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追いはぎ貴族

 ある文章の中に「追いはぎ貴族」という熟語が出てきました。翻訳書です。

 たとえば、ジョン・ロックフェラーは《追いはぎ貴族でも偉大な慈善家でもなく、脱毛症に悩む普通のおじいさん》だった、と、孫のデイヴィッド・ロックフェラー自伝に出てくるんだそうです。私が見たのは別の本ですが、この熟語の意味が分からない。


 調べた限りでは、国語辞典にも百科事典にも項目としてあがっていません。それぞれは、むろん出てきます。

 追いはぎ:通行人をおどして金品を奪うこと、またそれをする人
 貴族:特権を世襲する上流階級


 「独身貴族」という熟語がありますね。「独身で、恵まれた境遇の人」を比喩的にそう呼びます。揶揄しているおもむきもありますが。
 「追いはぎ貴族」がそれとパラレルだとすると、「追いはぎで、恵まれた境遇の人」となって、なんだか、つかまる前の石川五右衛門のような感じになってしまう。


 ようやく、訳語のもとになった英語を見つけました。robber baron という熟語でした。robber は泥棒、baron は男爵ですね。研究社の大英和辞典には、このままの熟語が見出しに立っています。


 ①〔英史〕追いはぎ貴族《自分の領地内を通行する旅人に追いはぎを働いたり,人質にとって身の代金を強要したり,法外な通行税を取り立てたりした中世の貴族》.②(19世紀後半の米国の)追いはぎ成金《自然資源の乱掘・不正取引・労働者の搾取などにより財を成したと考えられた資本家・企業家》.


 この「追いはぎ貴族」という訳語は、大英和辞典の1960年の第4版にはすでにありました。《 》内の解説は20年後の第5版で、いっそう詳しくなったものです。


 ついでに、ランダムハウスの語釈を訳してみます。


 ①〔歴史〕自分の領地を通行する旅人からものを盗んだ貴族.②自然資源を勝手放題に開発したり、議員を買収したり、その他、人道に悖る仕方で富裕になったと見なされている、19世紀後半の、無慈悲なまでに強力な資本家・実業家.
 
 ランダムハウスの語釈の②が、現代の用法のようです。にわか成金(アメリカン・ドリームの体現者でもある)に対して、昔のイギリスの、悪辣な領主をおとしめて名づけた熟語を転用したものだそうです。研究社版は、この記述にならったものかもしれません。学習英和辞典は右へならえで、「追いはぎ貴族」という訳語を最初に掲げています。困ったもんです。


 ウィキペディア は「泥棒男爵」という訳語で通していました。「悪徳成金」くらいに意訳しておいてもらいたいところです。


てんとうむし       てんとうむし       てんとうむし       てんとうむし       てんとうむし

それでも恋するバルセロナ

 『それでも恋するバルセロナ』というタイトルに惹かれて、映画館まで足をはこびました。グエル公園もイグアナも出てきましたし、バルセロナ市内の風景(カサ・ミラも)もふんだんに出てきましたが、その場所がテーマになっている映画ではなかった。

 アメリカ人の女子・大学院生二人が、おそらく修士論文の題材をさがす目的で、夏休み、バルセロナに出かけます。ヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)が、そのふたり。(映画の原題は、Vicky, Cristina, Barcelona です。)ヴィッキーの親戚夫婦がバルセロナに住んでいて、そこに泊めてもらいます。

 画廊のパーティに出た二人に、あけすけな誘いをかけてきたのがフアン・アントニオ(ハビエル・バルデス)という絵描きです。北の大西洋岸の都市オビエド近郊の出身。オビエドを観光して、うまいものを食べ、そのあとは素敵なセックスをしようと、二人に持ちかける。こういうことを臆面もなく言えるのは、ハビエル・バルデムくらいの存在感がある男でないと無理でしょうね。

 アントニオの別れた奥さん、マリア・エレーナ役がペネロペ・クルスです。ペネロペはこれで、今年のアカデミー助演女優賞を獲得していました。映画の中ほどから、この元妻が出てくるのですが、そこから俄然、ストーリー展開がめまぐるしくなります。エキセントリックで、絵の才能は元亭主より断然上を行く、と当人が言い、亭主も肯定するのですが、一緒に暮らすのは難儀するだろうと思わせる激情型の女です。いまやスペインを代表する男女の俳優をキャスティングしたのは正解というべきでした。ひょっとしたら、この二人で映画を作るとしたらどんな話がいいだろう、というところからストーリーを決めたかと思わせるほどです。

 奇妙な愛情生活(元妻と、アメリカの女子大生とアントニオとの)がしばらく続きます。夏休みの終わりとともに、(予想された展開でしたが)ひと夏のアヴァンチュールが終わりを迎えます。

 監督はウッディ・アレン。状況説明のナレーションがくどいほど入ります。この監督の映画はいつもそうなので、肌に合わないと感じてきました。最近は、私の好きなスカーレット・ヨハンソンがよく起用されるので、なかばやっかみながら、つい見てしまいます。

 スパニッシュ・ギターの夜の演奏会が恋心に火をつける場面が出てきます。アルベニスの「スペイン組曲」の「アストゥリアス」(スペイン北西部地方を指す:オビエドあたり)も流れます。たしかに官能を刺激する名曲です。

 ついでながら、ペネロペは、バルデスの子を身ごもっていて、来年早々に生まれるようです。


ガウディ

 バルセロナの街には、サグラダ・ファミリアの他にも、ガウディの設計した家や公園があります。いたるところでガウディの形や色彩を目にすることになりました。


 中心部から2キロほど北にグエル公園というのがあります。もとは、ガウディが設計して、60戸の住宅を建設するはずだったのが、スポンサーのグエル氏が亡くなって計画が頓挫し、公園として残ったものだそうです。全体が小高い山ですから、街じゅうが見渡せる、見晴らしのよい公園でした。広大な面積に60戸というのは、おそろしく贅沢な住宅だったのでしょうね。


 公園の中心部がこれ。観光客が絶え間なく訪れていました。


パパ・パパゲーノ-グエル公園


 階段の途中に「ドラゴン」という名前のタイルの彫刻がありました。イグアナに見えますが。


パパ・パパゲーノ-ドラゴン


 このイグアナに対面する方向に、やはりタイルで造ったように見える塔がのぞめます。


パパ・パパゲーノ-ガウディの塔

 公園全体が「ガウディ・ワールド」なのでした。


 市内の中心部にも、ガウディ設計の集合住宅があります。カサ・ミラ(Casa Mira)という名前です。


パパ・パパゲーノ-カサ・ミラ

 このカサ・ミラの隣に「ビンソン」というおしゃれな家庭用品の店があります。家具、照明器具、文房具などを売っています。屋上に登ったら、カサ・ミラの真裏が見えました。


水のたわむれ

 いつかの「題名のない音楽会」に出てきた若いピアニストを、佐渡裕さんが「ノブくん」と呼んでいたのを覚えています。それが、辻井伸行さんのピアノを聴いた最初でした。クライバーン・コンクールで優勝したのが、あの「ノブくん」だと知ってびっくりしました。3週間ほど前に、番組に再登場して、万来の拍手を浴びていました。最後に弾いた、コンクールの課題曲(現代音楽)の演奏がすばらしかった。素人の私が耳にしてさえ、高度の技巧を要求される曲です。ただ技術的に優れているばかりではなく、演奏の音楽的説得力とでもいうべきものに圧倒されました。審査員が高い点を与えたのもむべなるかな、と感じました。

 その辻井さんの、演奏した「川のささやき」というのを YouTube で見つけました。動画は出ませんが、気持ちのいい演奏です。作曲者はだれだか分かりません。途中、ドボルザークのヴァイオリン曲「ロマンティック小曲集」のメロディーとそっくりな旋律があらわれます。

 いわゆる描写音楽として聴く必要はないでしょうが、「川のささやき」という名前とピアノの音の流れから、自然にモーリス・ラヴェルの「水のたわむれ」に連想が及びます。こちらは、マルタ・アルゲリッチです。

 こういうコロコロころがるピアノの音はまことに耳に心地よいものですね。音楽的連想はさらに、シューベルトの即興曲(作品90・第4曲)にいたります。こちらはツィマーマン。いつも聴いている内田光子と印象が違います。こうやって、たちまち、即席レコード・コンサート(という言葉もなくなった)ができるなんて、いい時代ですねえ。






バブキン反射

 新生児の手のひらに圧力を加えると口を開ける。これを「バブキン反射(Babkin reaction)というのだそうです。下に YouTube からダウンしておきます。

 口と手とが共通の機能体系に属していることを示唆しているのだそうです。

 反射といえば脚気の検査(昔は身体検査で必ずあったような気がします。今はないのかな)で、固いゴムのハンマーで、膝外側を叩くとピクンとするのでした。腱反射と呼ぶのだそうです。

 『ミラーニューロンの発見』(マルコ・イアコボーニ、ハヤカワ新書)で初めて知りました。この本に赤ちゃん指しゃぶりについても、「指を口に入れていつまでもしゃぶっている。そして親でも気づいていないかもしれないが、このとき新生児は手を持っていく前から口を開けている」「赤ん坊が人差し指を伸ばすとき、たいていは同時に口も開いていて、場合によっては声もでる」という記述もあります。手と口とが連動するというのが面白い。観察してみたいけど新生児はそばにいません。

 この本はまだ途中ですが、じつに刺激的です。