美空ひばり
1960年代の終り頃、テレビ局でアルバイトをしていました。北京、ハノイ、ロンドン、モスクワなどから来る「日本語ニュース」をオープン・リールのテープに録音し、見出しを付して保管しておく仕事でした。ほかにVOAの英語ニュースも同じことをやった。
日本時間では夜に集中したので、泊り込みです。食堂で朝食が食べられる、貧乏学生にとっては結構なアルバイトでした。
深夜はヒマになるので、局のジャンパーを着て、関係者のフリをして録画スタジオをのぞくことができました。
当時は、今よりずっとたくさんの歌番組があった。今は太ってしまった沢田研二が「タイガース」のメンバーで大人気の頃です。
歌謡ショーの録画を撮影しているスタジオのドアをそっと開けたら、伸びのある美声が、スタジオの向こうの端から、つーっと耳に届きました。それが、美空ひばり。何の歌だったか覚えていませんが、声のよさにシビレました。あとにも先にも、生の声を聞いたのはそのときだけです。
塩谷岬に行ったら、そこにいる間じゅう「乱れ髪」が流れていました。今でもそうなんじゃないでしょうか。
星野哲郎渾身の作品ですね。
一人ぼっちにしないでおくれ
というメッセージがひばり風なのだと、どこかで星野氏が語っていました。この素敵な曲のほか、「りんご追分」「悲しい酒」など、バラード的な歌が私は好みです。カラオケで何度かトライしたことがありますが、じつに、まったく、手も足も出なかった。舌かんで死んじゃいたくなりましたよ。
アメリカの本格ジャズを英語で歌ったCDもありますね。ふるえてくるほどうまい。
空前絶後という大げさな形容詞はめったに使うものではありませんが、美空ひばりにだけは使っても許されると思います。
鶴見俊輔
偶然手にすることになった『現代詩手帖』5月号が、「鶴見俊輔、詩を語る」という特集を組んでいます。これが、メチャンコおもしろい。とくに、座談会「うまれたいと思ってうまれたのではない」。齋藤愼爾を含む5人の詩人・俳人たちが、鶴見の話を聞くというスタイルです。気心の知れた人々なのでしょう、鶴見先生が、そのの生い立ちから、友人たちとの関係、読んできた詩、自分の書いた詩、など、波乱万丈の過去を縦横無尽に語っています。
もう84歳なんですって。というより、まだ84歳なのか、と思いました。若い頃から、鶴見の書くものを読んできたので(と言っても雑誌論文中心、まとまった単行本では2冊くらい)、20歳くらいしか年上でない、そのことにびっくりします。
1938年16歳でアメリカに渡ります。ここには出ていなかったけれど、前に読んだ文章で、その年までに男がするワルサはすべてやった、とありました。父である、衆議院議員・鶴見祐輔に「島流し」にされたのだそうです。母親は、後藤新平の娘です。この、母親とのすさまじい葛藤が、今でもなまなましく残っているらしいのがよく分かります。
齋藤愼爾という、辣腕編集者が設計した鶴見の文集『詩と自由』(思潮社、詩の森文庫)のことも出ていたので、さっそく買って読みました。1965年の雑誌『展望』(なつかしい雑誌です。山口昌男も蓮實重彦も、この雑誌で初めて読んだ)に載せた、鮎川信夫論もあります。「明治の歌謡 わたしのアンソロジー」と題する、小学唱歌の「思想性」に言及した文章は、この本で初めて読みましたが、なんとも新鮮な印象を受けました。初出は1959年とのことです。
朱筆
漱石の手書きの原稿に指定の筆が入ったカラー写真を見たことがあります。
習字の先生が手本を書くときに、今でも使う朱墨で、もちろん筆の文字で書き入れがしてありました。
昭和45年から、校正や指定の仕事をしましたが、赤字に使うインク、ボールペン、赤鉛筆、よいものになかなかめぐり会わなかった。最初は、付けペンに赤インクでした。万年筆の1本に赤インクを入れて専用にしたりもしました。しかし、インクの赤色というのは、なんというか、鼻についてくるのですね。
それで、次はボールペン。ビックの太字のをしばらく使っていました。これも、ときどきダマになったりするので、締め切り間際の忙しいときに、べっとりしたインクを紙でふきとったりするのがイヤだった。
ボールペンというのは、赤に限らず、黒でも青でも、最後まで使い切ったことがほとんどない。そういう人も多いんじゃないでしょうか。同僚のイケダさんは、ほとんどすべて使い切るという、カミワザの使い手でした。
赤鉛筆も(半分が青いのも)何度かトライしました。電動鉛筆削りの餌食になったようなものです。
2000年頃に、パイロットの HI-TEC という、水性のペン(1本200円)を見つけました。これも赤い色のが2,3種類ある。キャップの色で決めています。インクの出るところの寸法でしょうか、0.5と書いてあるのを使います。これはめずらしくまったく飽きのこない赤でした。それ以来、赤字はこれ1本です。
グリーンのものも使っています。これも、決まったグリーン。別の(エメラルド)グリーンは、紙の上にその色をのせるだけで仕事を先へ進める気がしなくなるのでした、私の場合は。
色合いというのは、心理状態に案外強く影響するのですね。
好きな英詩
シェイクスピアのソネットのこんな詩が好きです。覚えているのは出だしだけですが。
Th' expense of spirit in a waste of shame is lust in action
意味はえらくむずかしいらしい。こんなふうだったと思います。
「心を消費し、恥を浪費する、それが肉欲の行為だ」
調べが高いので、こんなおそろしい真実を語っているような気がしません。
もうひとつ、
Shall I compare thee to a summer's day?
(君を夏の日に譬えようか)
こちらは、恋の告白だから、いたってわかりやすい。一番有名なソネットでしょうね。
アガサ・クリスティの『春にして君を離れ』(中村妙子訳、ハヤカワ文庫)の原題、
Absent in the spring
も、シェイクスピアのソネットの引用なのだそうです。
From you have I been absent in the spring
この傑作小説をすすめてくれたのはAさんでした。20年くらい前でしたかね。
http://www.deliciousdeath.com/R3/R3jpn.html
に行くと、アガサのすべての作品(!!)について詳細を知ることができます。永田さんという方の、たっぷり元手がかかったサイトです。
ほかに好きな詩句は、
Come, live with me and be my love
(Christopher Marlowe)
A thing of beauty is a joy forever
(John Keats)
など。映画『恋に落ちたシェイクスピア』にも、マーロウが出てきます。ルパート・エヴェレットという役者が演じていました。
私どもが高校生のころは、英語の教科書にひとつか二つは英詩が採用されていたものです。それに感激して英文科に進んだ人も少なくない。私も感激はしましたが英文科には進まなかった。
Tiger! Tiger! Burning bright!
と始まるウィリアム・ブレイクの詩も教科書で習いました。
秋田のことば
『秋田のことば』(無明舎出版、2000年)という本があります。A5判、総ページ988もあるのに2800円という、お買い得の本です。
自分の方言を対象にものを考えるのは、難儀なものですが、この参考書を頼りにちょっとやってみましょう。
「…できる」という可能表現には、方言によって二つの種類がある、ということを、柴田武先生の本で知りました。
「能力可能」と「状況可能」と呼ぶ。私の方言の中から、「食べる」を例に、共通語表記して示してみます。
[状況可能]
このキノコ食うにいい(食うにいい=食べられる)
このキノコ食われない(食われない=食べられない)
食うにいいキノコ(食うにいい=食べてもいい)
食われないキノコ(食われない=食べられない)
【食われるキノコ(食われる=食べられる)という言い方もしますが、食うにいい、が普通。】
この「状況可能」という場合の「状況」は、「毒がある・ない」ということですね。
名詞を修飾することもできるし、述語としても使うことができます。
[能力可能]
このキノコ食えた(食えた=食べられる〈食べる能力がある〉、現在形)
このキノコ食えない(食えない= 食べられない〈能力がない〉)
*食えたキノコ〔* はダメという印。この可能表現は名詞を修飾できない。〕
「能力可能」の方は、語形が異なるだけで、ほぼ、いわゆる「共通語」と同じだと思います。
「状況可能」は、東京方言では耳にしたことがありません。
《追記:「状況可能」専用の表現がない、という意味です。「食べられる・食べられない」の形式だけで、能力・状況の両方をまかなっていることになります。》
母親が、食事の準備が終わって、おなかのすいた子どもたちに、
「ママ クニエド(まんま 食うにいいよ)」
(クにアクセントがある)
と、呼びかけることがありました。今でもあるはずです。まさに、食事ができる「状況」がととのったことを示しています。
くわしいことは、『秋田のことば』を参照してください。無明舎のホームページから購入できます。