敬遠
3月24日(火)、WBC決勝戦の試合展開が気になりながら、昼食をとるために外に出ました。帰社したら8回裏、3-2で辛うじて日本がリードしていました。リリーフしたピッチャー杉内俊哉(ソフトバンク・27歳)が、後続を絶って、9回表。イチロー(マリナーズ・35)が2塁打を打ってノーアウト2塁。もう1点リードして試合は終わると思ってました。見ているほうは誰でもそう思ったでしょう。ところが、バントの失敗、青木宣親(ヤクルト・27)が敬遠されて、ランナー1・2塁。ダブルプレーにこそならなかったけれど、追加点が取れず、9回裏の、韓国の攻撃へ。
ここで、投手がダルビッシュ有(日本ハム・22)に代わりました。アメリカ戦での三振のイメージが強いので、1点差とは言え、大丈夫だと思わせました。しかし、ランナーをおいて、レフト前にヒットを打たれて同点になっちゃった。そこまで見たところで、このたびは、優勝を韓国に譲ってもいいんじゃないかと思いました。追いかけているほうの勢いというものもありますから。
ところが、延長戦、10回表で、1、2塁にランナーをおいて、イチローの、胸のすくようなセンター前ヒット。2点追加、5-3になって、日本が勝ちました。めでたしめでたし。仕事にならないので、最後まで見届けましたよ。
1塁が空いているのに、韓国チームはなぜ、イチローを敬遠しなかったのか? それが先週ずっと疑問でした。韓国の監督は「敬遠のサインを出した」とテレビで語っています。それなら、バッテリーが、監督の指示を無視したのでしょうか? いくらなんでもそれは考えられない。見てもサインが目に入らなかったのだろうと、最後のピッチャー、林昌勇(イム・チャンヨン、日本のヤクルトの選手)投手に同情しています。
野球通の知り合いに片っぱしから尋ねたのですが、中島裕之(西武・26)と勝負したくなかったのだろう、という人もいました。昨夜のテレビで、江川卓氏がこう解説しました。「ぼくだったら、あそこでイチローと勝負していました。あそこまでのイチローの調子は、うんと悪かったのだから。」
岩隈久志(楽天・27)投手、田中将大(楽天・20)投手、内川聖一(横浜・26)選手、川崎宗則(ソフトバンク・27)選手、などのプレーを初めてみましたが、みんなおそろしいほどうまいのですね。日本代表なんだから当たり前でしょうが。彼らの名前と顔とがようやく一致しました。
中継するテレビ局は、選手の所属チームと歳くらいは、テロップで出してもらいたい。シーズンが始まったら、この選手たちの野球を見たくなるんですから。韓国の最後のピッチャーが日本でプレーしているなんて、人に教えてもらうまで知りませんでした。野球見物からいかに遠ざかっていたか、ということですけれど。
久しぶりで、興奮しながら野球観戦ができた一週間でした。
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春の歌
次の歌は昭和10年代初めにNHKラジオで放送されたものらしい。西宮の風景を歌ったものだとか。
春の唄*
作詞:喜志邦三 作曲:内田 元
ラララ 赤い花束車に積んで
春が来た来た 丘から町へ
すみれ買いましょ あの花売りの
かわい瞳に春のゆめ
「かわい瞳」と字数が足りませんが、意味はもちろん「かわいい瞳」。
次のも同じタイトルです。
春の唄
作詞:野口雨情 作曲:草川 信
桜の花の咲くころは
うららうららと 日はうらら
ガラスの窓さえ みなうらら
学校の庭さえ みなうらら
「春の歌」というタイトルで思い出すのは、メンデルスゾーンのピアノ曲集『無言歌』のなかの1曲。「スプリング・ソング」という名前で知られます。(YouTube で探しましたが、よい演奏が見つけられなかったので、リンクしていません。)アンドラーシュ・シフというハンガリーのピアニストのCDをよく聞きます。
シューベルトの『冬の旅』の中の1曲「春の夢」* というのも素敵です。
*を付けた曲にリンクしておきます。
雑誌の休刊・廃刊
文藝春秋社発行の月刊雑誌『諸君!』が、今度の6月号で廃刊することになったそうです。1969年の創刊ですから40年続いたことになります。左翼の言論が大手を振っていた時代でしたが、あえて、「健全な右派の論考」を看板にして、池島信平(当時社長だったと思う)が、創刊に力を入れたものだと聞いたことがあります。
巻頭に「紳士と淑女」というコラムが(創刊後何年か経ってから)設けられ、辛辣な筆さばきで人気になりました。長いこと、徳岡孝夫が匿名で書いていたと思われます。
山本夏彦が存命のころは、巻末に「笑わぬでもなし」と題するコラムを連載していて、これも評判でした。
「日本を元気にするオピニオン雑誌」という角書きが、タイトルの上に1行あります。たしかに、ある時期までは「元気にする」力を持っていました。
研究社の『英語青年』という、英文学・英語学の世界では権威のある月刊誌も、この4月からネット上でのみ読める形に変わるそうです。紙媒体での発行は終わりになります。この雑誌は1898年に創刊されていますから、100年以上の歴史があります(最初は研究社発行ではなかった)。
自分でも、月刊雑誌の編集をしたことがあるので、休刊・廃刊のニュースに接すると、担当者の心事を忖度して切なくなります。雑誌は、時代の要請に応える使命がたしかにありますが、その使命が終焉したと認めるときがつらい。
この二つのような雑誌が他の出版社から出てくる可能性は薄いと思われます。さびしいことです。
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行く河の流れは
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
『方丈記』の有名な書き出しです。「よどみに浮かぶうたかた」は、川がちょっと蛇行したところに生じる「泡」のことでしょう。いま川を流れている水は、さっきの水とは違う、という前段の表現を、クローズアップして、水の泡に着目して言い換えたもののようです。初めて、この文章を読んだとき(高校生のころ)は、「汚い淀みに浮かぶ、土が付着したような泡」だと思ってしまいました。
この文章は、作者、鴨長明が無常感を表明した、一種のスローガンのように教わりましたが、「無常」という言葉には「あきらめ、はかなさ」という意味も無論あるでしょうが、人間の世界というのは、つまりそういう(「久しくとどまりたるためし」のない)ものなのだなあ、という、事実認識の表明に聞こえます。年をとると、そのことがひとしお身に沁みてきます。
最近、この表現を、いつも言及する福岡伸一先生の「動的平衡」の説明文の中に見つけました。細胞の中は、分子状態の栄養分や老廃物が、しょっちゅう出たり入ったりしている、それでいて一個の安定した細胞である。ということが、アイデアとしてはすでに『方丈記』に記されていた、という趣旨の説明でした。
13世紀初め、鎌倉時代に書かれた文章が、現代にも強く訴える力があることに驚かされます。
『方丈記』については、堀田善衛に『方丈記私記』という本があります。今はちくま文庫に入っているようです。単行本出版当時(1970年代)に読んで、名著だと思ったきり再読はしていませんけれど、もう一度手に取りたい本の1冊です。
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四字熟語
今では、パソコンのワープロで、「よじじゅくご」と入力すると「四字熟語」とすぐに出てきます。しかし、この語は、ふつうの国語辞典には見出し語になっていない。いたって新しい言い方です。いつごろ始まったのか、正確な年代はわからないらしい。昭和の終わりころではないか、というのが辞書業界の共通理解のようです。
「漢字4文字からなる熟語」というのが一応の定義ですが、例外が多いのと、「熟語」の定義があいまいなのとで、どれが四字熟語で、どれがそうでないかは、書き手によってマチマチです。
思いつくまま、四字熟語をあげてみます。
弱肉強食 牽強付会 温故知新 四面楚歌
一期一会 一日千秋 独立独歩 傍若無人
こういう、正統派の熟語に比べると、次のようなケースは、熟語とは呼びにくいですね。
株式会社 営業部長 年金保険 相続放棄
飲酒運転 正月興行 五月人形 酸辣湯麺
最後のは、「さんらーたんめん」と読み、近頃(とくにご婦人に)人気の、酸っぱ辛い中華そば。
四字熟語の仲間からはずれるもう一つのケースは、俗に「之入り熟語」と呼ばれるものです(熟語に入れている辞典ももちろんあります)。
竹馬之友 蛍雪之功 水魚之交 背水之陣
今では、おびただしい数の「四字熟語辞典」が出版されています。漢字クイズなどを、解く人も、作る人も参考にするためだそうです。
こんど文春文庫に入った、高島俊男『ちょっとヘンだぞ四字熟語』は、タイトルが示唆するように、四字熟語のあいまいさを鋭く批判しています。『本が好き、悪口言うのはもっと好き』という物騒な題の本も書いている方なので、四字熟語以外の話題も、辛辣かつ痛快です。
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