パパ・パパゲーノ -23ページ目

アップグレード

 成田からロンドンまで12時間も飛行機に乗ることになるので、エコノミー・クラスとビジネス・クラスの間のクラスの座席を予約しました。ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)です。前の席との距離がエコノミーより少し長く、足元に余裕があります。横幅も若干広い。


 今は、インターネットで座席の場所まで指定することができます。プリントアウトを持って、荷物受付のカウンターに行きました。その前に、空港内の自動チェックイン機で、搭乗券を発行してもらう。


 カウンターのお姉さんが「オーバーブッキングだったので、ビジネスクラスにアップグレードしました」と、なんと、ビジネスクラスの座席券を渡してくれました。思わず顔がほころびましたね。


 なんども飛行機に乗っていますが、ビジネスクラスのところは素通りするだけで、そこにすわったことはなかった。


 おかげさまで、快適な空の旅でした。「フル・フラット」というのだそうですが、座席を平らにして、対向する足載せ台を引き寄せると、身体を真っ平らにすることができるのでした。ラクですねえ。病み付きになりそうです。


 帰国便では、そういう僥倖はなくて、余裕のあるナナメ状態でトロトロ眠りながら帰ってきました。


 英語でクラスと言えば、まずは「階級」のことを指すでしょうが、階級差の具体的手がかりを目のあたりにしたような気がしました。劇場の場合も、安い席と高い席とは使う階段が違いましたしね。


船        船        船        船        船

スペインの平原列車

 バルセロナからマドリッドへ移動するために特急列車に乗りました。時速表示が時折300キロに届くか、というくらいの、新幹線並みのスピードで東から西へ疾駆します。途中サラゴサという都会に停まっただけで、ふた駅目が終点のマドリッドです。名古屋だけに停まって京都・大阪に行く、昔の「ひかり」のようなものか。かかった時間も3時間くらいでしたから、距離はそんな感じでしょう。


 さて、沿線の風景は「殺風景」という表現が逃げ出したくなるほど、なーんにも変化がないものでした。行けども行けども、丈の低い(オリーブの?)木が、整列して植わっている間に、これも50センチくらいにしか見えない麦が黄色くなっているのが続きます。1年に何度か麦の収穫があるように見えました。風景の彼方に山の姿がひとつもないので、地平線の果てまで同じ風景かと思わせました。1日に歩いて巡れる広さの土地をやると言われて、欲にかられて日暮れまでに元に戻れず、結局一片の土地も手にいれられなかった若い農民の話をトルストイが書いていますが、この風景を見ていると、1週間分の土地をもらっても引き合わないだろうとしか思えません。


 線路の脇に、ヨーロッパの鉄道沿線では、ポピーの赤い花を見かけたものですが、それもない。枯れ草のような褐色の植物がチラホラ見えるだけです。線路を通すための切通しは随所で見ましたが、開通してもう何年もたっているだろうと思えるのに、地層がむき出しになったままでした。


 砂漠の列車旅行というのをしたことはありませんが、スペイン内陸の土地の状況はもはや砂漠と化しているのかと思ったことでした。


 とはいえ、整地された麦畑ですし、また時々は川の流れもありましたから、農業は成立しているはずです。それにしても、3時間(目をこらして見続けたわけではありませんが)のあいだ、野良仕事をしている人をついに一人も見なかった。1台トラクターが道を通っていただけです。羊もヤギも牛も馬も、動くものは何ひとつ見えないのでした。


 ところが、都会で食べるサンドイッチでも、付け合せの温野菜、生野菜も青物は十分にあったし、なにより、バルセロナのサン・ヨセップ市場の、八百屋・果物屋の数の多さと種類の豊富なことには目を見張りました。これらは、どこで産出されたのでしょうか? これから少しずつ調べてみようと思いますが、このたびのスペインの旅でもっとも印象に残ったのが、この土地の貧弱と食材の豊富とのギャップでした。


 どこでも食べ物はうまかったし、値段も手ごろでした。さくらんぼ(黒いチェリー)が安い、甘い。


新幹線        新幹線        新幹線        新幹線        新幹線

否定語の「大丈夫」

 少し前のことですが、イチゴ「とちおとめ」を安売りしていたので、1パック買ってきました。家にいた息子(20代なかば)に「食べるかい?」と聞いたら、「だいじょうぶ」という返事が返ってきました。これは「食べない」という意志表明なんですね。


 今までは、「大丈夫」は次のように使われるのが普通でした。


 彼にまかせればもう大丈夫だ。
 大丈夫、彼なら完投できる。


 いつごろから、否定語として使われるようになったのかは知りません。あれ? と思ったのは3年ほど前のことです。


 事務所に宅配便のお兄さんが荷物を集配に毎日訪れますが、何も頼む荷物がないときに、仕事中の女性(20代なかば)が、「だいじょうぶでーす」と応じていたのを耳にしたのが最初です。


 「せっかくですが、現在ただいまは、お申し出に応じなくとも、私は大丈夫です」くらいの意味で使っているのでしょうかね。不思議な用法ですが、若い人のあいだでは定着しているのでしょう。


パンダ        パンダ        パンダ        パンダ        パンダ

倍音

 音叉というのをご覧になったことはありますね。U字形の両側が8センチ位の長さなっていて、お尻の丸いところから3センチほどの長さの棒がついている。鉄でできていると思うけれど材質は知りません。短い方の先端が球状になっている。そこを持って、U字の片方をどこかにぶつけると振動します。球を耳のうしろにくっつけて、「音を取る」ということをします。大抵の場合、440サイクル(ラの音、A〔アー〕)に設定されています。


 今では、精密な電子機器でできた音叉(の代わり)があるようですが、原始的な道具の方に愛着があります。オーケストラでオーボエが最初に鳴らすのもこの音程です。音叉は使っていないかもしれません。


 今練習している、ケルビーニの『男声合唱のためのレクイエム』という曲は、レ(D)から始まります。ニ短調。音叉の音から5度下の音。そう言えば、モーツァルトの『レクイエム』(混声)も同じ音から始まる。


 ケルビーニのレクイエムの最終曲「アニュス・デイ」のおしまいあたりで、バスがレの音程のまま「レークイエム エテールナム」と唱え、2小節遅れてテナーがラの音を重ねて同じ文句を唱えます。ステージでは聞こえるかどうか自信はないのですが、練習場では、その時、1オクターヴ上のラの音が聞こえてきます。耳のよい人なら、さらに上のレの音を聞くことができるはずです。この「倍音」が響くときほど、合唱の面白さを感じるときはありません。


 「倍音」というのは、ある音(基音)の整数倍の周波数の音のこと、と説明されます。ひとりで発声しても、倍音は含まれているのだそうですが、響きが小さくてよく聞きとれません。たくさんの声が重なると、個々の倍音が増幅されてはっきり聞こえるもののようです。


音譜        音譜        音譜        音譜        音譜

永井淳

 ジェフリー・アーチャー『誇りと復讐』(上下、新潮文庫)を、昨日読み終えたばかりです。エドモン・ダンテス(モンテ・クリスト伯爵)の現代版。いつもながら、手に汗を握る長編。復讐譚ですから、陰惨な話におちいりそうなところを上手にまとめてあります。


 訳者は永井淳。ジェフリー・アーチャーの作品の翻訳は、ほぼこの人が手がけてきました。今日の新聞の訃報欄を見て、4日に亡くなったことを知りました。享年74。「特発性間質性肺炎」という難病で死んだそうです。原因不明、10万人に5人くらいの患者数、女よりも男に若干多い。


 アーサー・ヘイリーの諸作品も永井淳訳でした。『エネルギー』『最後の診断』『自動車』など。


 アーチャーで面白かったのは、『百万ドルをとり返せ』『ケインとアベル』など。


 すべて新潮文庫(絶版にしていなければ)で読むことができます。


 一度だけ電話でお話ししたことがあります。翻訳裏話のような原稿を書いていただきたいと依頼したのですが、「ヨコのものをタテにするだけで手いっぱいです」と、巧妙に断られてしまいました。


 『誇りと復讐』に、スコットランド訛りで話す大男が出てきますが、「おれがこごさ坐ってるど外がらは見えねえがら」などと、東北方言ふうに訳されています。秋田県出身だそうですからお手のものなんですね。


 わざとらしさを微塵も見せない、スルスル頭に入る訳文を綴る名手でした。ご冥福をいのります。


カメ        カメ        カメ        カメ        カメ