ユマ・サーマン
女優ユマ・サーマン(1970- )は、身長が183センチもあるんですって。北欧生まれのように見えますが、ボストンで生まれたそうです。父親がアマースト大学の仏教学の教授で、家にダライ・ラマが訪れることもあるのだそうです。ユマという名前も、仏教由来の名前だとのことです。ゲイリー・オールドマン(『レオン』の悪徳刑事を演じた俳優)や、イーサン・ホーク(『トレーニング・デイ』のデンゼル・ワシントンの相棒役)の、二人と結婚し、いずれもとも離婚。イーサンとの間に子どもがふたり。
『プロデューサーズ』の、ちょっとおつむの足りなそうな、英語がよく話せない秘書の役が、コミカルで、はまり役に見えました。『パルプ・フィクション』にも出ましたね。
この3月14日に封切られた『ダイアナの選択』というのを見てきました。2007年の制作の作品。今は、哲学教授夫人で、自分も大学で美術史を教える講師をしているのが、ユマ・サーマン演じるダイアナ。娘が一人いて、エマという名前。このエマを演じるガブリエレ・ブレナンという子役が、大人になったらどんなに美人に変貌するか、楽しみな器量よし。ダイアナが高校生のころを演じるエヴァン・レイチェル・ウッドという女優も美形。
コロンバイン高校で銃の乱射事件がおきて、高校生が何人も殺されたことがありましたが、それとそっくりな設定で、高校生たちが銃撃に巻き込まれるところから話が始まります。
仲良しのモーリーンと一緒にトイレにいるときに、外で銃を打つ音が聞こえてくる。今しがた、生物の教師を殺したばかりの、同級生マイケルが、ふたりにライフルを突きつけ、死ぬのはどちらか決めろと無理難題をふっかけ、困惑するシーンが繰り返し出てきます。
現在と過去(15年くらいの差)を目まぐるしく、行ったり来たりする、いわゆる「フラッシュバック」の手法が駆使されます。その手法によって、少しずつミステリーが明らかにされていきます。「そういうことだったのか」というのが、私の場合は、映画館を出て、駅へ向って歩いているときに分かりました。
ユマ・サーマンは、存在感のあるような、欠如しているような、両義的な役を非常に上手に演じています。原題は The Life Before Her Eyes(「彼女の目の前にある人生」という意味でしょう。)
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ユーモア
小林信彦『名人 志ん生、そして志ん朝』という本は、朝日選書で出たときに読んだはずですが、文春文庫の棚で見かけたので再読しました。2007年に文庫に入ったようです。
好きなユーモアの例として、江國滋『続読書日記』のあとがきを引用してあります。
〈読書家でもないくせに「読書日記」とは厚かましい、という風には考えない。〉
と、やや居丈高に出た著者は、さりげなく、次のようにつけ加える。
〈蕎麦屋の娘でもないくせに「更級日記」を名乗った先例もある。〉
江國滋(1934-97)は、エッセイストとして軽妙な文章を発表していました。作家、江國香織さんの父上です。がんで亡くなりました。享年63はいかにも若い。医者に「あなた、タバコをやめないと死にますよ」と言われて、「そうか、タバコをやめると死なないのか」と頭の中で反論したなどと屁理屈を書いたこともあります。
小林信彦のこの本には、「落語・言葉・漱石」という章があり、漱石が作品のなかで、いかに落語を取り入れたかが論じられています。『吾輩は猫である』に、こういう一節があると紹介されています。そういえば、大昔に読んだことがあるのを思い出しました。
〈吾輩〉が惚れている三毛子との会話の中で、三毛子の飼主である二絃琴の師匠のもとの身分は、次のように説明される。
「へえ元は何だったんです」
「何でも天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った先きの御っかさんの甥の娘なんだって」
「何ですって?」
「あの天璋院様の御祐筆の妹の御嫁に行った……」
落語「たらちね」を彷彿させるやりとりです。
副題が「志ん生、そして志ん朝」となっていますが、志ん朝さんが2001年10月1日に亡くなったのを惜しむ、心に沁み入る文章が中心になった本です。友だちが貸してくれた、志ん朝さんの「大工調べ」を聞きながら書きました。噺のテンポのよいことといったらありません。
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ニケとナイキ
ルーブル美術館の展示棟の一つ(3つだか4つだかの建物があって、それぞれ入り口が別になっていたと思う)の、正面階段の踊り場のような場所に「サモトラケのニケ」という、翼を持った、首のない大理石の立像がありました。サモトラケ島で19世紀に発見されたのでこう呼ばれる。ニケというのは、ギリシャ神話に出てくる「勝利」を擬人化した女神なのだそうです。ラテン語だとヴィクトリアになる。
ローマ字で書くとNIKEとなり、固有名詞として、英語での発音は「ナイキ」です。ミサイルの名前になったり、スポーツ・シューズ会社の名前になったりしました。
ふつうの単語で、-ke で終わるものは、まず例外なく「ク( k の音のみ) 」と読まれます。
bike like hike cake take make
NIKEも、その綴りを知らなければ、英語の話し手なら誰でも「ナイク」と読むんじゃないだろうか。外来語だという感じがあってはじめて「ナイキ(ー)」と、おしまいのEを意識して「イー」と読むことになるようです。
ボストン・レッドソックスに入団した松坂大輔投手は、DAISUKEと綴るので、「ダイスキ」と呼ばれたようです。「大好き」のようでいいじゃないか、という人もいました。
ついでながら、女優のレニー・ゼルウィガーと、オペラ歌手のルネ・フレミングは、ファーストネームの綴りはどちらも Renee です(表記のときは終わりから2番目の e にアクサンがつく)、テレビ番組などで紹介されるときは、(おそらく)どちらも「ルネイ」に近い発音になっていると思います。少なくとも女優のほうはそうでした。
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わらしべ長者
はじめに、転んでつかんだのがわら1本、アブがうるさいので、そのわらにつないで歩いていると、泣き止まない男の赤ん坊がいる。その子にあげると泣き止む。お礼にミカンを3個もらう。水がなくて苦しんでいるお嬢さんにミカンをあげて、渇いたのどを潤させた。そのお礼に、絹の反物を三巻きも貰う。反物をねらった別の男が、無理やり死にかけた馬と交換してしまう。馬を懸命に撫でさすると馬が生き返る。その馬を欲しがる金持ちがいて、見ると、この前ミカンをあげた娘の家だった。馬を買ってもらった上に、娘の婿になってくれ、と言われる。いつまでも、わら1本を大切にして「わらしべ長者」と呼ばれるようになりました。
わら → ミカン3個 → 絹3反 → 馬 → 家(と嫁)
このように「等価交換」を重ねながら、手にするものの価値が上がっていきます。しかし、反物が馬と交換されるところに、いささか無理な飛躍が感じられる。「日本昔ばなし」では、死にかけた馬をいつわって、悪辣な手段で反物と交換する、というふうに、つじつまを合わせていますが。
もとの話は「宇治拾遺物語」(や「今昔物語」)にあるというので、読んでみました。
馬は陸奥の国産の名馬だとあります。それが貧乏な男(すでに「白い上等な布3巻」を手に入れています)の目の前で死んでしまう。主人は代わりの馬を手に入れて目的地に去ってしまいます。下男が残って、死んだ馬の皮を剥ぎ、それを持って主人を追いかけたものか否か、思案しています。それを見て、貧乏男のほうから、布一巻きと死馬との交換を申し出るのです。男には成算があった。死んだ馬を生き返らせてくれるよう、初めにお参りした観音様(奈良の長谷寺の)に必死でお願いします。その願いが聞き届けられて、名馬がよみがえった、という話になっていました。残りの二巻きの反物は、旅費や、馬の餌代になる。その後、都で、家と馬とを交換することになります。
反物と馬との交換の説得力は「宇治拾遺」のほうに軍配をあげたくなりますが、まだ、やや無理があるような気がします。目くじらを立てるほどのことではないでしょうが。
間奏曲
最後に、YouTube からリンクを引いてきますが、『カルメン』の間奏曲は、フルートの初級教則本に載っていました。昔、ブラスバンドでフルートを吹いていたころ、何度かやってみたことがあります。そういえば、「アルルの女」という同じような初級用の曲も、作曲者はビゼーですね。
『カヴァレリア・ルスティカーナ』(という、聞くと、いかめしいタイトルですが、「田舎騎士道」というような意味ですね)の、間奏曲は、それだけ独立して演奏会などで演奏されます。甘くせつないオーケストラの曲として、このオペラが舞台に乗らなくなっても演奏され続けるでしょうね。
『マダム・バタフライ』の、後半、きわめつけとも言うべきハミング・コーラスがあります。合唱団が(ふつうは)姿を見せずに、いわばオーケストラの代わりに間奏曲を演奏します。それに続く、オーケストラの曲も、間奏曲と呼ばれるようです。プッチーニという作曲家は、俗っぽいように聞こえるけれど、手のこんだ技法を駆使して名曲を残しているのだそうです。
仕事がたてこんできて、更新もままならないので、間奏曲特集でお楽しみくださいね。