行く河の流れは | パパ・パパゲーノ

行く河の流れは

 行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。


 『方丈記』の有名な書き出しです。「よどみに浮かぶうたかた」は、川がちょっと蛇行したところに生じる「泡」のことでしょう。いま川を流れている水は、さっきの水とは違う、という前段の表現を、クローズアップして、水の泡に着目して言い換えたもののようです。初めて、この文章を読んだとき(高校生のころ)は、「汚い淀みに浮かぶ、土が付着したような泡」だと思ってしまいました。


 この文章は、作者、鴨長明が無常感を表明した、一種のスローガンのように教わりましたが、「無常」という言葉には「あきらめ、はかなさ」という意味も無論あるでしょうが、人間の世界というのは、つまりそういう(「久しくとどまりたるためし」のない)ものなのだなあ、という、事実認識の表明に聞こえます。年をとると、そのことがひとしお身に沁みてきます。


 最近、この表現を、いつも言及する福岡伸一先生の「動的平衡」の説明文の中に見つけました。細胞の中は、分子状態の栄養分や老廃物が、しょっちゅう出たり入ったりしている、それでいて一個の安定した細胞である。ということが、アイデアとしてはすでに『方丈記』に記されていた、という趣旨の説明でした。


 13世紀初め、鎌倉時代に書かれた文章が、現代にも強く訴える力があることに驚かされます。


 『方丈記』については、堀田善衛に『方丈記私記』という本があります。今はちくま文庫に入っているようです。単行本出版当時(1970年代)に読んで、名著だと思ったきり再読はしていませんけれど、もう一度手に取りたい本の1冊です。


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