キャットテール
この花が、そこここのお家の庭に咲いています。今日(5月20日)撮影したものです。
キャットテールという名前だそうですね。和名はないのですかね。最近の洋花の名前は、いちいち覚えなければいけないので面倒です。ムスカリなんて何年も覚えられませんでした。女の人たちは、(好きなら)たちまち覚えてしまうようですけれど。
英語だと、cattail, cat's-tail となっています。ガマという訳語がついていますから、ガマの仲間なのでしょうか。
もう一つの意味は、catskin とイコールで結ばれていて、「尾状花序」という訳語です。「尻尾のような花の形」ということでしょう。
ローマに住んでいる人のブログで、5月1日にこの花の満開の写真が貼り付けてありました。「たわし」のお花、と呼んでいた。哺乳瓶を洗うタワシそっくりだ、ということです。ローマの花は、ずっと大ぶりのようです。
下は、ついでに撮った写真。食べた枇杷がおいしかったと言ってオクサンが持って帰った種を、土に埋めておいたら、2年でこのくらいになりました。サッカーボールは、背丈を示すために置いたもの。公式ボールの大きさです。
左利きの指揮者
【まえがき:この一つ前の日記は今日19日の朝に書いたものです。日付が18日になってしまったのは、昨夜写真の取り込みだけしておいて、朝書こうと取っておいたもの。保存した時刻が表示されるのですね。1日飛ぶのもシャクな気がして、もう1本書きます。松井秀喜の連続出場記録維持の感じを追体験しているような。】
「シベリウス交響曲全集&管弦楽曲選集」という5枚組のCDを持っています。指揮者はパーヴォ・ベルグルント(Paavo Berglund)。EMIクラシックス。
紙の箱入りで、表に指揮者の指揮する様子の絵が印刷されていますが、指揮棒を左手に持っています。あんまり見たことがないカタチです。こういうときは、グーグルに聞いてみます。
左利きをメインな話題にしたサイトがあって、ご丁寧に、NHKのヴィデオを写真にとって載せてくれてありました。日本語字幕が「パーヴォ・ベルグルント」と読めるので、左手の指揮棒はたしかなことでした。
若い頃、所属した合唱団の指揮者、イシカワさんは、字を書くのは左でした。左利きの人がよくするように、(鉛筆ならその芯を)手前に向けて器用に書き進めるのを見たことがある。しかし、彼も指揮棒は右手に持っていた、と思います。
ベルグルント(ベルグルンドと記されることもあります)が、このアルバムを主として演奏するヘルシンキ・フィルの首席指揮者になったのが1962年、33歳のときだそうです。
フィンランドの作曲家シベリウスの作品は、フィンランドのオケとフィンランド人の指揮者で聞くとやっぱり素敵なものです。音楽自体は普遍的なものですから、あんまり、国を強調するのはよいことではないかもしれません。まあ、安心して聞くことができるのはたしかです。
シベリウスの交響曲は、日本では2番が好まれてきました。私も始めて聞いたのはスウェーデンのオーケストラの2番です。これを聞くと、その当時の感情がたちまちよみがえるほど印象深い曲です。
シベリウスには、番号のついている交響曲が7曲もあります。その他に「クレルヴォ交響曲」というのもあるし、交響詩「フィンランディア」もある。メロディーの美しさと、和音の重厚さ(ばかりではないけれど)とが際立っています。最初はちょっと暗鬱な音がするように聞こえますが、その暗鬱なところも含めて全体を貫くのは、青春が持つ、むせ返るようなロマンティシズムだと思います。
最近繰り返し聞いているのは3番です。第2楽章のアンダンティーノが素晴らしい。弦楽器のピッツィカートに乗って管楽器が奏でるメロディーは、霧が晴れていく湖でゆっくり舟に揺られているような気にさせます。
マリー・フランツィスカ
この絵は、マリー・フランツィスカ・フォン・リヒテンシュタインというお姫様(絵のタイトルは Prinzessin Marie Franziska von Liechtenstein im Alter von zwei Jahren, 1836)、2歳のみぎりのお昼寝の光景だそうです。1836年。名前で分かるように、リヒテンシュタイン家の娘です。描いたのは、フリードリッヒ・フォン・アーメリング(Friedrich von Amerling)。
4年前、リヒテンシュタイン美術館は66年ぶりに再開された。ウィーンに行ったときに、この絵を見ることができました。タテに描かれているのに、これ以外の位置(左に90度回転させたり)ではカタチが悪いのだそうです。あるデザイナーにお見せしたら、そうして位置をいろいろ動かしても、このままが一番落ち着くと言ってました。
リヒテンシュタイン美術館は、ルーベンスのコレクションで有名です。それもたくさん見たはずですが、ついに、このお姫様にかなわなかった。この絵の前で、観客はみんな足をとめて感嘆の声をあげていました。いま、この美術館のホームページを見ると、まずこの絵が出てきます。
元もそんなに大きな絵ではありません。せいぜいB4版より少し大きいくらい。A4版ほどのサイズの複製を買って、額に入れて居間の壁に飾っています。
ここに示したのは、絵葉書をスキャンしたものです。
生ニシンの屋台
この写真は、アムステルダムの下町(?)にあった、生のニシンを食べさせる屋台店です。キュウリのピクルスにニシンをのせたり、コッペパンみたいなパンにニシンをはさんだりして食べていました。うまい。
真空パックしたニシンの燻製もスーパーなどで売っているようです。ちょうど品切れになったころで(6月初め)、それは食べられなかった。
有名なコンサートホール、コンセルトヘボウです。モーツァルトのレクイエムを11ユーロだかの安い値段で聞くことができました。オーケストラもここ専属ではなかった。ハイティンクが指揮するコンセルトヘボウ・オーケストラのコンサートが1ヶ月後くらいにある、と、広告が出ていて、それはたしか115ユーロだった。
サントリーホールみたいに、オーケストラの後ろの席、舞台下手のヴァイオリンの後ろでした。指揮者の棒がよく見えます。思わず口が動きました。もちろん、声は出しませんが。この曲の中では、ベネディクトゥスの四重唱がことのほか好きなのですが、この日の演奏は、軽やかなディヴェルティメント風の、テンポも早めで、今までにたくさん聞いたどの演奏とも違っていました。
キャッチボール
子どもの頃、となりのケンチャン(同級生)とは野球仲間でした。中学校の野球部で、彼がセカンド、私がショート(あるいはサード)でしたから、キャッチボールの相手もおのずからケンチャンということになります。
30歳を過ぎた頃、ふたりとも子どもを持つ親になっていました。神奈川県に住んでいたケンチャンちに遊びに行ったことがあります。久しぶりにキャッチボールをしようということになった。
2,3球投げあったあたりで、お互いに、なんだか晴れがましいような、照れくさいような、しかし、なつかしい感情が一気にやってきたのが分かりました。大きく距離をとって、遠投のマネをしたとたんに、肩がガキっと鳴ったような気がした。そこで私の野球人生は終わりました。そのあとも、会社の野球部に入れてもらって、投げたり打ったりしましたが、また肩が痛くなるのをおそれて、山なりの球しか投げることができなくなりました。
ケヴィン・コスナー主演の『フィールド・オブ・ドリームズ』という映画は、野球映画の名作ですが、見終わって、これはキャッチボールの映画だ、と思ったことでした。亡くなった父親(バート・ランカスター)が、麦畑の中から球場にあらわれて、息子(コスナー)とキャッチボールをはじめるシーンがあった、と覚えています。違うかもしれませんが、私の中でこの映画は、父と子の、ボールに託した情愛のやりとりとして残っています。
息子がグローブを手にするようになって、何度かキャッチボールをしましたが、残念ながら、そんなうるわしいものにはならなかったです。
ケンチャンは、そのあと60歳近くまで現役選手だったんじゃないかと思います。こんど会うので聞いてみます。
