尾形光琳 | パパ・パパゲーノ

尾形光琳

 熱海にMOA美術館があります。世界救世教の教祖、岡田茂吉の収集した日本美術が中心の美術館です。MOはこの人のイニシャルなのだそうです。Aはアソシエーション。山の上に建つミュージアムなので、入り口から、山の中をくりぬいたらしい、長い長いエスカレーターで登っていきます。


 秀吉の金貼りの茶室の復元があったりする、きわめてユニークな美術館。とはいえ、国宝を3点も所有しています。中でも、光琳の「紅白梅屏風図」が有名ですね。ホームページを見ると、この絵は、2月のみ公開ということのようです。何度か訪れましたが、一度も見たことがありません。


 美術館の外に、別棟になって、「光琳屋敷」というものが復元されています。中から見るとこんな家です。


 江戸時代の屋敷はなんと素敵だったか、と、行くたびに思います。ことに、玄関の内壁の柿色の美しいこと。


 光琳の生家は雁金屋という呉服屋なのだそうです。


 徳川秀忠の娘(東福門院)が、後水尾天皇の中宮になります。この奥さんを天皇は気にいらなかったらしく、あまり相手になさらない。東福門院は、ウサ晴らしでしょう、衣装ぐるいを始めるのですね。呉服屋への支払いが膨大な金額にのぼる。


 雁金屋は、東福門院の御用をつとめて栄えたのだという。この家に次男として光琳が生まれたのですね。


 という話が書いてあったのは、大石慎三郎『江戸時代』(中公新書)でした。大石先生は学習院大学の日本史の先生だった方ですが、啓蒙書をたくさん書いてくださった。『大岡越前守忠相』『元禄時代』(岩波新書)もおもしろい。通説をくつがえす研究をいくつもなさったのだそうです。それらを、私どもにも読めるようにしてくれたのは、心からありがたいことだと思います。