パパ・パパゲーノ -34ページ目

地球儀

 若いころ毎晩のように通っていたバーののカウンターに、透明な地球儀が置いてありました。もちろん色つき。海はブルーになっている。ビニール製だったと思います。ママさんに頼むとスイッチを入れてくれて、中の電球が光る仕掛けでした。直径が30センチ以上ある、大ぶりの地球をゆっくり回しながら、ウィスキーを飲むと、ちょっと豊かな気分に浸ることができました。まだ、ソヴィエト連邦があったころの話です。
 
 透明な地球儀は、もちろん今でも見かけます。ネットで検索するといろんな種類のものが出ていますね。そろそろひとつ購入してみようか、と思案中です。
 
 仕事の必要上、地図帳はいつもそばにありました。アルメニアという国はどこにあったか、などというときに調べるのは、中学生用の地図帳で十分ですから、すぐ手の届くところに置いてありました。ドイツのベルテルスマン社の世界地図は、A3版のサイズで昭文社というところから日本語訳が出ていますが、3万円もするものです。600ページのうち3分の1の200ページが索引になっている。詳細をきわめた地図帳です。こういうのは、参考図書として会社に買ってもらいました。
 
 今では、グーグルの地図検索で、たいていの地名はすぐ分かりますし、グーグルアースという、地球をまるごと俯瞰して、さらに細部に入り込んでいけるまことにすぐれたサイトもあります。航空写真をどんどんズームしていくと、なんと我が家の屋根まで見えるくらい、よくできています。ストリートビューというのもあって、通りの写真を360度回転で見ることさえ(部分的ですが)できるようになりました。
 
 このように、便利なツールはいろいろありますが、まわしながら空想旅行が楽しめる地球儀にはかないません。


カメ        カメ        カメ        カメ        カメ

晴れがましい

 作家の井伏鱒二が文化勲章をもらったときのインタビューで、「晴れがましいような気持ちです」と答えてから、辞書を引きなおして、その辞書には出ていなかったけれど、「てれくさいという意味です」と言った、ということを石井英夫さんが書いています(『WiLL』 3月号)
 
 いつも引く『明鏡国語辞典』ではこうなっています。
 
 ①いかにも表立っていて、はなやかであるさま。「婚礼の晴れがましい    場に臨む」②表立っていて、恥ずかしくも名誉に思うさま。世間に対して誇らしく思うさま。「晴れがましい気持ちで旗手を務める」
 
 井伏さんの使い方は、明鏡の②に近いようですが、「誇らしく思う」ところはなかったのかも知れません。「思いがけず表立ってしまったので、それが面はゆい」くらいの意味で使っていると思われます。
 
 この「がまし(い)」は、平安時代からある接尾辞なんですね。名詞に付いたり、動詞の連用形に付いたりして、「…らしい、…のきらいがある、…の傾向がある」など、状態や物に似ていることを表したものです。つまり、「状態そのもの、物それ自体ではない」ところがポイントです。もっとも、「似ている」と言いながら、それ自体の強調である場合もある(明鏡国語辞典はそこを強調していますね)ので、ひと筋縄ではいかないのが言葉の複雑な性質です。
 
 催促がましい   押し付けがましい
 あてつけがましい  いいわけがましい
 差し出がましい   恨みがましい
 未練がましい   烏滸がましい

 
などと並べてみると、「…らしい」と言いながら、かえって強い言い方になることもあるのが分かります。なお、これらの例は『日本語逆引き辞典』(大修館書店)から拾ったものです。こういうときに、威力を発揮する辞書です。


 上掲の、「未練+がましい」のように、一語になってしまった「名詞+がましい」の他に、純然たる名詞に「がましい」を付けて違和感がないケースもあります。
 
 稽古がましい事もやらない
 批評がましい批評も加えない

 
結びが否定文でないとそぐわないかもしれません。


パンダ        パンダ        パンダ        パンダ        パンダ


 

椰子の実

 この有名な歌曲は、作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二です。昭和11(1936)年に発表された歌。その時うたった歌手はなんとあの東海林太郎だそうです。


 名も知らぬ 遠き島より
 流れ寄る 椰子の実一つ
 ふるさとの 岸を離れて
 なれ(汝)はそも 波に幾月
 
 もとの樹は 生いや茂れる
 枝はなお 影をやなせる
 われもまた 渚を枕
 ひとり身の 浮寝の旅ぞ
 
 実をとりて 胸にあつれば
 新たなり 流離の憂い
 海の日の 沈むを見れば
 たぎり落つ 異郷の涙
 
 思いやる 八重の汐々
 いずれの日にか 国に帰らん


 この詩は、たしか、藤村が、柳田國男から聞いた話をもとに作ったものだと、むかし何かで読んだ記憶があります。土佐の浜辺だったかに、当時の日本ではありえない椰子の実が流れ着いていたのを、柳田が、自分で見たか、見た人からの報告を受けたのだったか、それを伝えたものです。


 異郷から長い旅をして、流れついた実に、自身の心境を託して望郷の想いをうたったものでしょう。


 じつは、日本列島には、椰子の実のみならず、他にもいろいろ「流れ寄って」きているのだそうです。その最重要なものが、ヒト(人間)らしい。西から南から、流れ流れて日本に辿り着いたものの、そこから先は広大な太平洋なので、ここで行き止まりという次第です。最近のDNA研究などによると、ほとんどあらゆる人種がこの国土に来着したもののようです。


 「いずれの日にか 国に帰らん」と、藤村は歌いましたが、むかしむかしに辿りついた人々は、帰らずに、定住したのでしょう。いいところに来た、と思ったのですかね。


富士山        富士山        富士山        富士山        富士山



半島

 最近テレビでは漢字クイズが大はやりです。「強か強ち は何と読む?」式の、難度の高い出題もあります。「したたか、あながち」ですね。
 
 それにならって、問題です。「○○半島」の名前をできるだけたくさん書きなさい。
 
 下北半島、男鹿半島、能登半島、三浦半島、伊豆半島……
 
とあげていって、たちまちタネ切れになりました。


 根室半島、知床半島、渡島(おしま)半島、積丹(しゃこたん)半島
 
 北海道だけでもこれだけ半島がありました。まだありますが。
 
 「半島」という単語は、中村正直という人が、
明治時代に、スマイルズの「セルフ・ヘルプ」を、『西国立志編』というタイトルで翻訳したときに、イベリア半島(スペインとポルトガル)のことを指すペニンシュラ(Peninsula)にあてた訳語なのだそうです。insula が「島」で、pen の部分が「ほとんど」という意味だそうです。それで「半分島」→「半島」としたもののようです。
 
 今のわれわれの語感で「半島」と言えば、国語辞典の多くが取り入れているように、
「海に向かって長く突き出した陸地」という語釈がピッタリするのではありませんか? 細長い陸地で、三方が海であるような場合。辞典では、「小さいものは岬・崎・鼻と言う」と注釈してあったりします。岬のでかいのが半島ということになりますか。
 
 ところが、さっきのイベリア半島もそうですが、国が丸ごと入っている半島というのもたくさんあります。スカンジナヴィア半島なんてノルウェー、スウェーデンがすっぽり収まってしまう。朝鮮半島も今はふたつの国です。
 
 ペニンシュラの定義は、「海に突き出した陸地の部分」というものでした。メインランド(本土)があって、その一部が海に出張っているもの。ずいぶん大ざっぱな決め方ですね。
 
 「ヨーロッパの火薬庫」などと呼ばれることのある「バルカン半島」というのは、ギリシャ、ブルガリア、アルバニア、それに旧ユーゴスラヴィア(マケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナなど)を含む広い地域をさします。細長くもないし、突き出してもいないし、本土がどれかも分かりません。(ウィキペディアの
バルカン半島 にリンクを張っておきます。)
 
 じつは、「バルカン半島」というのがどこか、咄嗟には答えられなくて、このたびちょっと調べて見たのでした。これは、その報告です。


宇宙人        宇宙人        宇宙人        宇宙人        宇宙人

乙男(オトメン)

 『明鏡国語辞典』が募集した「もっと明鏡;みんなでつくろう国語辞典」に応募した作品のなかで「大賞」をかちえた言葉のひとつがこれです。リンク先 をごらんになってみてください。


 おとメン 

 乙女心をもっている男。◆男らしさも兼ね備えていなくてはならない。
 
 以下の注記が重要とコメントがついています。
 
 応募してきた高校生が発明した表現かと最初は思ったのですが、どうもそうではないらしい。新しい言い回しが、若者のあいだでたちまち広がって(この表現はマンガから?)、こうしてオジサンが話題にするころには、もう「古い」ということになっているのかもしれません。
 
 言葉遊びの作り方としては、ひとひねりで突き抜けたところが秀逸だと感じました。「乙女」の「女」を「男」に変えただけで、いまどきの男の子のありようをつかんで見せました。
 
 料理や裁縫が好きな男の子というのは、昔からいることはいましたが、「女々しい」という否定的認定が付いてまわりました。晴れて名称がついたのはめでたいことです。
 
 まだ読んでいないので、即断は避けますが、「草食系男子」(森岡正博著『草食系男子の恋愛学』という本が出ているようです)という表現も、オトメンの同類とは言わぬまでも、親戚に当たる表現ではありますまいか。
 
 いのちみぢかし 恋せよオトメン
 
と、舌がもつれそうな語呂合わせが浮かびました。


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