パパ・パパゲーノ -142ページ目

レニー・ゼルウィガー

 『コールドマウンテン』はご覧になりましたか? ニコール・キッドマンが、かつて一度キスをしただけのジュード・ロウをひたすら待つという、いまどきめずらしいストーリーでした。ジュードは南北戦争にでかけた兵士で、脱走して(だったと思う)、恋人の待つふるさとに歩いて帰ることになります。ロードムービーのジャンルにはいるのでしょうね。途中で、ナタリー・ポートマン演ずる若いお母さんを助けてやったりする。ナタリーは、『レオン』に出たあの少女ですが、美しく成長しました。


 さて、ニコールの生活を助ける役の農婦を、レニー・ゼルウィガーが演じています。『ブリジット・ジョーンズ』の、こましゃくれたようなかわいらしさは微塵も出さずに、野太い、頼りがいのあるお姉さんになりきっています。「父帰る」の父のような、だらしないおとっつぁんにも悪態をつきながらもやさしくしてやったり、隠していたイロケをちょっとのぞかせたりもします。


 レニーの、今にも泣き出しそうな顔が邪魔になるときもありますが、はまり役を得たときの表現力は一頭地を抜いています。最近では、ラッセル・クロウの奥さんを演じた『シンデレラ・マン』がそうでした。ハリウッド映画の人情ものも、私の好きなジャンルのひとつです。

チェチーリア

 ラジオのイタリア語講座を聞いています。


 発音が面倒なところが少ししかないので習いやすい。

 ce, ci は、チェ、チと読みますね。メゾ・ソプラノの歌手、

 

 Cecilia Bartoli


は、チェチーリア・バルトリになる。さて、未だにどう発音してよいか分からないのは、


 cia, chio


など。


 ciao は、「チャオ」でよいようです。Luciano Pavarotti は、「ルチャーノ・パヴァロッティ」と聞こえました。


 では、Lucia di Lammermoor はどうでしょうか? 「ルチャ」となるかなあ。ふつうは「ルチア」ですよね。

 同様に、Ponte Vecchio は、普通は「ポンテ・ヴェッキオ」と「キオ」の2重母音で発音するはず。「ヴェッキョ」なのかしら。

 アクセンントが落ちるときは拗音で、そうでないときは2重母音でしょうか?


Mommy-Famiglia さん教えてください。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ

 明日の分を今夜書きますね。


 ベートーヴェンは、 「月光」も「悲愴」も「熱情」も、じつによく聞きました。アシュケナージも素晴らしいけれど、何と言ってもバックハウスの演奏です。バルトークがピアニストになるのをあきらめたのは、コンクールでバックハウスと一緒になったからだ、と、いつか読んだことがあります。

 神品とも言うべきなのは、「テンペスト」です。第3楽章、アレグレットで、

 

 ミドシラー ミドシラー ミドシラー ミドラシ  


と行くやつ。「走る(疾走する)悲しみ(tristesse allante)」という、小林秀雄がモーツァルトの音楽について、アンリ・ゲオンを引用して有名になった形容句があります。小林はおそらくバックハウスのこのピアノを聞かずに書いたのだと思いたいくらいです。


 

澄むと濁るの違い

世の中は澄むと濁るの違いにて

刷毛に毛があり 禿に毛がなし


という狂歌がありますね。清音と濁音による意味の差をおもしろおかしく詠んでいる。

 

 セントラル・リーグの野球チームの名前は、こうなっています。


 中日ドラゴンズ・阪神タイガース・東京ヤクルトスワローズ・

読売ジャイアンツ・広島東洋カープ・横浜ベイスターズ


 さあ、この、タイガースの最後がではなくであるのはなぜか? 考えて分かるというものではない。そういうことになっている、としか言いようがないのでしょうね。

 同じことは、松井秀喜が現在所属する、


 ニューヨーク ヤンキー


にも言えます。英語読みなら、ヤンキーではないだろうか? ほかにも、


 アンソニー・ホプキン  キャサリン・ジェンキン  


などもある。いわゆる同化現象で無声化したのではなさそうです。不思議なことだと感じてきました。


タカハシ先生から教わった、日本語の無声化を代表する例句。


福助靴下(ふくすけ くつした; fukusuke kutsushita


これは、母音が無声化するケース。

ついでに、よく耳にする、気になる無声化現象。


料理の調理法(材料も含む?)を示す、

レシピ(英語は recipe、ローマ字で表記すれば reshipi


関西では、このの母音を有声で発音するのでしょうか?

 

吉田一穂

 グルベローヴァのリサイタルを一緒に聞いたSさんから、学生時代に吉田一穂(いっすい)という詩人を教えてもらいました。ばかりではなく読書万般についての私の師匠です。ときどき口をついて出る一穂の詩句。


病みて帰るさの旅の津軽海峡  (月は傾く…)


ああ麗しいデスタンス

つねに遠のいてゆく風景…

悲しみの彼方 母へのさぐり打つ夜半のピアニッシモ


 二つの詩のアタマの部分です。2番目の詩(母というタイトルだったか)など、「母恋歌」としては空前の作かと思います。三好達治の、


母よ 

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花いろのもののふるなり


のセンチメンタリズムも悪くはないけれど、吉田作品の凛としたたたずまいには及びません。


ついでながら、いまスクリーンセイバーにしているのは、西脇順三郎のこれ。


くつがえされた宝石のような朝

何人か戸口にて誰かとささやく

それは神の生誕の日