クイーン
60歳を過ぎると映画は1000円で見られるのはご存じですね。夫婦合わせて100歳以上もひとり1000円。レディース・デイというのも週1回あるところがあって、その日は女ならひとり1000円。他にも、高校生3人なら一人あたま1000円というのもある。
どうせなら、一律に1000円にならないものでしょうか。動員数は確実に増えると思う。個人営業の映画館が少なくなったからムリなのかしら。私が館主ならそうします。
1800円というのが高い。見たい映画は高くてもいい、という人は多いかも知れませんし、唐突な比較ですが、胡蝶蘭ひと鉢1800円なら、まあ安いと思うひとは多いでしょう。胡蝶蘭を越える映画は多いけれど、どんな結末になるか未定のものに払う金額としてはどんなものか、と感じるわけです。アメリカの映画館の入場料はたしか1000円以下だった。
というわけで、年寄りの特権を使って、ようやく『クイーン』を1000円で見ることができました。
傑作です。それだけでおしまいにしてもいいくらい。
ヘレン・ミレンがクイーン・エリザベス2世を演じます。今年のオスカー(主演女優賞)をもらいました。
ダイアナさんがパリで死亡するところから話が始まります。首相になったばかりの労働党首ブレアが、女王に対してダイアナの葬式をめぐっていろいろな提言をする。それに応じるクイーンの心理を、まあ見事に演じきりました。
クイーンが、ひとりで運転するランド・ローヴァーが、川のなかで動かなくなるシーンがあります。ひとりなのも、車がボロなのにも驚きます。故障した車の底をのぞいたりする。ケータイで、森番に電話して迎えに来てもらう、その電話で、「私は戦争中、整備工だったから」と言います。当たり前ですが、女王にも日常生活がある、ということがよく分かりました。
迎えを待っているあいだに近寄ってきた、大きな角の鹿に語りかけるシーンが圧巻です。
ヘレン・ミレンも、もう、ナイト(女は Dame というらしい。男は Sir です。 Sir Anthony Hopkins とか)に叙せられているのですね。
『恋におちたシェイクスピア』でエリザベス1世を演じた(おお、この役も助演女優賞だ)、ジュディ・デンチもデイムでした。ジェイムズ・ボンドの上司Mをやる人。
『インドへの道』(デイヴィッド・リーン監督)で、ムア夫人を演じた、ペギー・アシュクロフトもデイムでした。いま調べたら、この役で、同じくオスカー(助演女優賞)をとっていました。
みんなイギリスのシェイクスピア役者ですね。蓮っ葉女もできるけれど、女王にもなりきれるところがスゴイと思います。
鯵どんぶり
昨日の記事への追記:お湯にスープの素をとかし、そこへタマネギ、スライスした砂肝を入れて煮れば、おいしいスープができるはずです。鶏ガラから出しをとるのは、手間がかかりますから、省略可ということにしましょう。【5月20日追加:このやり方で昨日作ってみました。砂肝の生臭さがちょっと残ったので、こんどやる時は、スライスした砂肝をいったん湯がいて、アクを取ってから、他のものと一緒にしようと思います。】
これを読んだユミコさんから、もっと簡単なものはないの、と言われたので、図に乗って鯵のどんぶりを紹介しますね。
このどんぶりは、かつて、河竹登志夫先生が『日本経済新聞』に書いていらした、料理の連載コラムで教わったものです。
鯵のお刺身を、作れる人は作る、作れない人はスーパーで買ってくる。用意するのは、ほかに、シソの葉(オオバと呼ぶやつ)、大根おろし、白いごはん。
どんぶりにごはんを半分盛る。シソを載せ、大根おろしを載せ、鯵の刺身をのせる。さらに、ご飯をかぶせ、同じことをくりかえす。以上。
たいせつなこと:鯵にはたっぷりの醤油をからませる。
こうやって、ホクホクのご飯をハフハフほおばるときの至福の時間は他に得がたいものです。
たまたま河竹先生にお目にかかる機会があったので、教えていただいたお礼を申しあげました。「もとはカツオなんですよ」と言ってらっしゃいました。試す機会はなかったけれど、カツオでもいけそうです。
大根おろしが面倒なら、省略しても十分うまい。
砂肝のスープ
毎年、暮れになると、鶏ガラから出しをとります。年越しソバや雑煮の汁のモトにしています。この仕事はお父さんが買ってでます。というハナシをケイコさん(若いお母さん)にしたら、出しをとったことがない、とおっしゃるので、こんなメールを送りました。
鶏ガラは1羽でも十分かもしれません。鍋はガラがすっぽり入るだけの深さがあるほうがいい。
①鍋で湯を沸かす。
②沸騰したら、ガラを入れる。
③1分くらいで火を止め、湯ごと一旦捨てる。(出汁がなくなっちゃう不安に耐える。大丈夫!)
④血の固まったのや、アクの元になりそうなところを水道水をかけて洗う。
⑤ふたたび、ガラを鍋に入れ、水を張る。分量は適当。(このときガラの折れそうなところを折って髄からだしをとるようにする。手でやると怪我することがあるので出刃を使う。ただし、この過程は不可欠というものではない。)
⑥野菜のきれはし(なら何でもいい。キャベツの芯、にんじんの皮、セロリちょっと【注】、ネギの先端など)を入れる。しょうがをザクザク切っていれる。臭みをとるためです。にんにくがあればそれも。
⑦煮立てたままにしない。煮立ったら、とろ火にして、アクをすくいながらいい頃合までコトコトやる。で、できあがり。
【注】セロリは香りが強すぎるので省略した方がいいかもしれません。
そうしてとったダシ汁で作ると断然うまいスープがあります。
①トリガラスープにタマネギをミジン切りにしたものを加えて火にかける。
②砂肝を1パック、スライスして入れる。
③とろ火で時間をかけて煮る。コリコリした砂肝がシナシナしてくるあたりが時間の目安。
④塩・胡椒で味をととのえる。
Yさんから教わった。Yさんはドイツ人の友達から「風邪のときにママがつくってくれた」というふれこみで教わったそうです。
基本は上に書いたとおり。赤ワインを足したり、生クリームを足したり、はお好みで。パセリのみじん切りを散らしたり、みじんに切ったにんにくを入れたりも行ける、と思う。最近、このスープを作らないので手順の思い違いがあるかもしれないけれど、うまいことは保証します。
 砂肝は、ヤキトリだとコリコリしていますが、スライスしてコトコト煮るとシナシナになります。その歯ざわりも悪くないものです。
号活字・ポイント・級数
「隅の老人」と言えば、オルツィ原作の探偵小説短編集『隅の老人の事件簿』(創元文庫、ほか)の主人公ですね。アームチェア・ディテクティヴ(安楽椅子探偵)の代表のように言われる。実際には、けっこう足を使って事件の解決をしていた記憶があります。
小林信彦にも「隅の老人」と題する短編小説がありました。タイトルはもちろんこれに借りたものでしょう。
ここから記憶だけに頼って書くので、あるいは、別の小説と混線するかもしれません。その場合はご容赦を。
小林信彦の小説の老人は、出版社の編集部の「隅に」陣取って、割付や校正をしている。現場で、まあ、アルバイトをしています。語り手は、そこの編集部員。この老人はだまって仕事をしているのですが、おそるべき実力の持ち主であることが、だんだん分かってきます。
手書きの原稿を印刷所に入稿するときには、1行の字数と、1ページの行数を必ず指定します。組みあがりページ数というものを予想して、大体の見当をつけるのが普通のやり方です。ところが、この爺さんは、組みあがりページ数を予想なんかしない。ピッタリ当ててしまうのです。数式があって(それが書いてあったように記憶しているのですが、小説にそんなこと書くかなあ)、それに当てはめて計算すると、最後のページが何行目で終わるかまで分かってしまう、というような話でした。
私が編集の仕事を始めた1970年代は、まだ活版印刷の時代でした。ポイント活字が中心。今のワープロソフトのWORDなども、文字の大きさはポイント表示ですから、想像ができると思う。
その前は、号活字の時代ですね。5号が10.5ポイントにあたる。数字が若いほど大きい。2号より1号が大きくて、初号はもっと大きい。私どもの頃に残っていた「号活字」は、たとえば、
9ポ52字詰め16行、行間5号2分
などと指定するとき、と、タイトル文字を号活字で印刷し、それを凸版にして使う場合など、でした。
写植の文字は、版下を作るときに主として使った。コンピュータで組版をするように変わって、あっという間にほぼ全部が写植の文字になりました。これは、文字の大きさは級数で表示します。1ミリの4分の1を1級としたのでした。ざっとした関係では、9ポイントが13級に当たります。
アメリカ(だけかも知れない)では、パイカ(pica)という単位も使っている(いた)ようです。
福沢諭吉は、彼自身が生きた時代の転変を、「一身にして二世を経る」と表現したそうですが、活字の世界で仕事をしてきて、私ごとき者でも同じような感慨を覚えます……というお話でした。
「老人力」全開
古稀を過ぎてもおそろしく生産力のある、二人の先生が、くびすを接してパワフルな本を出しました。
谷沢永一(昭和4年生まれ)著『老年の智恵 人生の英知』(海竜社)
渡部昇一(昭和5年生まれ)著『95歳へ!』(飛鳥新社)
谷沢先生の、この本の中心メッセージは、たとえば、131ページのこういう記述です。
世の老人がともすれば怠け易いのは、定められた時間に現われる律儀な配慮である。服装の端正と時間の厳守、これに多少とも乱れを生じたとき、ああ、あの人はもう、と静かにひとびとから見放されるであろう。
しかし、すべての会合が老人の参加を期待しているわけではない。これは必ずしも自分が顔を出さなくてもよい集まりであると、嗅(か)ぎわける才覚のない人の出しゃばりは甚だ迷惑である。
なんという行き届いた注意でしょう。世の年よりは、すべからく、この凛とした提言の含むところを肝に銘ずべし、と思いました。
怠惰な著作・著作者に加える筆誅の鋭さでは類を見ない先生ですが、読者の身になる栄養分を届けようとするときには、ひとかたならぬ思いやりを示します。
渡部先生、77歳からのメッセージも、向日的で積極的な生き方のすすめになっています。
60歳直前に志や意志が希薄になっていることに気がついて愕然とした、おっしゃっています。気をとり直して、猛然とラテン語の暗記を始める。年をとっても記憶力は強化できるということを、身をもって体験した、と喜びあふれる筆致で語ったのち、
突き詰めて言えば、人生とは記憶です。もしすべての記憶が失われたら、肉体はその人であっても、人格はその人ではなくなります。晩年を生きるにあたって、最も大切なことは記憶力を鍛え、多くの記憶を持ち続けることではないでしょうか。(115ページ)
と書いていらっしゃる。95歳まで生きる目標を立てて生きることが、仮に途中でいけなくなったとしても、目標を立てぬまま、漫然とお迎えを待つよりいいではないか、というのです。
お二方とも、昔から、押し付けがましいところが微塵もなかった。一方で、共通して、激越な論争家でもありましたから、敵は少なくないはずです。しかし、多くのファンが読者であり続けているのは理由のないことではありません。