈をしるします。:の後が現代語訳のつもり。
2 鐘鳴りぬ:(ほら今)鐘が鳴った
8 思ひ設けぬ日の空に:予期していなかった日の空に
10 鶏鳴か五暁か知らず:早朝か夜明け前か分からず
11-12 :私は行くぞ だから、それはそうとして、決して
いい加減に聴いてはいけないのに のだから
16 おどろ(荊棘・藪)の:草木やいばらの乱れ茂る
17 露霜繁き東雲を:凍った露が霜のようになっている早朝に
20 うから等:家族の者たちよ
20-21:毎日そうしていたようには私を待つな
23 諸共に聴きけんを:一緒に聴いたのだったろうから
24 飽かぬ日:満ち足りない日
11-12 行の語釈は自信がありません。「さあれ」は「さはれ」の転じたもののようです。赤字のように訂正しておきます。ただし、未だにこれでいいか否か自信がもてない。(8月23日加筆)
一番難しいのが 10 行目の「五暁(ごぎょう)」です。司馬遷『史記』の「留侯世家(りゅうこうせいか)第二十五」に記されたエピソードに由来する語句らしい。留侯は張良(ちょうりょう)という名で知られる、漢の高祖・劉邦の家来です。若い頃、「5日めの早朝(五暁)にこの橋の上に来い、教えてやることがある」と老人に言われて、早起きして行ったら、老人はすでにそこにいて、老人を待たせるとは何事だと叱られ、また5日後を指定されて、行ったら先に老人が来ていて、さらに5日後を指定される。今度こそというわけで深夜のうちに橋の上に行って待っていた。老人は「こうでなくてはならん」と言って、太公望の兵法の書物をくれた。なお、『史記』の当該箇所の原文には「五暁」という熟語は出てきません。「五日平明」「五日鶏鳴」とあるのみでした。(8月23日加筆)
にわか勉強の千鳥足ですから、本当にこれを踏まえた熟語なのかということは確言しかねますが、「夜明け前」という理解でも歌うに差し支えはなさそうなので、とりあえず私はこれで行きます。
最終行に置かれた、「わがふるき日のうた――」が何を意味するのか、これは分かりません。どなたかご教示ください。
【追記】A先輩から、『大漢和辞典』(諸橋轍次)に「五暁」の見出し語があると教わりました。「寅の刻。五旦。午前四時」と語釈がありました。但し、引用文はありません。大漢和辞典は出典を示すのが原則なのに、それがないのは、日本漢語である可能性が高い。寅の刻=午前四時という書き方も、不定時法の冬の時刻のようです。夏ならば、午前二時頃。ついでながら「鶏鳴」のほうは、「よあけ。あかつき。早朝。午前二時頃」とあります。これには、『史記』から上の一節が引用されています。「鶏鳴か五暁か知らず」は、「早朝なのはたしかだが、何時かは分からない」くらいの意味だと思われます。(11月27日記)
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