フォーレのレクイエム
ほかの『レクイエム』と違う特徴は、伴奏にオルガンとハープが加わることです。これがこの曲の宗教性を際立たせているように思います。「ピエ・イエス」と名づけられる、まとまった一曲(第4曲目)が、ソプラノの独唱で、静謐なメロディーですが、全曲の焦点というべきものです。
YouTube でさがしたら、ルチア・ポップの歌ったのが見つかりました。最後に、リンク画面を貼り付けておきます。
エディット・マティスの声が、この曲には合っていると思いますが、見つかりません。ボーイ・ソプラノで歌われるのを好む人も少なくないようです。
作曲者のガブリエル・フォーレ(1845-1924)は、パリのマドレーヌ寺院のオルガニストでした。そこで営まれる葬式でオルガンを弾いていたわけです。彼の何代か前のオルガニストが、サンサーンスだそうです。
マドレーヌ寺院は、マグダラ(これがマドレーヌ)のマリアをまつるお寺ですね。パリのほぼ真ん中にありました。コンコルド広場の北。ここで、ヴィヴァルディの『四季』の演奏会を聞いたことがあります。教会の中で聞く演奏の雰囲気はまた格別です。フォーレの『レクイエム』は、このマドレーヌ寺院で初演されたそうです。
アゲハチョウ
最近アゲハチョウを見かけることが多くなりました。蝶のことはほとんど何も知りませんが、アゲハチョウなら、名前が分かるのがいくつかあります。
数が多いのは、クロアゲハという種類だろうと思います。カラスアゲハのような赤い斑紋がないように見えますから。
キアゲハもときどき見かけます。柄が大きくていかにも「揚羽蝶」と呼ぶのにふさわしい。
どんな蝶を見ても、形や色の玄妙なのに感嘆しますが、とりわけ美しいと思うのがアオスジアゲハです。羽にエメラルドグリーンの筋が入っている、ちょっと小ぶりのチョウです。「造化の妙」というのはこういうのを指すのではないか、と思います。
モンシロチョウやモンキチョウは、子どものころ、家の近くの畑で見かけたものでした。虫になんの関心もなかったので、ほかの蝶のことは知らずに大人になりました。
学生のころ、寮で同室になったサワダさんが、あるとき毛虫を捕まえてきて、部屋の中で、葉っぱのエサ(柑橘類)を与えていました。しばらくして、サナギが天井近くの柱に落ち着きました。「もうすぐ羽化するよ」と聞いて、数時間(?)後だったか、部屋の中を、きれいな蝶が舞いだしました。それが、アオスジアゲハではなかったかと思います。
自分の子どもが小学生のころ、酔っ払って深夜に帰宅したら、マンションの入り口階段のコンクリートの壁で、今しも羽化する蝶を見つけました。急いで子どもを起こして羽化の瞬間を見せてやろうとしましたが、目を覚まさなかったので失敗に終わりました。
養老孟司先生とか、福岡伸一先生とか、かつての昆虫少年たちの書く思い出話を読むたびに、心の奥で少しばかり悔恨の気持ちが動くのを感じます。
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ピアノを弾くニーチェ
木田元先生は、もうすぐ81歳になるそうです。去年も新書を2冊もお出しになって、相変わらず元気な方だと思っていましたが、つい最近出版された『ピアノを弾くニーチェ』(新書館)の「あとがき」に、2005年に胃がんの手術をなさって、予後が悪くて大変だった、と書いてありました。そう言えば、『哲学は人生の役に立つのか』(PHP新書)にも、そのことに触れた文章があったのを思い出しました。
3年ほど前から、ふたたび旺盛な執筆活動を再開し、それをまとめたのが今度の本です。「読書余滴」「読書雑記」という二つの章(残る一つは『日本経済新聞』に寄せた「明日への話題」)が示すように、本をめぐる話題が中心です。ご専門の哲学の話も多いけれど、なにしろ、守備範囲が段違いに広い先生なので、私などが今まで触れたことのない分野の話が次々に繰り出され、目を見張る思いで読みました。
「俳諧小説の楽しさ」という一編がなかんずく興味深かった。別所真紀子という、ご自身も連句の雑誌を主宰する方の俳諧小説集を紹介しています。「連歌」という数人で作る俳諧のジャンルがありますが、その形式を短い文章で説明する、木田先生の手際のあざやかなことといったらありません。
「当時としてはそれほど珍しいことではなかったのだろうが、芭蕉には衆道(しゅどう)の好みがあり、尾張の弟子のなかでも杜國(とこく)や越人(えつじん)のような美青年たちを熱愛したらしい」という一節が出てきます。衆道というのは、今で言う「ホモ・セクシュアル」でしょうが、芭蕉には一時期同棲していた婚約者もいたということですから、「好みがあり」という用語の選択がたくみです。これを読んで、長年疑問に思っていたことが解けたような気がしています。芭蕉の『奥の細道』を通読したときに、随行した門弟、曽良(そら)と、近江かどこかで別れて、別行動をとることになったときの文章が妙に感情的なところがあって、この二人はただの師弟関係ではなさそうだ、と感じたものでした。妙にドキドキしたのを覚えていますが、たしかに「当時としてはそれほど珍しいことではなかった」のですね。
表題に取られた、「ニーチェのピアノ」のエピソードは、わずか700字の短文のタイトルですが、精神を病んで55歳で亡くなった大哲学者の晩年を一筆書きにした珠玉の文章です。ご一読をおすすめします。
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ストラットフォード
ストラットフォード・アポン・エイヴォンへ汽車で行くことにしました。ロンドンのパディントン駅からも現地へ行けるようなことが日本語のガイドブックに書いてあったので、そこへ行ったのですが、駅構内の案内所で、ここではダメ、メリルボーン駅から行くのだと教わってそちらに回りました。直行の列車は、日に7本くらいしかありません。
直行の一つ前の汽車に乗って、ストラットフォードの隣りのウォリック・パークウェイ駅からタクシーで行くつもりで、そこで降りました。駅前にはタクシーがいなくて、自分で電話をして呼ぶ仕掛けです。駅の中にいたおじさんが、ケータイでタクシーを呼んでくれました。19ポンドもしました。白タクみたいな車です。さっきのおじさんにお礼に1ポンド渡したので、運転手には、請求どおり19ポンドだけ払いました。キックバックがおそらく、あのおじさんに渡ると予想できたからです。本来は、もう一つ手前の駅で降りれば、そこからならタクシーが拾えたようです。おのぼりさん相手にちょっとしたアルバイトをしているようでした。こんど、ロンドンからストラットフォードへ行くときは、直行列車で行きます。
シェイクスピアの生家が博物館のようになっていて、見学できました。ひとり12ポンド。1800円くらいか。庭で、男女の俳優とおぼしいカップルが、シェイクスピアの劇の一場面を演じたりしていました。
昼食をとろうと立ち寄った喫茶店の名前が「ハサウェイ・ティー・ルーム」というところ。シェイクスピアが結婚したというアン・ハサウェイの名前を借りたものでしょう。『プラダを着た悪魔』に出た女優と同じ名前です。そこの2階で、フィッシュ・アンド・チップスなどを食べました。内部も16世紀のままのようになっています。「段差に気をつけて」などと注意書きが貼ってありました。ウェイトレスの一人が超美人だったので、その人もフレームに入るように撮影したのが一番下の写真です。彼女は、「邪魔をしてすみません」という意味でしょう、「アイム・ソーリー」と言ってました。こっちが言うべき科白なのに。
トレド
マドリッドの南70キロほどのところにトレドの街があります。旧市街全体が世界遺産に指定されているのだそうです。マドリッドのアトーチャ駅から特急で30分くらいかかりました。日帰りで行ってくることができます。
鉄道のトレド駅からバスで20分ほどで、旧市街の中心ソコドベル広場に着きました。その広場から、2両編成の窓なし遊覧車(ソコトレン)に乗って、1時間ほど、市街を外側から眺めながら一周する観光をしました。
西洋における街というのは、「城砦」であるということをこんなにはっきり残している場所も珍しい。
タホ川に囲まれているということですが、その川も水量が多いというものではなくて、あたり一帯がなんだか埃っぽいような感じでした。
この街は、ギリシャ人の画家エル・グレコが気にいって亡くなるまで住んだことで知られます。グレコの家は見物できるようですが、訪ねた当日はあいにく休館日で見られませんでした。
サント・トメ教会(聖トマス教会ですね)に、「オルガス伯の埋葬」という、エル・グレコの描いた大きな絵がありました。彼の最高傑作といわれる作品です。
城砦の街の常として、街路はおそろしく狭いものです。夏の日差しを防ぐために、両側の屋根に紐を結んだテント地の蔽いが、路に沿って張られていました。
ここの街には、リャドロ( Lladro )という有名な陶器のブランドの店が多いように見受けました。この地方から始まったブランドのようです。リャドロそっくりの、他のブランドの陶器(可愛い少女の立像など)も陳列している店がありましたが、リャドロより一桁安い価格のようでした。












