パパ・パパゲーノ -21ページ目

純白

 90歳を過ぎてから白内障の手術を受けた伯母が、そのときのことをこんなふうに言っていました。手術の前から入院して横になっていたベッドのシーツは、黄色みがかった色だと思い込んでいたのだそうです。クリーム・イエローとでも言うのか。眼帯をはずした途端、天井のシミまでくっきり見えたのにまずびっくりした。そうして、さっきまで寝ていたシーツが、黄色ではなくて純白だったのには感動してしまった。「じゅんぱく」という単語が、こんなに響きよく喜びに満ちて発音されたのを聞いたのは初めてと言ってもいいくらいです。そのあざやかな白さが目に見えるようでした。


 白内障は、水晶体(水65%、蛋白質35%)の蛋白質の変性によって、レンズの機能が低下する病気。つい最近も、知り合い(60歳くらい)が手術をしました。「見たくないものまで見えてしまう」と言ってましたが、見えるようになったことを、それは喜んでいました。この病気の手術を受ける人もずいぶん増えています。


 伯母の話を聞いているときに、庭をセキレイがピョンピョン跳びながら横切っていきました。それで思い出した昔の話をしてくれました。


 巣から落ちてしまった雀の雛を見つけたので、抱いて家に連れ帰り、エサや水をやって育てたのだそうです。家の中を駆けずりまわり、柱を伝い登るほど元気になった。どんどん成長して飛べるようになったころ、フッと姿を消してしまった。親鳥の元へ帰ってしまったのか、それとも災難にでもあったのか、と気をもんでいたところ、2日後くらい、草むしりをしていたら、左肩の上にチョンと乗ったものがある。それがその雀。40年か50年も前のことだろうと思いますが、そう言って目を細めました。可憐な小鳥の姿が彷彿としました。96歳になった今も、よく見える大きな目でこちらを見つめ、シャキシャキと言葉を繰り出す素敵なおばあさんです。


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睡眠時無呼吸症候群

 「睡眠時無呼吸症候群」という病気があるということは聞いて(読んで)知っていました。私も、昼食のあと無性に眠くなることがありますが、俗に言う「腹の皮が突っ張ると目の皮がたるむ」状態ですから、まあ心配はしていません。車の運転もできませんから、眠くなっても、たいした実害はないでしょうし。


 SK教授のブログに、この病状のことが書いてあり、装着器具の写真が載っているのを見たのが、ほぼ1週間くらい前です。毎日、この器具を付けて寝るのはうっとおしいだろうなと思わせる道具でした。この先生(男性、50代前半)は上背もあり、そんなに太ってもいない方です。


 気道が塞がることで、呼吸が一時的に止まったり、吸いこむ酸素の量が少なかったりするのが、この病気の特徴のようです。もちろん、くわしいことは私には分かりません。


 先週、木曜日に親戚の男性(50代半ば、ちょっと肥満体)に会ったら、この病気だと言って、同じ器具を装着して寝ていると言ってました。月に一度、遠くの病院まで出かけて、検査をしているのだそうです。


 さらに、そのすぐ後の日曜日に、いとこ(従兄、60代後半、やや小太り、お腹はそれほど太くない)と話していたら、その彼も、無呼吸症候群なのだと言います。装着器具をレンタルして毎晩付けて寝ているのだそうです。保険がきくので、ものすごい負担というのではないらしい。


 1週間のあいだに、たまたま(こちらからその話題を持ちかけたのではないのに)、立て続けに3人もの男性から、同じ病気のことを聞くことになりました。しかし、睡眠時無呼吸症候群という病気が急速に増えているというのではないようです。「自分のいびきにびっくりして目が覚める」ということを昔からよく耳にしましたが、どうやら、それも、この病気の症状のようです。従兄も、昼寝をしていてそうなったので、ひょっとしたらと病院で検査してもらって、病気だということが分かったのだそうです。診断法が発達して病気の発見が早くなったということのようです。いびきをかく人はたくさんいますから、潜在患者はまだまだ(近くにも)いそうです。


宇宙人        宇宙人        宇宙人        宇宙人        宇宙人

 

いじめの構造

 内藤朝雄『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を読みました。池田信夫さんのブログで紹介されていた本です。聞きしにまさる問題作でした。


 いじめは、日本だけの問題ではなく、学校社会だけの問題でもない。ある条件を満たす閉鎖社会が成立すると、だれでもが「怪物」になりうる、人間性の一側面が極端に肥大した場合の、いわば「普遍的」行動なのだ、ということが、おぞましい「いじめ」のケース報告を通して順次明らかにされていきます。


 ある条件とはなにか。普通は隠れているが、だれにでもある「嗜虐的攻撃性」(他者を苦しめて喜びたいという性向)を発揮しても罰を受けないで済むようなシステムが、社会的に容認された場合。学校、軍隊、若衆組などが例としてあげられます。運動部などもこの例に入る。


 いじめをなくす処方箋も、もちろん、提案されています。本書では、学校(主として中学校)でのいじめが集中的に論じられます。深刻な事件が多発しているので、解決を急ぐ必要があるのはもちろんですが、システム全体を変更しないと、いつまでもいじめはなくならない。まず、学校も法の下に置く、という当たり前の社会にするべきだという。リンチをして怪我をさせたりしたら、即座に警察が介入するというような(今の学校がおそらく、もっとも忌避するだろう)状態にする。もう一つは、赤の他人同士が「同じクラス」という一体感を強要されてしまう、現行の「学級制度」を廃止する。私は、これだけでも、いじめの多くをなくすことができるだろうと思います。


 「人はなぜ人をいじめたがるか」という、まだ解答が得られていない難問に、解決の糸口を与えることになりそうな刺激的な研究でした。ことは急を要するけれど、目前の弥縫策に逃げ込むことなく、「社会」や「世間」が形造られてきた歴史を踏まえた上で、システムの転換をはかるべし、という主張には共感を覚えます。


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オペラ座の怪人

 『オペラ座の怪人』は、1910年に発表されたガストン・ルルーの同名の小説に基づくものだそうです。小説は読んだことがありません。1940年代に北京の劇場を舞台にした中国語のミュージカル映画を観たことがあります。東京の近代フィルムセンター主催の映写会でした。国立近代美術館の地下の映画館。グロータース神父という、上智大学の教授でもあった先生をお見かけしました。戦前北京に住んでいらして、封切当時見たのでなつかしくて、また見にきたとおっしゃっていました。

 この話は何本もの映画(ミュージカルも?)になったようですが、話の筋はそう変わらないようです。アンドルー・ロイド=ウェバーのミュージカルは、1986年にロンドンで初演。1988年にブロードウェイで初演。ついでながら、東京の劇団四季も88年からこのミュージカルを上演し始めました。

 主人公のクリスティーンをエミー・ロッサムが演じた映画も、劇場で見ました。舞台は、何年か前、サンフランシスコの劇場で初めて見た。こんど、ロンドンで観ることができて、感慨深いものがありました。1986年以来、25年にもわたってロングランを続けているのだそうで、『レミゼラブル』と並ぶ長期上演なのだそうです。

 初演のクリスティーン役は、今をときめくサラ・ブライトマンでした。このとき、ロイド・ウェバーと結婚して2年目。アンドルーのサラに向けた想いが隅々まで詰まった作品であるように感じました。何かのインタビューでブライトマンは「この作品は私の声域に合わせて作曲された」と語っていました。おそろしく広い声域(3オクターブ以上?)の持ち主なので、後からこの役を歌う歌手は大変でしょうね。

 YouTube に、初演のふたりが出てくるシーンがありました。怪人はマイケル・クローフォード。装置は、どの舞台でもこういうふうにしてあるそうです。映画とちょっと違います。


大道芸

 観光客が集まる場所なら大抵のところに大道芸人たちがいました。地下鉄の連絡通路の隅で楽器演奏する芸人たちもたくさん見かけました。


 何者かに扮して何時間も同じ姿勢を続けるパフォーマーの数がこのたびは特に目にとまりました。カンカラなどのいれものが足もとに置いてあって、一緒に写真を撮ったりした人たちがいくばくかのお金を入れています。


 ①は、バルセロナ大聖堂の脇の坂道の壁際に立っていた人。全身かわいた泥だらけで、何を表現したものか見当がつきかねました。壁の色に溶け込んでしまっているので、気がつかないまま通りすぎる人が多いようでした。ちゃんと日陰の場所を選んで立っているのがかしこい。


 ②は、バルセロナのランブラス通りのパフォーマー。ここは、両側が車の通る道路で、中が20メートル巾くらいの遊歩道になっています。プラタナスの並木なので日は当たらない。ここでは10人を越す芸人が芸を見せていました。


 ③は、マドリッドでみた、ロダンの「考える人」の真似。左の肘を右の腿に載せるので、長くは続けられない姿勢だと思うのですが、我慢づよい人のようでした。


 ④は、ロンドンのピカデリー・サーカスの近くでやっていたドラマー。楽器がよく見ると、ポリバケツや金だらいのような日用品。1個だけ本物のシンバルがあったようです。リズム感が抜群の演奏家でした。5分くらいの演奏が終わったら盛大な拍手がわきました。1ポンドの硬貨を投げ入れてきましたよ。


                   

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