鶴見俊輔 | パパ・パパゲーノ

鶴見俊輔

 偶然手にすることになった『現代詩手帖』5月号が、「鶴見俊輔、詩を語る」という特集を組んでいます。これが、メチャンコおもしろい。とくに、座談会「うまれたいと思ってうまれたのではない」。齋藤愼爾を含む5人の詩人・俳人たちが、鶴見の話を聞くというスタイルです。気心の知れた人々なのでしょう、鶴見先生が、そのの生い立ちから、友人たちとの関係、読んできた詩、自分の書いた詩、など、波乱万丈の過去を縦横無尽に語っています。


 もう84歳なんですって。というより、まだ84歳なのか、と思いました。若い頃から、鶴見の書くものを読んできたので(と言っても雑誌論文中心、まとまった単行本では2冊くらい)、20歳くらいしか年上でない、そのことにびっくりします。


 1938年16歳でアメリカに渡ります。ここには出ていなかったけれど、前に読んだ文章で、その年までに男がするワルサはすべてやった、とありました。父である、衆議院議員・鶴見祐輔に「島流し」にされたのだそうです。母親は、後藤新平の娘です。この、母親とのすさまじい葛藤が、今でもなまなましく残っているらしいのがよく分かります。


 齋藤愼爾という、辣腕編集者が設計した鶴見の文集『詩と自由』(思潮社、詩の森文庫)のことも出ていたので、さっそく買って読みました。1965年の雑誌『展望』(なつかしい雑誌です。山口昌男も蓮實重彦も、この雑誌で初めて読んだ)に載せた、鮎川信夫論もあります。「明治の歌謡 わたしのアンソロジー」と題する、小学唱歌の「思想性」に言及した文章は、この本で初めて読みましたが、なんとも新鮮な印象を受けました。初出は1959年とのことです。