欧陽詢
【4月17日付記:貼り付けたつもりの写真が別のパソコンでは見ることができなかった。そうなってしまう方もいらっしゃると思います。どうすればいいのかまだ分かりません。グーグル・イメージで、書家の名前を入力すると、それぞれの文字を見ることができます。お手数をおかけすることになってすみません。】
小学生のころ、習字の教室に習いに行ってました。近在の書道教室の元締めとも言うべき先生は、蒼龍と号して、顔真卿の書風をよくする方でした。酒造会社の看板文字や酒ビンのラベルの文字が、この先生の手になるもので、町じゅうに顔流文字があふれていたと言ってもいい。市役所の看板もこの方の筆になるものだったと思います。
顔真卿の文字はこんなものです。もうすこし右肩上がりの字もあったと思います。 少年時代はこの字にあこがれました。
大人になってからは、王義之(おうぎし)と欧陽詢(おうようじゅん)の書が好きになりました。王義之と書きましたが、義の字は「我」の左下が「乃」みたいな少し複雑な字です。ちなみに、欧陽詢は欧陽が苗字で、詢がファーストネームなんだそうです。
三人とも中国の古い時代の書家ですね。
写真は、ネットで拾ったものですが、二玄社という書道の専門出版社から拓本を書物にしたものがいくつか出ています。
写真の処理の仕方がむずかしくて、手間がかかってしまいました。
すこしずつ勉強していきますね。
気まぐれベスト・テン
若い頃から、ときどき、その日の映画ベストテンを選ぶという遊びをやっていました。一人遊びのときも、遊び相手のいるときもあった。それまで見た映画から10本を選ぶ。西部劇10本、戦争映画10本、恋愛映画10本など、ジャンルごとにやってもおもしろい。久しぶりにやってみますね。今日は無ジャンルで、思いつくまま、私のベストテンです。1位から10位というのではなくて、どれがどの順位にきてもおかしくない10本とご理解いただきたい。
『リオ・ブラボー』(ハワード・ホークス監督)
高校1年のときに田舎の映画館で(おそらく)はじめてみた西部劇。そのあとも5回くらい映画館に行きました。ディーン・マーティンがアルコール中毒で手がふるえる、もと保安官の役だったと思う。現職の保安官がジョン・ウェインで、助手に抜擢されるのがリッキー・ネルソン。ドサまわりの酒場の歌手が、アンジー・ディキンソン。音楽が、ディミトリ・ティオムキン。「皆殺しの歌」という、トランペット・ソロが、カッコよくてよくて。それが吹きたいばっかりに、トランペットの練習までしましたね。ときどき、映画チャンネルで放映するのを見ますが、少しも古くなっていません。リッキーが、悪役の気を引きながら、すかさずライフルをジョン・ウェインに投げ渡すシーンなんて、真似して何度かやったものです。
- ワーナー・ホーム・ビデオ
- リオ・ブラボー
画像は『リオ・ブラボー』だけにして先へ進めます。
『東京物語』(小津安二郎監督)
この映画の悪口を書いたひとを知りません。笠智衆と東山千栄子の老夫婦が、尾道から汽車に乗って、東京で一家を構えている長男・長女(山村聡・杉村春子)を訪ね、旧友たちに会い、嫁(原節子)と末娘(香川京子)のいる尾道の家に帰ってくるというだけの話ですが、日本の(とくに戦後における)家族というものの核心をついた作品ですね。
『にっぽん昆虫記』(今村昌平監督)
左幸子主演。実の妹・吉村実子が娘の役。父親が伊藤雄之助北村和夫【20日訂正】。パトロンが河津清三郎。あやしげな宗教の主宰、じつは売春の差配師が北林谷栄。他にも、日本映画を代表する役者が勢ぞろいしています。貧しく生まれた者がのしあがるためには、何をしなければならなかったか。大きく言えば、日本における近代とはなんであるか、ということでしょうが、理屈は抜きにしてもストーリーの面白さは群を抜きます。
『田舎の日曜日』(タベルニエ監督)
フランス映画。役者の名前は覚えていません。都会から車で1時間くらいの田舎に、絵描き(?)の父親が一人暮らしをしています。そこへ、長男(?)一家と、妹(独身)が、ある日曜日に訪ねていく、という話。妹のほうは、実りそうもない恋に消耗しています。せいいっぱい虚勢を張っているのが痛々しい。幸せそうに振る舞う長男家族も、タテマエだけの家族じゃないか、と見透かされてしまう。秋の、目のさめるような風景の中で話は展開します。
『ホテル・ニュー・ハンプシャー』(トニー・リチャードソン監督)
ジョディー・フォスター主演。ナスターシャ・キンスキーも出ていた。ある不思議なアメリカ人一家の物語です。『ホフマン物語』の「舟歌」のメロディーが印象的に使われています。
『モーリス』(ジェイムズ・アイヴォリー監督)
E・M・フォースター原作の映画化。同性愛という愛が、どういうものであるか、私にも分かったような気がしました。
『日の名残り』(これもジェイムズ・アイヴォリー監督)
カズオ・イシグロの同名の小説の映画化。アンソニー・ホプキンズ扮する執事が、エマ・トンプソン扮する女中頭に激しく恋心をいだきながら告白できないまま、別の男と結婚したエマに会いに行く。第2次大戦をはさんだイギリスの政治状況がよく分かる。
『愛の狩人』(マイク・ニコルズ監督)
ジャック・ニコルソン、アート・ガーファンクル(サイモンとデュオを組んだあの)、アン・マーグレットが出ます。みんなまだ若かったころの映画。若い男のアソビのつもりがだんだん深間にはまっていく感じをよく伝えています。アン・マーグレットの身を焦がすしぐさがかわいそうだったのが記憶にあたらしい。
『夏の嵐』(ルキーノ・ヴィスコンティ監督)
アリダ・ヴァッリの美貌が輝く一本。その姿が見たくてとうとうDVDを買ってしまいました。銃殺されてしまう恋人の名前(フランツ)を絶叫するシーンのあわれさが後あとまで残ります。
『フォレスト・ガンプ』(ロバート・ゼメキス監督)
ご存じ、トム・ハンクスのオスカー獲得作品。走るフォレストが魅力的でした。無垢をよく映像化したと思います。
10本は多かった。こんど書くときははベストファイヴくらいにしましょう。
米原万里
日本人の死亡原因の第1位は、依然としてガンなんですね。今年2月に池田晶子さんが46歳でガンでなくなりました。私は、池田さんのよい読者ではありませんが、まだまだ書きたいことがいっぱいあっただろうに、そして、彼女のメッセージがたしかに届いていた(若い)人々が少なくないようだったのを知るにつけ、痛ましさがつのります。
米原万里さんも、去年の5月ガンでなくなりました。享年五十六。『週刊文春』の、5人交代のひとりとして書いていた「私の読書日記」は待ち遠しかった記事です。最後の頃は、ガン関係の本のよしあし、治療してもらった医者への不信感、など、ご自身の病気を、同病の人々の参考になるようにと、痛々しいほどの筆致で書き進めていました。最近文藝春秋から出た『打ちのめされるようなすごい本』の中には、それらを含め、彼女がこの10年ほどの間に書いた書評が収められています。「食べるのと、出すのと、読むのが早いのが自慢」と、「男っぽく」豪語するだけあって、守備範囲の広さには目を見張らされます。
出す本出す本、何かの賞をもらってしまう筆力はすごいものでした。
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(いま角川文庫)は、大宅賞受賞作。プラハのソビエト学校の女子同級生3人の人生をたどる物語ですが、ヨーロッパ世界の、目に見える、あるいは目に見えない、せめぎあいの中で、人が(とりわけ女が)生きていくとはどういうことか、が、かわいたユーモアにつつんだ達意の文章から切々と伝わる労作でした。
『オリガ・モリソブナの反語法』(集英社文庫)は、ドゥマゴ賞。やはり、ソビエト学校のバレエの先生をモデルにした、こちらは創作でしょう。国家というものが持ってしまう、ある種の「おぞましさ」が活写されています。
彼女の真骨頂は、なんというか「上品な与太話」とでも言いたい本のほうによくあらわれています。『不実な美女か、貞淑な醜女か』(新潮文庫)がおすすめ。これだって読売文学賞を受賞しています。ほかに『旅行者の朝食』(文春文庫)など。
もはや新たな米原文を読めないのはかなしいことです。
スーブレット
『フィガロの結婚』(また、フィガロで恐縮です)の主役は、芝居としても音楽としてもスザンナだと思います。伯爵夫人ロジーナの小間使いですね。このスザンナと、伯爵の従僕フィガロとが結婚する一日を描いた、オペラ・ブッファ(ドタバタ喜劇)がこの作品。
スザンナのような役どころを「スーブレット」と言うのだそうです。「スブレット」、ときには「スプレット」と表記されたりするので、なんだろう、と思ってきました。調べてみました。
元フランス語の soubrette 、そのまま、英語でも同じ綴りで使われる。
もっと前はプロヴァンス語、そのまた前はラテン語だそうですが、省略。
『スタンダード佛和辞典』(大修館書店、1957 初版)の、訳語がおもしろいので引用しますね。
soubrette (きびきびして,はすっぱで,情事のたくらみなどをする)喜劇の小間使(侍女)〔の役〕
「情事のたくらみなど」の、「など」は何なのでしょうね。たしかに、スザンナは、アルマヴィーヴァ伯爵の気をひいて、触れなば落ちん、というところまで行って、するりとかわす手管などみごとなものです。
イレアナ・コトルバシュや、アリソン・ハグリーが演じたスザンナは、どちらも「きびきびして」「たくらみ深い」ところ、優劣つけがたい魅力がありました。
ヨハン・シュトラウスの『こうもり』におけるアデーレも「スーブレット」の典型です。TDKから出ているDVDで、グルベローヴァがあんなに上手にアデーレを演じるのですから、彼女のスザンナも見てみたかった。残念ながら、録音も録画もないようです。
斎藤秀三郎
毎年松本で開かれる、サイトウ・キネン・フェスティヴァルというものがあるそうです。小沢征爾が指揮棒を振ることの多いコンサートですね。小沢の先生である、斎藤秀雄を記念する、という意味でしょう。中丸美繒の『嬉遊曲、鳴りやまず』(新潮文庫)は、斎藤秀雄の伝記です。戦争中にドイツ人(?)の奥さんと別れざるを得なかった話があったりして、切ないところもありますが、日本の洋楽を育てた逸材の人柄がわかりやすく描かれていました。
斎藤秀雄は、斎藤秀三郎という、明治時代の英学者の家に次男として生まれました。この父親が、まあ、破天荒な勉強家でした。いま、岩波書店から出ている『熟語本位英和中辞典』(豊田実・増補版)が、数多い著作の粋を結集した代表作です。英語の勉強が好きな人だったら、いっぺんで魅力にはまる個性的な辞書です。本屋で見かけたら、見出し語 with のところだけでも目を通してみてください。おもしろいですよ。今でも覚えている例文、
Love laughs at distance. 惚れて通へば千里も一里
訳文のこういう感じもじつに好ましい。
勉強のさまたげになるからと、娘の結婚式に出るのも渋ったという学者です。ロンドンに生まれるはずが、間違って仙台に生まれた、と言ったこともあるそうです。イギリス人の素人芝居を見て、シェークスピアの発音を直してやったとか。
1960年に、大村喜吉著『斎藤秀三郎伝』(吾妻書房)が出ています。出た直後に、高校の英語の先生が貸してくださったのを読みました。伝記・自叙伝の類に手がよく出るのは、そのときの感激が残っているからかもしれません。現在発売中か否か調べていません。大きな図書館なら蔵書になっているはずです。これもおすすめの一冊です。


