アイアコッカ
リー・アイアコッカの自伝『アイアコッカ:わが闘魂の経営』(ゴマ文庫)が復刊されたのを機会に再読しました。1985年にダイヤモンド社から単行本で出版され、その後、新潮文庫に入っていたもののようです。単行本の評判が高かったので、出た直後に読んだ覚えがあります。
自動車が好きで、フォードに入社し、たちまち社長になってしまう。ところが、社主のフォード二世にうとまれて首になります。すぐさま、競争相手のクライスラーに会長として入り、苦労の末、利益の出る会社によみがえらせます。この自伝は、まだクライスラーに在社中(85年)に書かれて、全米のベストセラーになりました。
波瀾万丈の人生ですが、頭を使い、体を動かし、エネルギッシュに前進する様子は、ワクワクするほど面白い。今や、ジェネラル・モーターズ(GM)までが政府の援助を乞うほど、アメリカの自動車業界は破滅寸前の様相を呈していますが、84歳でなお矍鑠としているこの名経営者は、どんな気持ちでしょうね。もっとも、本書のなかで、20世紀末までアメリカの自動車業界は持つまい、と予言もしていました。そうならないための提言もたくさん書いてありますが、どうやら聞く耳を持つ人がいなかったようです。
当時も感銘を受けましたが、再読して、やはりこの文言を引用したくなります。
いくら人物を見抜くのがうまくても、ちょっと会っただけでは絶対に見抜けない資質が二つある。一つは、その人物が怠け者かどうか。もう一つは、決断力があるかどうかだ。……この二つを測定できる機械があれば、どんなに経営者は楽だろう。それこそ、おとなと子供の最大の違いだからである。
翻訳は徳岡孝夫。毎日新聞の名記者だった人。読みやすい訳文です。ただし、この文庫版には、信じられない誤植がときどき出てきます。単行本か、新潮文庫の版面をスキャンして原稿にしたものでしょう。「実力を発揮」とあるべきところが「実力を発拝」となっていたりする。「工場」が「エ場」(エがカタカナ)になっていたり。
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グレープフルーツ
毎朝グレープフルーツを半分食べています。ここ3年くらいかなあ。スーパーでいつでも売っているので、収穫時期が決まっていないのかと思っていました。
ここのところ、フロリダ産を示す小さな紙パッチの貼ってある「ルビー」(果肉の赤いやつ)を買います。表皮が薄くて中身もジューシーで、甘みも強い。今頃(4月から6月)出回るのが、フロリダで熟した種類なのだそうです。道理でうまい。
カリフォルニア産のグレープフルーツもたくさん出るようになりました。皮がこころもち厚いような気がします。
グレープフルーツの生産量は、断トツでアメリカが一番なんですね。ジュースにするのが多いらしい。
南アメリカとか、イスラエル産の品物も出ていることがあります。年中食べられるのは、収穫時期・輸入時期のローテーションがあるからなのでしょう。冷凍保存はしていないと思います。魚と違って、いったん冷凍してしまうと解凍したときに、果肉が元に戻らないのではないか。素人考えにすぎませんが。
むかし(1960年代初め)、英語の教材を作るときに、「グレープフルーツ(grapefruit)」という単語が出てきたのに、現物を見たことがある人がいなくて、挿絵を描くサンプルの写真を苦労して探したものだ、と先輩に聞かされたことがありました。「ぶどう状」に木に生(な)るので、そう名づけられたのだそうですが、名前からは想像もつきません。
皮にたっぷり防腐剤がふりかけられているので、よく洗ってから切ってください、と、ネットで教わりました。明日から、もっとよく洗って食べることにします。
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『ショーシャンクの空に』の不思議
映画『ショーシャンクの空に』(1994)は、インターネット・ムービー・データベース(IMDb)の、上位250の第1位なんですね(本日現在)。『ゴッドファーザー』(ⅠとⅡ)が2位と3位。ネット上の投票で決めるのでしょうが、投票するのはアメリカ人が多いのだと思います。
この映画、映画館で見たような気もするし、貸しビデオ屋さんで借りてみたのだったかもしれない。殺人罪で終身刑になってショーシャンク刑務所に入っている主人公アンディを演じたのが、ティム・ロビンスでした。囚人仲間で気脈を通じるようになったレッドの役を、モーガン・フリーマンがやりました。
アンディは1947年に投獄されて、1965年に脱獄したという話になっていました。その少し後でレッドが刑期を終えて刑務所を出ます。
このレッドが、かつてアンディからこういう話をされます。どこだかの小高い丘の牧草地の石垣の石の間に何百ドルだか何千ドルだかの紙幣を入れた缶をしまってある。もし先に刑務所を出たら、そこへ行って掘り出せ、お前にやるから。後になったけれど、レッドが行ってみると、たしかに現金があった。それを持って、メキシコにいるアンディのところを訪ねるのだったと思います。
これを見たときには不思議な気持ちになりました。戦後すぐに埋めた現金が、20年後になっても、そのままの価値で使えるらしいということが不思議だったのです。もし、これが日本でのできごとだったとしたら、このエピソードは成立しないですね。昭和22(1947)年頃の紙幣を、昭和40年になって、まとめて使おうとしたら、まず間違いなく犯罪を犯して手に入れた金だと思われたでしょうから。
ドルというお金がそれだけ安定していたということを示しているのでしょうね。
原作はスティーヴン・キング。「リタ・ヘイワースとショーシャンクの贖い」という短い小説だそうです。
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初めて見た電話機
「電話をかける」というときの「かける」はどういう意味か調べています。「エンジンをかける」「レコードをかける」「ドライヤーをかける」などと同じように、「機器を作動させる」ことである、と説明されることが多いかもしれません。
「橋をかける」「言葉をかける」などのように、「こちら側からあちらへモノや情報を届ける」という意味だとしても十分に通用するような気がします。「電話をかけること」を「架電(かでん)」などと言ったこともあるくらいですから、「橋をかけること=架橋」と同じ仕組みです。
「かける」のような、超基本的なことばの成り立ちは、すっきりした説明ができない場合が多い。手元の国語辞典でも、「こういう意味もあり、ああいう意味もある」と、順に並べてあるだけです。さらに調査してみて、うまく説明できるようだったら、いずれ報告します。
ネット検索してみたら、こういう写真が出てきました。私が最初に見たのがこのカタチでした。町役場にあったと記憶しています。左に掛かっているのが受話器、正面の下にある丸いのが送話機、二つの目玉のように見えるのがベル、右側のハンドルをぐるぐる回して、電話会社(だろうなあ)へ合図を送り、相手の番号を告げて、つないでもらうようになっていました。この機械で実際に電話をかけたことはありません。
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ああ上野駅
JR東日本に「大人の休日倶楽部」というものがあります。吉永小百合さんがイメージ・キャラクターで宣伝しているやつ。男65歳、女60歳以上が資格のある「ジパング倶楽部」というのに入会すると、JRの旅行料金が3割引きになる。それに申し込もうと、上野駅構内にある事務局を訪ねてみることにしました。
総合案内というところで道順を聞いて、その通りに進んだつもりでしたが、迷子になってしまいました。ケータイ電話で道順をたしかめてようやくたどり着きました。迷子になるはずです、駅全体が大きく様変わりしていたのでした。新幹線の乗り降りに利用するのは上野駅が多いので、地下深くのホームまで降りるエスカレーターには何度か乗りましたし、上野公園の東京文化会館に行くときは、「公園口」の改札を通ります。あと、新幹線の改札口手前の大きな本屋さんには、行くたびに寄ります。そのくらいが、馴染みの上野駅ですが、それ以外の場所がどうなったか、については関心がなかった。遠回りしながら、「ああ上野駅」とつぶやいてしまいました。井沢八郎にそんな歌があったよなあ。調べてみたらその通り。
どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった
昭和39年のヒット曲でした。集団就職の時代の歌ですね。私の故郷からも、何人もが集団就職で東京にやってきました。彼らは、上野駅で夜行列車を降りたはずです。もちろん当時でも、上野駅は一大ターミナルでしたから、改札口の前のコンコースの広さに驚いたことでしょう。今では、その上に、アトレという名前の飲食店街が3階まであるようでした。上野駅構内図 というのをリンクしておきます。線路の上を通って公園に行けるなんて、昨日まで知りませんでしたよ。
もっとずっと昔、石川啄木がうたった短歌に出てくる「人ごみ」の場所は、このコンコースほど広くはなかったでしょうね。
ふるさとのなまりなつかし
停車場の人ごみのなかに そを聞きにゆく
井沢八郎の歌には、この短歌の情感が反響していますね。
