秋田のことば
『秋田のことば』(無明舎出版、2000年)という本があります。A5判、総ページ988もあるのに2800円という、お買い得の本です。
自分の方言を対象にものを考えるのは、難儀なものですが、この参考書を頼りにちょっとやってみましょう。
「…できる」という可能表現には、方言によって二つの種類がある、ということを、柴田武先生の本で知りました。
「能力可能」と「状況可能」と呼ぶ。私の方言の中から、「食べる」を例に、共通語表記して示してみます。
[状況可能]
このキノコ食うにいい(食うにいい=食べられる)
このキノコ食われない(食われない=食べられない)
食うにいいキノコ(食うにいい=食べてもいい)
食われないキノコ(食われない=食べられない)
【食われるキノコ(食われる=食べられる)という言い方もしますが、食うにいい、が普通。】
この「状況可能」という場合の「状況」は、「毒がある・ない」ということですね。
名詞を修飾することもできるし、述語としても使うことができます。
[能力可能]
このキノコ食えた(食えた=食べられる〈食べる能力がある〉、現在形)
このキノコ食えない(食えない= 食べられない〈能力がない〉)
*食えたキノコ〔* はダメという印。この可能表現は名詞を修飾できない。〕
「能力可能」の方は、語形が異なるだけで、ほぼ、いわゆる「共通語」と同じだと思います。
「状況可能」は、東京方言では耳にしたことがありません。
《追記:「状況可能」専用の表現がない、という意味です。「食べられる・食べられない」の形式だけで、能力・状況の両方をまかなっていることになります。》
母親が、食事の準備が終わって、おなかのすいた子どもたちに、
「ママ クニエド(まんま 食うにいいよ)」
(クにアクセントがある)
と、呼びかけることがありました。今でもあるはずです。まさに、食事ができる「状況」がととのったことを示しています。
くわしいことは、『秋田のことば』を参照してください。無明舎のホームページから購入できます。