鼻濁音
鼻濁音は「ガ行鼻音」とも言います。ガギグゲゴ、ギャギュギョのそれぞれのオトが、単語の語頭では鼻に抜けるオトではないのに、語中・語尾では鼻音になる現象です。「鼻にかかった音」などとも言われます。
楽器(ガッキ)のガは鼻音ではないが、管楽器(カンガッキ)のガは鼻音になるようなケースです。
この音はいわゆる「共通語」を中心に、日本各地の方言にあらわれます。ラジオやテレビのアナウンサーの発音は、おおむね共通語によっています。共通語のもとになった東京方言の、さらに元の「江戸ことば」にも鼻濁音はあらわれます。だから、古典落語の落語家になるには、この発音ができないといけません。
方言によっては、鼻濁音がまったくあらわれないところもあるようです。個人でも、区別がつかない人がいます。いつも乗る東武バスの、「次は小学校前」などという、録音によるアナウンスでも、「次(ツギ)」の「ギ」は鼻濁音で、「小学校(ショーガッコー)」の「ガ」が濁音というふうになっています。アナウンサー自身が、時に応じて(おそらく無意識に)発音し分けているのでしょう。
赤い字であらわしたのが鼻濁音。カキクケコにパペなどに出る半濁音のマルを付けて表記することもあります。
楽音(ガクオン)→ 音楽(オンガク)
吟行(ギンコー)→ 詩吟(シギン)
軍服(グンプク)→ 海軍(カイグン)
下駄(ゲタ) → 駒下駄(コマゲタ)
五十(ゴジュー)→ 十五夜(ジューゴヤ)
語中・語尾では必ず鼻濁音になるかといえば、そうではない。そうでないほうが多いくらいです。次がそのほんの一例。
ガラス(ガラス)→ 板ガラス(イタガラス)
銀行(ギンコー)→ 日本銀行(ニホンギンコー)
具合(グアイ)→ ふところ具合(フトコログアイ)
玄関(ゲンカン)→ 表玄関(オモテゲンカン)
豪雨(ゴーウ)→ 集中豪雨(シューチューゴーウ)
さらに「連濁」という(清音が、連語になると濁音に変わる)現象もあるので、事柄は厄介になります。
米(コメ)→ もち米(モチゴメ)
桁(ケタ)→ 橋桁(ハシゲタ)
ドン・パスクワーレ
今でも上演されるのは、10曲くらいか。『アンナ・ボレーナ』『ロベルト・デヴェリュー』『マリア・ステュアルダ』のイギリス王朝もの3部作が、最近エディタ・グルベローヴァの精力的な上演で知られます。他にも、エディタのおかげで私が好んで聴くようになった作品に、『連隊の娘』『ランメルモールのルチア』『シャモニーのリンダ』など。『愛の妙薬』という作品はずいぶん人気があります。アンジェラ・ゲオルギウとロベルト・アラーニャの夫婦が主役を歌うDVDも見ましたが、楽しい舞台でした。
去年の暮に近くのショッピング・モールの通路に出ていたワゴンセールで『ドン・パスクワーレ』のDVDを見つけました。うれしくなるような値段の安さについ買ってきました。有名な二重唱「私のところへ帰ってきて愛していると言って」というのは、偶然、アリア集で聞いて知っていましたが、他の部分を通して聴いたのは初めてです。DVDをテレビで流しながら、他の仕事をしていたので、音楽だけを聞いていました。素敵なメロディーが目白押しなのですね。なかんずく、エルネストが歌うアリア「かわいそうなエルネスト」というのが、切ない恋の歌で、これがいいのなんの。聞いているだけで失恋の歌だとわかるくらいでした。フアン・ディエゴ・フローレスという、名前からするとスペインの歌手らしいテノールが歌っていました。
いつものように YouTube を探したら、さっきまで聞いていてちらっと見た、その映像でした。どちらも名曲なので、初めて聞く人のためにふたつともリンクしておきます。
こういうものを聞くと、埋もれてしまった作品にも、すばらしい旋律がたくさんあっただろうに、と思えてなりません。
パイナップル・ライス
アメリカ西海岸、ロサンゼルスのちょっと北(西北)の海岸沿いに、サンタ・バーバラという都市があります。つい先ごろ山火事があったと報道された街だったか。
マイケル・ジャクソンの豪邸があるとか、クリントン家の別荘があるとか、治安がいいので住みやすいという噂の街です。
ここに、英語の音声教材を作る仕事で1週間ほど滞在したことがありました。今から10年以上前のことです。泊ったホテルが、チャップリンが作ったと言われる建物でした。『ライムライト』だったか、床屋のシーンを撮影した部屋が、記念にその当時のまま残っていました。ハリウッドからも近いわけで、チャップリンがガールフレンドと過ごすために作ったホテルだよ、と事情通が教えてくれました。
録音会社のスズキさんは、何度もサンタ・バーバラを訪れたことがあるそうで、車で、遠くのスタジオに連れていってくれたり、夕食時には市内のレストランに案内してくれました。
そのひとつが、「ユア・チョイス(Your Choice)」という名前のタイ料理店です。ここのトムヤムクンはうまかった。それ以上に感嘆したのが、パイナップル・ライスでした。ネットのサイトで調べると、日本にいるタイ人たちの作るパイナップルライスは、パイナップルを縦に割って、果肉をくりぬいたところにごはんを載せています。ところが、アメリカで食べたそれは。1個まるごとにごはんが詰まっているものでした。葉っぱのついた上部で水平に切って、果肉を繰り出し、切り取った方を蓋にしてテーブルに出てきました。1個をスズキさん(成人男性)と分けて食べましたが、あまりの量の多さに、3分の1くらいは残したような気がします。トムヤムクンも1人前頼んで二人で分けました。
鶏肉とキノコと、その他もろもろ入ったまぜごはん。味付けはおそらくニョックマムで付けたような、醤油風。パイナップルの果肉も、一口大に切って入っています。温かくて甘いその実が、ごはんによく合っているのが旨さの秘密のようでした。今まで食べたごはんのなかで、3番以内には確実に入るうまさでした。まだあるだろうか、ユア・チョイス。
![]()
河村重治郎
河村重治郎(かわむら・じゅうじろう:1887-1974)という英語の先生がいました。田島伸悟著『英語名人 河村重治郎』という本が三省堂から1994年に出版されました。今は絶版のようです。一読して、深い感銘にとらえられた記憶があります。
秋田市に明治20年に生まれた人ですが、秋田中学を家庭の都合で中退せざるをえず、検定試験を通って福井中学の英語の先生をしながら、辞書の研究・執筆に没頭します。88歳の生涯を、英語辞書にささげた立派な先生です。戦後、横浜国立大学ができたときに、そこの教授になったようです。
三省堂から初学者向けの親切な辞書『初級クラウン英和辞典』ほかを出版し、同社の英語教科書のシリーズの著者でもありました。
辞書編集者としての河村先生の真骨頂は、『研究社 新英和大辞典』の編集・執筆に発揮されたと思います。いま、同辞典は、第6版が行われていますが、日本の英和辞典の文字通り最高峰の業績です。
河村先生は、この大辞典の第3版から参加なさったようです。私どもが使い始めたころは第4版だったでしょうか。編者として、市河三喜(いちかわ・さんき)東京大学教授、岩崎民平(いわさき・たみへい)東京外国語大学教授、そして河村重治郎の名前が出ていました。大辞典の「序文」に3人の先生がそれぞれ署名入りの記事を書いていました。河村先生のそれは、よく読むと、前2者に対する不平・不満が伝わってくる文章でした。大事業をなすには、何人もの人々の協力が不可欠でしょうが、しばしば、方針の対立が起きるものです。今では、古書店か図書館でしか見ることができませんが、この先生の名前が表紙に出ている大辞典の「序文」だけでもお読みになってみてください。
『英語名人 河村重治郎』というのが絶版なのは惜しい。私の手元にも今はありません。講談社学術文庫あたりで出さないかしら。この本を書いた田島先生は、河村先生が残した学習辞書の改訂版を編集なさった方のようです。
![]()
日本語の難しさ
介護士の手がたりなくて、フィリピンからきた人たちに訓練をして、地方の施設で働いてもらっている、という話をラジオで聞きました。まだまだ足りなくて、インドネシアからも来てもらう話が進んでいるのだそうです。すでに、現場で働いている人ももちろんいるようです。
一番のカベは、やはり日本語だということでした。日本語学校で教わっただけの日本語では、医療的なことも必要な介護には、語彙の量が圧倒的に足りない。いま介護を必要とする老人たちの話し相手になれるためには、「満洲」や「引き揚げ」や「国民学校」などの単語の意味を知らなければならず、「うさぎ追いしかの山」の歌も歌えなければならないのだそうです。外国語として学ぶ日本語の教材に入っていないものが多いので、そこの苦労が大変だという。その上、人体の器官や臓器に関する語彙も、聞いてすぐ分かるのでなければならない。せっかく、日本人の役に立ち、少ないとはいえ定収入が確保できたのに、挫折して別の職業に変らざるをえない人も少なくないのだとか。介護の仕事を外国人にもしてもらわないといけない時代なのですから、なんとかがんばって続けていただきたいと思います。
「一本、二本、三本」とあれば、我々は苦もなく「いっぽん、にほん、さんぼん」と読みますが、覚えるほうにしてみれば、同じ「本」という文字なら「いちほん、にほん、さんほん」にしてもらいたいところでしょう。それが3種類の発音になるのですから、たしかに難しい言葉なのですね。
1から10までの数字は、介護士でなくとも、仕事をするためには最低でも使えなければなりません。 ところが、数字も2通りの読み方があって、なおかつ混ぜて読む場合もあります。次の数字を声に出して読んでみてください。
1・2・3・4・5・6・7・8・9・10
10・9・8・7・6・5・4・3・2・1
1から上がっていくときは、たいていの人は、「いち、にー、さん、しー、ごー、ろく、しち、はち、きゅー、じゅー」と読むはずです。ところが、10から下がるときは、「じゅー、きゅー、はち、なな、ろく、ごー、よん、さん、にー、いち」と、4と7が、行きと帰りとで読み方が違います(なぜ、そうなのかはうまく説明できないのだそうですが)。「よん・なな」は、「ひと(つ)、ふた(つ)、み、よ、いつ、むー、なな、やー、ここの、とー」の、和語の系列です。
「赤穂四十七士」は、(いつかも書いたことがありますが)かならず「しじゅうしちし」と読む。しかし、「四十七歳・四十七人・四十七回・四十七メートル…」などの「四十七」は「よんじゅうなな」と読む場合の方が多いのではないでしょうか。「し」と「しち」とが、音が似てまぎらわしいので、放送などでは「よん・なな」と読むようにしているそうです。数字の読み方ひとつでも、さまざまな許容があるのですから、外国語として日本語を学ぶ人々の苦労は察するに余りあります。
![]()