六義園と吉祥寺
土曜日は、合唱の練習に行くために、駒込の駅で地下鉄の南北線に乗り換えるのですが、昨日は、時間の余裕があったので、駅のすぐそばの六義園のつつじを見ることにしました。いろとりどりの、そして種類も様々な、つつじがあるようでした。満開というわけにはいきませんが、小高い丘(藤代峠という名前がついている)の斜面には、「春の錦」と呼べそうなつつじが一杯咲いていました。
ありがたいことに、一般300円の入園料が、65歳以上150円です。つい10日ほど前に65歳になりましたから、左様申告して150円で入りました。
この庭園は、今は東京都の管轄ですが、もとは、五代将軍綱吉の側用人、柳沢吉保の下屋敷に作られた庭なんだそうです。元禄15年、1702年。300年前からある由緒のあるお庭なんですね。木陰のベンチで小1時間、本を読んでいました。
まだ、少し時間があったので、練習場のある向ヶ丘まで本郷通りを歩いてみることにしました。
ずいぶんお寺の多い通りです。真宗、浄土真宗、禅宗、など、10以上はみかけました。それぞれ規模は大きくありませんが、墓所もあって、通りからのぞけるのでした。この通りで最も有名なお寺は、吉祥寺ですね。ここは大きいお寺です。山号は「諏訪山」です。「すわさん」と読んでいいのでしょうね。江戸時代は禅宗の修行場だったそうです。そこは、中に入って見てきました。30歳くらいのころ、一度桜を見に行ったことがあるのを思い出しました。鹿島建設の鹿島守之助・卯女ご夫妻の立派なお墓がありました。二宮尊徳の墓所のすぐそばです。鳥谷部春汀(とやべ・しゅんてい)という、谷沢永一先生の文章によく登場する、明治期、人物評論で名をなした記者のお墓も、参道のすぐそばに見えました。「お七・吉三 比翼塚」というのもあります。
ケータイに付いている万歩計の記録が、あわせて1万6千歩を越えていました。
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富士山
富士山(作品第肆) 草野心平
川面(づら)に春の光はまぶしく溢れ。そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ葦の葉のささやき。行行子(よしきり)は鳴く。行行子の舌にも春のひかり。
土堤(どて)の下のうまごやしの原に。
自分の顔は両掌(りょうて)のなかに。
ふりそそぐ春の光りに却つて物憂く。
眺めてゐた。
少女たちはうまごやしの花を摘んでは巧みな手さばきで花環をつくる。それをなわにして縄踏び(なわとび)をする。花環が円を描くとそのなかに富士がはひる。その度に富士は近づき。とほくに坐る。
耳には行行子(よしきり)
頬にはひかり。
ヨシキリというのは、うぐいすの仲間の小鳥のようです。行行子(ぎょうぎょうし)とも言われるほど、鳴き声が騒々しいのだそうです。「うまごやし」は草ですね。馬が食うと肥えるから、この名がついた。クローバーのことだ、という人もいるけれど、それは間違いなのだそうです。今知ったことです。
詩の表記は、昭和34年に平凡社から出版された『日本詩歌集』によっています。「光、光り、ひかり」と使い分けたり、句点を読点代わりに使ったり、ずいぶん乱雑な表記法のような気がします。
しかし、富士山を背景に、春の川のほとりの光景が、音や色や風とともに眼前に浮かんでくる、気持ちのいい詩ですね。
この詩(第肆というのは第四と同じ)を含む、「富士山」という詩集から5編を選んで、「男声合唱組曲 富士山」というのを、多田武彦が作曲しました。学生のころ、その合唱曲を歌ったことがあるので、この詩を見つけたらなつかしくて、ご紹介したくなりました。
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ソラソラ シラミ
日本での公演のビデオを初め、アメリカで録画されたフィルムのオンパレードで、カレンの歌声を満喫しました。天性の美声というのは、こういう人の声を言うのでしょうね。何を歌っても、じんわりと心に沁みる歌い方をします。
番組では視聴者から人気の歌を募っていましたが、予想通り、第1位は、「トップ・オブ・ザ・ワールド」でした。
ヴォーカル一本になる前の、ドラムを叩きながら歌うシーンもたくさん出てきました。このドラムがおそろしくうまい。進行役の一人、つのだひろ氏が、カレンのリズムは《絶対リズム感》だと言い切ってました。《絶対音感》をもじったものですね。ドラムを叩いているときの幸せそうな表情からは、後年、拒食症になるなんて微塵も感じられませんでした。
「スーパースター」という曲は、タイトルは知らないまま、メロディーだけ覚えていました。サビの部分の「ベイビベイビ、ベイビー」というのが耳に残ります。歌いだしのメロディーは、移動ドで言えば「シーラミー」なんですね。「シ」から始まる歌は他にないのではないか。ご存じの方教えてください。
團伊玖麿の書いたものに出てきたと記憶しますが、芥川也寸志と一緒に寮生活をしていて、不潔にしているもんだから、虱がそこらじゅうに出没したんだそうです。虱が出てくると、「ソラソラ、シラミ」と、そこは音楽学校生ですから、そのまま音にして遊んでいたといいます。
鳴くよウグイス
「鳴くよウグイス平安京」というのは、794(ナクヨ)年、平安京へ都が移った年代の覚え方でした。
自宅のすぐ前に、広い農地があります。3千坪ではきかないくらい広い、スズキさんちの畑です。農地の北の端(といっても奥行き50メートル、幅150メートルくらい)に雑木林があります。おそらくケヤキだろうと思いますが、みずみずしい薄緑の若葉が青空に向かって伸びています。
その雑木林のそばを通ると、ここ1週間くらい、ウグイスの鳴き声が聞こえるのです。耳を澄ませば、自宅にいても鳴き声を聞くことができます。ホーホケキョと鳴く恋の季節が始まっています。そういえば、少し前、梅の花が満開のころ、ウグイスのような小鳥が花に嘴を突っ込んでいるように見えたものです。鳥の形も名前もまるっきり知らないので、見当をつけただけですが。
日光の山奥のウグイスは、雑音にさらされないので、鳴き声がきれいなんだそうですね。だから、値も高い。このあたりは、しょっちゅう車が通りますから、ウグイスも車の騒音に感化されて澄んだ鳴き声にならないのかもしれません。それにしては、可憐なうつくしい声で鳴いています。
この季節の新緑は、見るたびに元気が出ます。柿の若葉なんて、もいでテンプラにしたらうまそうですもんね。
万緑の中や吾子の歯生え初(そ)むる 草田男
という名句も思い出しました。「万緑」は、この句によって、夏の季語になったのだそうですが、今ごろの若葉を思い出してもかまわないでしょう。コントラストの妙が冴えています。
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東大駒場学派物語
ついこの間まで、ご当人のブログで連載していたものが、もう本になりました。小谷野敦著『東大駒場学派物語』(新書館、1800円)。
東京大学教養学部は目黒区駒場にあるので、「本郷」(教養学部以外の学部がある文京区の地名)に対して「駒場」と呼び習わす。「駒場学派」というのは、そこにある「比較文学比較文化」という研究室を中心とし、そこを卒業して学者になった人々(ならなくてもそこに帰属意識を持つ人々)を指すもののようです。学派とは言っても、学問の方向や、思想の傾向がみんな一緒ということではありません。
芳賀徹、平川祐弘、小堀桂一郎、亀井俊介など、錚々たる先生方が、そこを卒業してそこの先生になった。卒業生も、多士済々です。もちろん小谷野さんも、本郷の英文科を出て、大学院はそこを卒業しています。博士号もそこで得ています。
おびただしい人名が現れて、著した本が列記され、どんな賞をもらったか、くわしく書かれています。さらに、卒業生たちが、なんという大学に職を得ていったかも。
小谷野さん自身は、この本が35冊目になるという多作の書き手ですが、この春、教えていた駒場から去ることになったらしい。非常勤講師のままだったようです。
ついに大学教授になることをあきらめたのでしょうか、恨み節になっても無理はないところなのに、読後の印象はさっぱりしたものです。(もっとも、小谷野さんは、かつて、大阪大学で助教授をなさっていたことがあります。)錯綜する人間関係を、ここまでわかりやすく叙述する手腕は並大抵のものではありません。
「あとがき」に、「大学というものの理不尽さを描いたもの」という表現が出てきます。それはよく伝わってきました。理不尽なのは、しかし、大学ばかりではありませんけれど。
少し前に『里見(さとみ)弴(とん)伝』(中央公論新社)を出しましたが(こちらは未読)、本書の奥付のふりがなも「こやの・とん」になっています。本名の読み(あつし)も注記してありますが。
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