tkts (ティケツ)
ニューヨークのタイムズスクエアに tkts というチケット発売所があります。この間、新装開店したようで、冷房もきくようになって、中の係員が大助かりなんだと、テレビで放映していました。改装中は、近くのビルの1階を間借りして販売していました。それ以前、tkts (ティケツと呼ぶようです)の窓口へいたるまでに、ながーい行列に並んだこともあります。暑い日だったので汗だくになりました。
さて、ここで買えるチケットは、ブロードウェイ・ミュージカルを中心にした当日券です。うまくいけば、50%引きなんてこともあるので、みんな並んで待っているわけです。新しい「チケッツ」は、買うほうも冷房の恩恵にあずかれるのでしょうね、おそらく。
同じ名前の、同じ仕組みの施設がロンドンにもありました。レスター・スクエアという公園の一隅です。何年か前に、東京で言えば「大黒屋」(ディスカウント・チケット・ショップ、ビール券、新幹線切符なども)のようなお店で、ミュージカルのチケットを買おうとしたことがありました。買えなかったけれど。
ロンドの tkts は、劇場組合のようなものが経営している、いわば「公式当日券売り場」です。劇場の切符売り場(ボックス・オフィス)で余った分を、ここで売りさばいているようです。半額だったり、30%引きだったりします。『天使にラブソングを』という映画を、ミュージカルに作り直した舞台を、半額で見ることができました。1階のストール席、A席のような場所。からだが思わず動き出す、リズム感あふれるショーでした。
別の日に、『オペラ座の怪人』を買いに行ったら、売り切れでした。仕方なく、すぐそばにたくさん店をかまえている安売りチケット屋(これが、レスター・スクエア界隈に10店舗ではきかないくらいある)で、手に入りました。まあ、合法的ダフ屋といったおもむきです。こちらは3階席でしたが、「怪人」が、舞台の前方てっぺんで歌を歌ったりするので、「天井かぶりつき」みたいな迫力がありました。
むかし、『ミス・サイゴン』というミュージカルの切符がとれなくて、やむなく、劇場の前にいたダフ屋から買ったことがあります。ずいぶん、ボラれたことを思い出しました。そのころ(15年ほど前)に比べれば、ロンドンのチケットも入手しやすくなっているような気がしました。
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「お目にかかられた」?
石原裕次郎の23回忌ということで、テレビや週刊誌に彼の名前を見ることが多くなりました。
4日(土曜日)夜に、テレビ朝日系列で追悼特別番組があって、リモコンをあわせたらたまたま天海祐希が渡哲也にインタビューしている画面に出会いました。渡がいかに裕次郎に心酔していたかがよく分かりました。天海祐希さんは、ときどき涙をこらえながら、渡の話を聞いています。
途中、こう聞きました。「最初に(裕次郎さんに)お目にかかられたのはいつですか?」
渡哲也がどう答えたか覚えていませんが、この「お目にかかられた」はヘンな敬語です。
「お目にかかる」は「会う」の《謙譲語》です。「先生にお目にかかる」(先生に自分が会う)のように、自分の動作(行動)について、へりくだって言う場合に使う。それなのに、「お目にかかられる」と、《謙譲語+レル敬語》というねじれ表現になってしまいました。「最初に会ったのはいつですか?」と動詞を敬語体にしないほうが、まだしも自然な言い方でした。「最初に会われたのはいつですか?」でもOKでしょう。「最初にお会いになったのはいつですか?」でもよい。
私は、いつかも書いたように、「レル敬語」をできるだけ使わないようにしています。受身と同じ形になることが多くてまぎらわしいからです。自動詞の場合でも、「今度の旅行はどこに行かれたんですか?」などは、「イカレた(ちょっとアタマがおかしい)」と連想が重なって気持ちが悪いのです。
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バルセロナ大聖堂
コロンブスがアメリカ大陸の旅から帰ってイサベラ女王に見聞の報告をしたという、「王の広場」の隣に、大聖堂がありました。
聖堂の中に入る服装の指示の絵が、入口にありました。袖なしのシャツはダメとか。
特別な観光スポットでもなさそうで、午後1時だか1時半だかまで待って入場した人数も10数人くらいでしたか。
チャペルごとに由緒を書いたプレートがありましたが、メモしなかったので、どなたにゆかりの画像なのかみんな忘れました。「屋根の上に登ることができる」という意味の掲示が英語で書いてある狭い部屋があったので、進んでいきましたら、エレベーターにどうぞと、そばにいたお坊さん(見習い?)が手で示してくれました。3階まで登る。1階分が高いので、3階で外へ出たら、それがこの聖堂の屋根なのでした。
ケルンの聖堂や、フィレンツェのドゥオーモのてっぺんへ登るときのように、何百段も石の階段をあがる覚悟をしていましたから、拍子ぬけしました。最初は、同行者と二人きりでしたから、バルセロナの空を独占しているような気分です。
写真は、屋根の上にあった十字架です。ずっと向うに地中海の海面がのぞめます。階段状の石の写真は、雨どいですね。くぼみに雨水がたまり、傾斜のついたところを流れて次のくぼみに至る。そういう仕掛けのようでした。こんな写真を撮る人もいないでしょうけれど。
最後のは、サグラダ・ファミリアの裏側を撮ったもの。壁面にカラフルな文字で、SANCTUS(聖なるかな)という聖家族をたたえる句が、何十も貼り付けてあるのでした。
カタルーニャ音楽堂
バルセロナはガウディの街として有名ですね。いまだに建築途中の「サグラダ・ファミリア」教会の威容も圧倒的でしたが、街の中にも、ガウディ設計のアパートや、個人の邸宅(グエル邸)があったりしました。北の方の高台に、グエル公園という公園があって、そこからの眺めも素敵でしたが、ガウディ設計の「あずまや」みたいなものもありました。写真も撮ってきたので、後日ご紹介します。
カタルーニャ音楽堂は、ドメネクという建築家が設計して1908年に完成したコンサート・ホールなのだそうです。ここのバック・ステージ・ツアーに参加しました。ひとり12ユーロ。英語の解説付き。
内部の写真撮影は禁止されているのが残念です。ステンド・グラスだと思いますが、2階の両側から、色あざやかな光が差し込んで、それは綺麗な光景でした。昼間の演奏会を聞くことを薦めます、とガイドさんが言ってたのに納得しました。こぢんまりしたホールに見えましたが、客席数は2000近いそうです。
もともと、市の合唱団の演奏会場として作られたもののようです。今では、オーケストラから室内楽までなんでも演奏されるようです。この日も、夜のコンサートの準備作業が進行していましたが、出しものは、モダン・ジャズのようでした。
ここも、世界遺産に登録済み。途中、正面のパイプ・オルガンを自動再生してくれましたが、音響効果も申し分のない響きでした。客席で聞くより、舞台に立って歌ってみたくなる会場でした。
下の写真は、ネットから引っ張ってきたものです。これは2階(メザニン=中2階があるので、実際は3階)正面から見たパイプオルガン【両脇も客席になっているのが、クリックして大きな写真にするとよくわかります】と舞台(床は少ししか見えていません)。天井に貼り付けになったシャンデリアの色もじつに美しいものでした。
白昼堂々
マドリッドの地下鉄で、連れ合いはドアの近くに立っていて、私は中のほうにいた。どの駅だったか、乗り込んできた若い女が、まだ20代だろうなあ、スッと、ドア近くの連れ合いのそばに寄っていくのが見えました。あれ? これはひょっとするとスリか、と思ったのは見ていた私だけではなかったようです。身体をほとんど押し付けるように前に出てくるのを、身をかわしながら離れることに成功していました。その間、かのスリ女は、無表情のまま。「おやバレたか、これは相手を間違えた」、というような変化をこれっぽっちも見せないのですね。商売だから、うまくいくときもいかないときもあるわさ、というような按配でした。
別の日、別の駅で、停車して開いたドアの反対側に立っていた私のところへ、こんどもまた、若い女(先日とは明らかに違う)、これも20代だろうなあ、目を見張るというほどではないけれど、まずまずの別嬪が、ツカツカと寄ってきました。脱いだカーディガンを両手に持って、手の動きを隠しています。私は、小さいショルダー・バッグを腹のところにもってきていたのですが、それを目がけて、ぐいぐい身体を押し付けてきます。あとずさりし、身体をねじって身をかわしましたよ。この女も無表情なまんま、次の駅で降りていきました。なんというか、1日の収穫のノルマがあるような、それにしては投げやりな仕事ぶりでした。
悪びれずに押し出してくるので、気の弱いカモなら身がすくむのかもしれません。私は、気が強いわけではないのですが、あんまり見え透いた手口なので、即座に対応することができたというわけです。これから観光シーズンたけなわになりますから、お出かけの予定の方はくれぐれもお気をつけてくださいね。
地下鉄を利用する現地の人々は、スリ行為(未遂)に気がついてはいるようでしたが、さしたる反応も見せません。美少女(これがまた数多いの)に目をとられて、そのスキをねらわれないようにしなければなりませんね。
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