パパ・パパゲーノ -137ページ目

花は盛りに

 「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」と言ったのは兼好法師でしたか。陰影礼賛のハシリの人なのでしょうね。


 そうおっしゃられても、咲き誇る満開の花々を見る喜びは格別です。


 これは、2日前の我が家のハナミズキです。


 植えてから10年目で、ようやくこのくらい威勢よく花をつけました。


 植え替えられた木は、その地にすっかり根を下ろす仕事が先なのだ、花を咲かせ、実を結ぶのはその後、と、植木屋さんに教わりました。


 白加賀の梅の木もなかなか大きくなれないでいます。実の数は、ことしやっと12粒です。


 下は、お隣さんちの花壇。先のとがった花弁をつけた珍しいチューリップですね。

   


 写真を貼り付けられるようになったので、おもしろがっています。

 千葉県柏市に住んでいますが、ここらは、藤、こでまり、つつじ、黄色のつる薔薇、などが、今を盛りと咲いています。



尾形光琳

 熱海にMOA美術館があります。世界救世教の教祖、岡田茂吉の収集した日本美術が中心の美術館です。MOはこの人のイニシャルなのだそうです。Aはアソシエーション。山の上に建つミュージアムなので、入り口から、山の中をくりぬいたらしい、長い長いエスカレーターで登っていきます。


 秀吉の金貼りの茶室の復元があったりする、きわめてユニークな美術館。とはいえ、国宝を3点も所有しています。中でも、光琳の「紅白梅屏風図」が有名ですね。ホームページを見ると、この絵は、2月のみ公開ということのようです。何度か訪れましたが、一度も見たことがありません。


 美術館の外に、別棟になって、「光琳屋敷」というものが復元されています。中から見るとこんな家です。


 江戸時代の屋敷はなんと素敵だったか、と、行くたびに思います。ことに、玄関の内壁の柿色の美しいこと。


 光琳の生家は雁金屋という呉服屋なのだそうです。


 徳川秀忠の娘(東福門院)が、後水尾天皇の中宮になります。この奥さんを天皇は気にいらなかったらしく、あまり相手になさらない。東福門院は、ウサ晴らしでしょう、衣装ぐるいを始めるのですね。呉服屋への支払いが膨大な金額にのぼる。


 雁金屋は、東福門院の御用をつとめて栄えたのだという。この家に次男として光琳が生まれたのですね。


 という話が書いてあったのは、大石慎三郎『江戸時代』(中公新書)でした。大石先生は学習院大学の日本史の先生だった方ですが、啓蒙書をたくさん書いてくださった。『大岡越前守忠相』『元禄時代』(岩波新書)もおもしろい。通説をくつがえす研究をいくつもなさったのだそうです。それらを、私どもにも読めるようにしてくれたのは、心からありがたいことだと思います。


 

ベルヴェデーレ宮殿


 これはウィーンの南東部にあるベルヴェデーレ宮殿です。左手はるか遠くにシュテファン寺院がのぞめるお庭のベンチから撮影したもの。2004年6月18日の夕方でした。


 ここは、クリムトの絵がたくさんあるので有名な美術館です。他にも、エゴン・シーレや、オスカー・ココシュカの絵が見られます。エゴン・シーレの、あの過激な絵画は、私が行ったときには飾られていなかった。


 やっぱり、グスタフ・クリムトが目玉です。『ユディットⅠ』とか『接吻』とか、ため息が出るものばかりでした。ガイドブックによると、短期間に傑作が集中的に産まれたもののようです。

 『ひまわりの咲く農家の庭』という風景画も圧倒的でした。


 ウィーンでも、他の都市でも、トラムという路面電車が走っているところは、まず、それに乗ります。街の風景を眺めるのはこれが一番だと思います。この美術館にもトラムで行きました。

 トラムがないところでは、路線バスに乗ります。同じ目的ですね。


 東京も都電は荒川線だけで、さびしいですね。これから少し延長するのだとか聞きました。



 これは、王宮(Hofbrug)の、多分、こっちが裏側だと思います。


 この中に、私が訪れた少し前に、シシー美術館ができました。お菓子の包装紙やマグカップの表面にデザインされている皇妃エリザベート(シシーは彼女のニックネーム)の複製画は、ウィーンの街中のどこでも見かけます。おそろしいくらいの美女ですね。この美術館では、彼女のゆかりの品々を見せてくれます。今なら、スポーツ・ジムにありそうなトレーニング用具(木製)もあった。

 

 スイスを旅行中に暴漢に刺殺された悲劇の王妃さまですね。ミュージカルにもなっています。

魔笛というタイトル

 『魔笛』と言えばモーツァルトのオペラを指します。当たり前ではないか、なにを言っているのだ、とお思いですか? じつは、この語はこの曲しか指さない、究極の固有名詞なのですね。このことは、IIZUKA T さんがおそらく最初に指摘した卓見です。誰かが「魔笛」(まてき)と訳し、それが日本語で定着したもののようです。日本に古くからある横笛を「竜笛」(りゅうてき)と言いますから、訳語としてはそれに呼応して、素敵な響きがあります。


 原題の Die Zauberflote は、普通に言えば「魔法の笛」としか言いようのないタイトルですね、もともと。実際、英語では The Magic Flute と言うし、フランス語でも、La Flute enchantee です(独仏のつづりは、ウムラウトやアクサンを省略)。


 IIZUKA さんは、もうひとつ、『セヴィリアの理髪師』の「理髪師」も、他では使わない単語だ、と言います。「セヴィリアの床屋」でもよかった。慣れないからカッコ悪いけれど。


 『魔弾の射手』なんて、魔弾も射手も、このタイトル以外で見たことがない、とも。たしかにそうですね。


 今日は、IIZUKA T さんの発見(?)の受け売りを書きました。

 

 

泣かせる映画

 日垣隆さんのメルマガ(有料)に「泣ける映画」という連載があります。最近号には、トム・ハンクスの『ターミナル』が上げられていました。「泣ける」と言っても、ずいぶん幅が広い。あの映画は、私は大笑いしながら見たので、この範疇には入らない。すばらしく上手にできた映画でした。

 

 あやかって、私が泣いた映画を紹介しますね。


 『黄色い大地』(陳凱歌〔チェン・カイコー〕・監督、1984年)

 中国映画です。黄河の近くの、貧しい農家(といっても、文字通り「耕して天にいたる」荒涼たる畑!)の娘が、嫁に売られていく話です。八路軍の兵士が村にやってくる。延安から来たのですね。この兵士が、娘にとって、「希望」を体現した存在になります。結局、泣く泣く嫁に売られていくことになるのですが、逃げてやろう、と決心します。幸いな結末にはならないけれど。

 兵士は、山村工作隊のような役目で、村々をまわって、民謡を採取したりもする。娘は、いつも歌っている歌を披露します。


 多分、85年か86年に、サンケイホールで試写会があって、ウチダさんと一緒に行きました。配ったチケットが席の数より多かったのでしょう。階段に腰掛けて見物しました。


 ハナシがかわいそうなのと、歌が哀切なのとで、途中からもう滂沱の涙でありました。ウチダさんは一つうしろの段にすわっていたのですが、もちろん、このオジサンが泣いているのに気がついたようです。見終わったら、彼女も目を赤くしていました。


 これは、名監督・陳凱歌の初監督作品なのだそうです。撮影が張芸謀〔チャン・イーモー〕でした。DVDにはなっていないみたいですが、ビデオならあるんじゃないだろうか。まだご覧になっていないなら、ぜひどうぞ。


 『マグノリアの花たち』(ハーバート・ロス監督、1989年)

 WOWOWだったかで偶然目にした、ハリウッド映画。サリー・フィールドの娘を演じるのがジュリア・ロバーツで、ジュリアは子どもを産めない体なのに、無理して子どもを産んで、ほどなく死んでしまう。サリーの友達が、シャーリー・マクレーン、ドリー・バートンなどの芸達者たち。泣かせどころのツボをよく知っています。母親を演じるときのサリー・フィールドが大好きです。