パパ・パパゲーノ -139ページ目

徳永康元

 徳永康元(とくなが・やすもと)先生は、2003年、91歳のお年で旅立たれました。明治45年(1912)のお生まれという。黒い風呂敷にたくさんの本を包んで、神田の町を歩いておられたのを見かけた人も少なくないでしょう。ときどき私が勤めていた会社にお寄りになって、記録しておかないともったいないような話を、次から次へと開陳してくださいました。

 バルトークが、ハンガリーからアメリカへ亡命する前に行なったピアノ・リサイタルを聞いたのだとおっしゃった。


 亡くなった次の年、2004年8月に、徳永康元著『ブダペスト日記』(新宿書房)という本が出ました。ブダペストへ留学した、1940年から42年までの日記が、他のエッセイなどとともに活字になったものです。

 ハンガリーに着くまでに長い時間がかかったころですから、いろいろな国での見聞が綴られています。

 ブダペストで最初に泊まったホテルの名前が「セントゲレールト」と書いてあります。私が2004年6月、つまり本が出る直前にブダペストで泊まったのが、このホテルでした。ご縁というものか、と、いたって月並みな感慨を覚えました。


 前に出版された『ブダペストの古本屋』『ブダペスト回想』(いずれも恒文社)と共に、ブダペスト三部作と言うようです。


 徳永先生は、他の人なら、100枚くらいになりそうな内容を、800字とか、多くても10枚くらいにまとめてしまわれる方でした。

 時にそっけない印象を与えることもありますが、ムダのない文章で、必要なことはきちんと伝わります。


 日記は、さすがに、備忘録として書かれたものですから、若い頃の先生の肉声が聞こえてくるような、親しみを感じさせます。

  

テノールの歌い手たち

 三大テノール(ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラス)たちが、往年の輝きを消しつつあります。年なんだから止むをえません。ドミンゴなんて、出ずっぱりでしたから、もう休んでもだれも文句は言わないと思う。

 

 彼らにとって代わるテノールもたくさん出ているようです。3人込みでなくともよいわけです。


 現役のテナーで注目しているのは、次の人々。


 まずは、アンドレア・ボチェッリ(Andrea Bocelli)。盲目のテノールですね。なのに、そばに来た若い娘が、ブロンドだと言い当てたのをテレビで見たことがあります。軽めの伸びのいい声が素敵ですね。


 アレッサンドロ・サフィーナ(Alessandro Safina)という若手(といってもボチェッリと同じ年格好)もいいです。『メリー・ウィドウ』のダニーロをイタリア語で歌うのを見たことがある。どちらかと言えば、高い声も出るバリトン歌手といった印象でした。ドミンゴもそうですよね。古い友人のカザト君は、大胆にも、ドミンゴに直接そう言ったことがあるそうです。


 ラッセル・ワトソン(Russel Watson)は、サッカーのワールド・カップ(?)の開会式で、「誰も寝てはならぬ」(荒川静香が使って有名になったあの曲)を歌っていちやく名をあげた歌手。わりと小柄で、やんちゃ坊主の雰囲気を残していました。2年ほど前、オーチャード・ホールのリサイタルを聞きました。


 かつてのテノールで、記憶しておきたい歌手たち。


 マリオ・デル・モナコ:トランペットのような輝かしい声。カヴァラドッシはこの人のが一番好きです。

 

 アルフレード・クラウス:おでこに小さい穴があると思って、そこから声を出すように、と若いテナーたちに教えているのだそうです。コロラトゥーラというのは、テノールにも言うそうですが、その典型みたいな声を出す。


 カルロ・ベルゴンツィ:『ラ・ボエーム』のロドルフォがなんともよかった。


 ペーター・シュライヤー:ドイツ人のテノールも何人も聞きましたが、知的な響きがぬきんでている歌手です。


 まだまだいるけど、とりあえず以上。

 


 

中野幹隆

  中野幹隆(なかの・みきたか)さんも、今年の1月にガンで亡くなりました。1943年生まれですから、1歳年上の人です。哲学書房という出版社を起こして、魅力的な本を出し続けました。一昨年のことだったか、久しぶりに電話をかけてこられて、近いうちに一杯やりましょう、と言ったままになりました。声をきいた、それが最後です。

 

 中野さんは、若い頃から、知る人ぞ知る編集の達人でした。知遇を得たときは、青土社の『現代思想』の編集長でした。その前は、『パイデイア』(竹内書店)の創刊からのスタッフ、さらにその前は『日本読書新聞』の編集長でした。お会いできたときは、野球少年が長嶋茂雄さんにあったら感じるだろうような誇らしさを感じたものです。一つしか年が違わないなど、思いもしなかった。


 哲学書房を作る前にいた、朝日出版社でも『エピステーメー』という、哲学・思想の雑誌を編集していました。


 一貫して思想の書物を作っていました。私が、中村雄二郎先生の原稿をいただきに行ったときだと思いますが、中野さんも同じ場所で先に原稿をもらい、先生の目の前で今もらった原稿に目を通していました。読み終わって、感嘆のためいきをもらし、「すばらしいです」という意味の感想をおっしゃった。ああ、著者に対してはこういうふうにするのか、と大いに勉強になったものです。

加舎白雄

 加舎白雄(かや・しらお)は江戸時代の俳人です。この名前は、蛇尾という俳号をもつ先輩に教えてもらいました。私を俳句の世界に導いてくれた方です。下のサイトに白雄の句がたくさん出ています。


 http://www.geocities.jp/haikunomori/chuko/shirao.html


 白雄の句で私が好きなのは、こんなものです。


 すずしさや 蔵(くら)の間(あい)より 向島

 (とり)の嘴(はし)に 氷こぼるる 菜屑かな

 菖蒲湯や 菖蒲寄りくる 乳(ち)のあたり


 第1句:隅田川をはさんで浅草側から見ているのでしょうね。川の水が飲めたころの夏の光景。

 

 第2句:田舎育ちにはなつかしい景色です。凍てつく晴れた朝でしょうか。にわとりの動くさまが見えるようです。

 

 第3句:白雄の代表作と目される句。豊満な乳房を想像しますよね。そう解釈する人は多い。先の、蛇尾さんは、風呂をつかっているのは武士だと思う、とおっしゃいます。「しらを」(こう表記されることもある)は、信州上田出身の武士ですから、こっちの解釈も納得できます。いいほうを取ってください。

 

 『白雄の秀句』(矢島渚男著・講談社学術文庫)という、もったいないほど懇切な解説書がありました。なんということか、もう絶版になっています。


 蛇尾さんは謙抑な人なので、まだ句集を出していません。記憶に残る佳什を紹介しますね。


 大利根の 春待つかたへ 一茶の碑

 竹皮を 脱ぎ散らかして 真直(ます)ぐなる


 第2句は、「たけ」で一瞬切って、「かわを」と続けるのだと思う。雅俗の配合が見事に決まっているとお思いになりませんか。



 



レクイエムの名曲

 レクイエムは「鎮魂ミサ曲」と訳されますね。ご承知のとおり、


 requiem aeternam, dona eis domine

レクイエム エテルナム ドナ エイス ドミネ

 主よ、彼らに永遠の平和を与えたまえ


と始まるので、こう呼ばれます。

 最も有名なレクイエムはモーツァルトのそれ。今では、CDショップの棚1段分くらいの種類の演奏があります。私でさえ、7、8枚持っています。カール・ベーム指揮のもの(ソプラノ・ソロ、エディット・マティス)を繰り返し聞きます。かつては、カール・リヒター(マリア・シュターダー、ソプラノ)のLPが宝ものでした。


 ヴェルディのレクイエムも好きです。大音響を発する曲。カルロ・マリア・ジュリーニの指揮する盤です。


 ドヴォルザークのレクイエムも素敵です。これはLPをよく聞いた。


 フォーレのレクイエムも文句なしの名曲。CDがいま手元にないので、記憶で言うと、ヘルヴェッヘの指揮だったと思う。

 丸山真男という、高名な政治学者はこの曲をことのほか愛したのだそうです。

 

 ドーナー エーイス ドーミネ 

 ミソミレ ミード レーレミ


のソプラノ独唱の旋律が聞こえると、心が洗われるようです。


 「キャッツ」や「オペラ座の怪人」でヒットをとばしたアンドルー・ロイド・ウェバーにもレクイエムがあるという。シャルロット・チャーチの最初のアルバムに、そのうちの1曲「Pie Jesu 慈悲深きイエス」が入っています。全曲はまだ聞いていませんが、この曲だけでも、名作であることが分かります。


 日本人が作曲した、歌詞が日本語のレクイエムもある。三木稔の作品です。こういうものです。


 レクイエム

 バリトン独唱、男声合唱及びオーケストラのための

 三木稔 作曲


 「もう おわかれのときがきた」


とバリトンが歌い、コーラスがかぶさるところなど、じつにじつにすばらしい。