パパ・パパゲーノ -31ページ目

サイカチ

 テレビから、「サイカチの実を干したもので脂よごれを落とした」という音声が聞こえてきました。サイカチは、私の方言では「シャガジ」(このガは濁音。鼻音にあらず)と言って、子どものママゴトに使うものでしたから、ちょっと驚きました。一緒に見ていた、隣の県の出身者が「食器の油を落とすのに使った」と覚えていましたから、むかしは、洗剤として利用されていたようです。


 ネットで調べてみたら、その通りでした。ウィキペディア にリンクを張っておきますね。利尿剤にもなったようです。


 どんなママゴトかというと、冬、雪のかたまりをしゃもじで叩いておかずのようなものを作るのです。サイカチの莢(さや)――ソラマメの莢くらいの長さで、木になったまま茶色に変色して地面に落ちたもの――を混ぜて、硬くした雪の上でトントン叩くのでした。茶色に着色されて、ねっとりした、見ればうまそうなトロロのようなものができました。この遊びを、「サトペンペン」あるいは「サトピャンピャン」と言いました。


 漬物や、野菜などをスライスすることを、これも私どもの方言で「はやす」と言いました。いつか紹介した『秋田のことば』(無明舎出版)を見ると、「野菜などを切ることをいう」とあって、『万葉集』にも例があるのだそうです。語源は、「お囃子」の「囃す」ではないか、と教えてくれた方がありますが、万葉集にあるとすると、順序は逆なのかもしれません。


 しゃもじで雪を「はやして」、おかずのようなものを作ったというわけです。ついでながら、「しゃもじ」のことは「へ(箆)」と呼びました。いまや秋田の夏の風物詩になったかのような、アイスクリーム(シャーベット)売りのことを「ババヘラ」という、あの「ヘ」です。どういうわけか、「夫より年が上の妻」のことも「へら」と言う。両方とも「」にアクセントがあります。こちらは、語源は見当もつきません。


お茶        お茶        お茶        お茶        お茶

光速と加速度

E=mc2 という公式を見たことはありますね。Eはエネルギー、m は質量、c は光の速さを意味する。すなわち、「エネルギーは、質量と光速の2乗の積である」ということをあらわしている。アインシュタインの相対性原理の数式による表現だそうです。と、言われても、ふつうは理解できません。私にも分かりません。

あるとき、立花隆の文章を読んでいたら、光速は定数(1秒に30万キロメートルという、決まった数値)なので、それの2乗も当然定数である。したがって、「エネルギーは物体の質量に比例する」と理解すればよい、と教えられました。それで分かったような気がしました。つまり、「エネルギーというのは物体の重さによって大きくなったり小さくなったりするもんだ」ということです。

じつは、cの値がものすごく大きいので、この公式の意味するところは、エネルギーと質量とは同じものだ、ということなのだそうです。これも、しかし、はあ、そうですか、と応じるしかありませんけれど。

f = mα というのは、高校の物理の授業で習いました。f は力、m は質量、α は加速度。これも、上の式と同じように理解すればよいもののようです。加速度が定数なので、「力は質量に比例する」ということになる。

ここで、慣れない数式の話をなぜしているかと言うと、比例ということなら中学校で教わっているのですから、物理の授業でも、そう説明してもらえていたら、もう少しそっちの事柄も理解できていたのではないか、というナイモノネダリが頭をもたげてくるからです。立花さんは、もともと理科系志向だったそうですから、そういうことも難なく理解して、どんどん先へ進んで行ったものらしい。そういう方だから、この間ノーベル賞を受賞した益川・小林理論の解説を書けたのでしょうね。こういう人がもっとどんどん出てきてもらいたいものです。若ければ、もう一度勉強して自分で説明してみたいくらいです。




てんとうむし    てんとうむし    てんとうむし    てんとうむし


チェンジリング

 チェンジリングというのは、西洋の民話で、「妖精が、さらった子の代わりに置いていった醜い子」のことを指すのだそうです。日本語の訳語は「取り替え子」です。大江健三郎にこのタイトルの短編があったはずです。


 行方知れずになった息子を取り戻すため、手抜き捜査をしたらしい警察を相手に奮闘する母親をアンジェリーナ・ジョリーが演じます。無理やり精神病院に入院させられたりする。今年のアカデミー賞主演女優賞にノミネートされました。残念ながら、受賞にはいたりませんでしたが。


 1928年だったか、カリフォルニア州で実際に起きた事件を映画化したものだそうです。男の子ばかり20人以上が行方不明になり、残忍な事件の犠牲者になるという、おそろしい話でした。


 警察が「発見」した少年が、行方不明になった息子だと言い張ります。もちろん、母親がそれを承知するわけがない。この子がつまり「チェンジリング」なのですね。


 監督はクリント・イーストウッド。音楽も担当しています。2時間半ほどの長い映画ですが、ミステリーが観客をどんどん先へ引っ張っていくので、長いと感じさせません。後味がいいとは言えませんが、面白い映画ではありました。アンジェリーナの最後のセリフが "hope" (希望)というのが効いていました。


ペンギン        ペンギン        ペンギン        ペンギン       ペンギン

本の処分

 本棚の本が、奥と手前の2段になりだすと、奥にある本はよっぽどのことがないと取り出したりしなくなります。たいていのブックシェルフは、奥行きが割合深く作ってあるので、どうしても2段に置くことになる。狭い家に長く住んだので、やむをえぬ成り行きでありました。


 床に平積みにすることは意識的に避けました。収拾がつかなくなるからです。本が増えてきたころに古本屋さんにきてもらって、まとめて売るということを、何度も繰り返しました。あらかたアルコールに化けましたけれど。買った値段の5%かそれ以下で引き取られていく、自分の本をみるのは切ないものですが、なんでも慣れるもので、そういうものだと覚悟が決まれば、痛みも感じなくなりました。


 本を処分するのは、その道の大家が説くように、古本屋に売るのが一番だと、今でも思います。首都圏の古書店同士の連絡は非常に緊密なようで、どんな書物でも、それを必要とする買い手を顧客として持っている古書店に結局は流れていくようです。自分が手ばなした本を、どこかの古本屋で見つけたことはまずありません。


 本を処分する理由がもうひとつあります。無理をして(見栄を張って)買った全集本などが、読まないまま何年も書棚の一隅を占拠していると、本自体から発せられる圧迫感がときにうっとうしくなる。それを除去したくなるのです。森鴎外の全集などはそうやって我が家から出て行きました。この先、ふたたびページを繰ることはないだろうと処分したものもあります。読みたいときには文庫本を買いなおせばいいや、と思って売り払った全集もあります。


 私がその本を買ったというのも、なにかのご縁があったと思うことにして、今日もまた、書店をめぐっているのです。


てんびん座        てんびん座        てんびん座        てんびん座        てんびん座

ハネムーン・パラリシス

 ハネムーン・パラリシスという優雅な名前の病気(というか症状)になったことがあります。パラリシスというのは麻痺のことですね。ハネムーンは新婚の時期。花嫁を腕枕で寝かせて、手首のあたりが麻痺してしまう症状。日本語の正式名称は「橈骨(とうこつ)神経麻痺」というものです。今から15,6年前。


 どういう症状か。手首(私が経験したのは左)が上向きに上がらなくなります。野球のグローブを手にはめたとしても、ボールをキャッチできなくなりました。ダランと下がったまま。「ドロップ・ハンド」とも言うらしい。ビタミン剤(B)を服用しながら、電気刺激をかけて徐々に機能が回復するのを待つのでした。2ヶ月ほどかかったような記憶があります。その後、もう一度同じ症状に見舞われました。今でも、重い中華鍋を持ち続けていると、手首がグニャッとなって、取り落としそうになります。キャッチボールをするのは不自由しません。しませんが、グローブをはめる機会のほうが無くなりました。


 「橈骨神経」というのは、上腕の裏側(力こぶができるちょうど真裏あたり)で、骨にピッタリくっついているのだそうです。そこを無理に圧迫すると、神経が損傷して、その先のほうが麻痺してしまう。


 新婚でもないのに、なぜそんな病気になったか。酔っ払って電車に乗って寝入ってしまった。一番はじっこの席で、横になった鉄のパイプに腕を乗せて、その上に頭をおいて、50分くらい寝ているあいだに、圧迫されて機能を失ったものでした。飲みすぎると、こういう失敗をやらかします。飲み助の皆さんは気をつけましょうね。


 おそらく男に多い症状だと思いますが、女でも十分起きる可能性はあります。飲んでいなくても、不自然な圧迫を続ければ起きるはずです。


しょぼん        しょぼん        しょぼん        しょぼん        しょぼん