中野幹隆 | パパ・パパゲーノ

中野幹隆

  中野幹隆(なかの・みきたか)さんも、今年の1月にガンで亡くなりました。1943年生まれですから、1歳年上の人です。哲学書房という出版社を起こして、魅力的な本を出し続けました。一昨年のことだったか、久しぶりに電話をかけてこられて、近いうちに一杯やりましょう、と言ったままになりました。声をきいた、それが最後です。

 

 中野さんは、若い頃から、知る人ぞ知る編集の達人でした。知遇を得たときは、青土社の『現代思想』の編集長でした。その前は、『パイデイア』(竹内書店)の創刊からのスタッフ、さらにその前は『日本読書新聞』の編集長でした。お会いできたときは、野球少年が長嶋茂雄さんにあったら感じるだろうような誇らしさを感じたものです。一つしか年が違わないなど、思いもしなかった。


 哲学書房を作る前にいた、朝日出版社でも『エピステーメー』という、哲学・思想の雑誌を編集していました。


 一貫して思想の書物を作っていました。私が、中村雄二郎先生の原稿をいただきに行ったときだと思いますが、中野さんも同じ場所で先に原稿をもらい、先生の目の前で今もらった原稿に目を通していました。読み終わって、感嘆のためいきをもらし、「すばらしいです」という意味の感想をおっしゃった。ああ、著者に対してはこういうふうにするのか、と大いに勉強になったものです。