鳩山一族 その金脈と血脈
金持ちの家に生まれることを、英語で「口にシルバー・スプーンをくわえて生まれた」と表現するようです。鳩山由紀夫・邦夫兄弟などは、現代における、「シルバー・スプーン」そのものに他なりません。相続か献金か、とマスコミで連日報道されていますが、そもそも、ご当人たちがとんでもない資産家だそうですから、何が問題なのか分かっていないのではないかと思わせます。
鳩山御殿と称される東京・文京区の「音羽御殿」を所有する、鳩山家の成立と展開を追った本はたくさん出ていますが、佐野眞一『鳩山一族 その金脈と血脈』(文春新書)は、この著者ならではの出色のルポルタージュです。
初代鳩山和夫は明治政府の第1回留学生に選ばれてアメリカ留学、帰朝して東大講師、のちに日本初の弁護士事務所を開いた人だそうです。衆議院議長も務めた。その人の長男が鳩山一郎。昭和29年第52代総理大臣。さらに一郎の長男が鳩山威一郎。大蔵事務次官ののち、参議員議員。福田赳夫内閣の外務大臣を務めたこともある。この人が、由紀夫・邦夫兄弟の父上です。
和夫夫人春子(いまの共立女子大学の創始者)、一郎夫人薫(薫子〈かおるこ〉とも)、威一郎夫人安子(現首相の母上)、の三人を、「列女」というくくりで活写しているのもおもしろい。息子たちが、それぞれの母親に頭が上がらなかった模様もよくわかります。男たちは、三代にわたって女性にモテたことも隠さず書かれています。
本書で「血脈」と言っているのは、どこの家と結婚関係を結んだかということです。安子夫人が、ブリジストンの創業者石橋正二郎の長女であるのは、週刊誌でもよく取り上げられました。「金脈」のカナメになっているのも、ブリジストンだそうです。
鳩山一郎は、戦後政治史のなかで「保守合同」(昭和30年)の立役者として有名ですが、保守合同(簡単に言えば、自由民主党が成立したこと)にあたって資金提供をした伊藤斗福(ますとみ)という名前が出てきます。保全経済会という、大衆から金を集めて投資で増やして還元する、という組織を率いて巨万の富を築いた人ですが、株価の暴落によって破産し、投獄されてしまいます。この人物が、どういう人生を辿ったかを追跡した第5章が圧巻です。著者自身もよほど自信があるようです。初めて聞く話がいっぱい出てきました。戦後史に興味のある人は必読というべきものでしょう。
銀の匙をくわえて生まれてくるまでには、先人の、かならずしも綺麗だとばかりは言えない苦労があるものだということが、しみじみ納得できます。佐野さんが、弟の邦夫氏に相当なシンパシーを感じているのを隠していないのも好感が持てました。
        
        
        
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オリンピック記念センター
きのう、「岬の墓」(堀田善衛作詞・團伊玖磨作曲・福永陽一郎編曲)の演奏会がありました。最後のハミングを長く引っ張ってディミヌエンドし、静かに音楽が終わります。指揮者の三澤洋史(みさわ・ひろふみ)先生が、合唱団に向かって小さくガッツ・ポーズを作ってくれたので、うまく行ったのだと、ようやくホッとしました。ピアノ伴奏の大島由里さんも、客席にお辞儀をしたあとで、合唱団にむけて笑顔で拍手をしてくれました。
音程を取るのがおそろしく難しい曲だったので、ステージで歌ったその1回が、やっとうまく歌えたと思える1回でした。練習のときは、何度やっても転調が成功せず、ピアニストが悲しそうな顔をするので、歌っているこちらも、情けなくなっていたのでした。それだけに、歌いだして、和音が揃ったかなと感じられてからは、最後まで集中力が途切れずにおしまいまで行けたのが、じつにうれしかった。聞いてくださった方々からも、まずまずよい感想を聞くことができました。
演奏会の会場は、「国立オリンピック記念青少年総合センター大ホール」という長い名前のホールです。700くらいの客席。ここも、この間の紀尾井ホール と同じように、シューボックス型(直方体)のホールでした。出番が終わってから、他の演目を客席で聞きましたが、じつに響きのよいホールです。
代々木公園の西のはじに位置しているのかな、小田急線の参宮橋駅と、地下鉄千代田線の代々木公園駅が最寄り駅ですが、どちらからも、かなりの距離を歩くので、アクセスが不便です。そのぶんでしょうか、使用料が安いので、お金のあんまりない学生団体が活用しているらしい。学生割引もあるようです。大ホールを含むビルの中に、音楽練習場が中小10くらいあるんじゃないかしら。ダンスの練習をしているらしい若いグループも見かけました。
私どもが学生だったころに比べれば、こういう練習施設・スタジオの充実ぶりには目を見張るばかりです。完全防音で、備品のピアノはちゃんと調律されています。
この「総合センター」は、音楽ばかりではなくて、スポーツ万般の練習場や、たぶん理科系の訓練施設も備えているもののようです。このあたりは、東京オリンピックのときの選手村だったのでしたかね。公園全体に高層ビルがないので、空が広く感じられるのも気持ちのいいものでした。
        
        
        
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チャーリー・マフィン
イギリス・スパイ小説の大家ブライアン・フリーマントルの名前が日本の読者に広く知られたのは、1979年4月に新潮文庫から出た『消されかけた男』からでしょう。イギリス情報局秘密情報部(SIS)の下部組織「情報局保安部:通称MI5」に所属するエージェント、チャーリー・マフィンが主人公。ちなみに、007(ジェームズ・ボンド)は、MI6(軍情報部)の所属。チャーリーが活躍する、「……の(した)男」という邦訳シリーズが続々刊行されて、夢中になって読んだものでした。
『別れを告げに来た男』『再び消されかけた男』などが2年ほどの間に出ました。このスパイは、いたって風采のあがらない、たしかバツイチの中年男で、たいていは一人で行動する。イギリス・スパイ組織の官僚主義に辟易して、いつ辞めてやろうか、始終考えているような男。
小説の舞台は、主に、旧ソ連、東ドイツなど共産圏です。チャーリーは、ロシア語をロシア人なみに話せるという設定。ソ連の女スパイと恋に落ちたりもします。東ドイツの女性とも関係ができたことがあったように覚えています。ベルリンの壁を越えようとして、その女性が殺されてしまうなどということもありました。
東西冷戦が終わって、スパイは失業したのかと思っていたら――じじつ、スパイ小説は一時下火になりました――、どっこいそうではなくて、プーチンのロシアに潜入して情報活動を繰り広げるスパイたちはたくさんいるようです。もちろん、ロシアから世界中に派遣されているスパイも多い。
前作『城壁に手をかけた男』(新潮文庫:2004年)で、チャーリー・マフィンを復活させた(チャーリーは30年後も同じ仕事をしています)フリーマントルの最近作は『片腕をなくした男』というものです。3作シリーズになるらしい。
モスクワのイギリス大使館の庭で男の死体が発見される。顔が識別できないほど破壊されていて、指紋は酸で溶かされている。そして、片腕が失われている。大使館は、イギリス領土なので、捜査に派遣されたのがチャーリーというわけ。ロシアの民警や、KGBの後継組織ロシア連邦保安局の凄腕のスパイたちを向こうにまわして、命がけの神経戦が続きます。このあたり、73歳になったフリーマントルの筆さばきは見事という他ありません。
前作で、モスクワに残さざるを得なかった妻、ロシア連邦捜査局の職員ナターリヤと、ふたりのあいだにできた娘、8歳になったサーシャに、ロシア側に気づかれずに会うのも大変です。尾行をまくシーンが何度も出てきました。
サスペンスを最大限もりあげ、残りのページがわずかしか残っていないのに大丈夫かしら、と思わせておいて、複雑な筋が一つに収斂する幕切れを用意してありました。
        
        
        
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あさっての次の日
私が育った地域の方言では、「あさっての次の日」のことは「ヤナサッテ」と言いました。各地で「ヤノアサッテ」と言うのと同じ単語です。
アシタ(明日)―アサッテ(明後日)―ヤナサッテ(明々後日)
という順番です。さらにその後の日を呼ぶ呼び方はなかったと思います。
かつて、国立国語研究所が『日本言語地図』(全6集、1967-75)という大型の図録を発行したことがあります。今では、大きな図書館などで閲覧する他にないかもしれません。
その中に「アサッテの次の日」をどう言うかの地図もありました。インタビュー調査(インフォーマント調査と言う)をして、地図上に、それぞれの言い方を区別する記号を書き込み、ひと目で分布が分かるようにしたものです。
それによると、東京都区内では、その周辺の関東全域と違った表現があることが分かったのだそうです。
 [東京都区内]
 シアサッテ:アサッテの次の日
 ヤノアサッテ:アサッテの次の次の日
 [その他の関東全域(多摩地方を含む)]
 ヤノアサッテ:アサッテの次の日
 シアサッテ:アサッテの次の次の日
そっくり逆になっているようです。現在(2009年)調べても同じ結果になるかどうかは分かりません。
同じ調査によると、岐阜県の稲葉郡というところでは、
アサッテ→シアサッテ→ゴヤサッテ
と言うのだそうです。ゴは「五」です。その次の日は「ロクアサッテ」。さらに言おうと思えば言えるらしい。
「シアサッテ」の「シ」は何を意味するのか不明のようです。もっとも「アサッテ」だって、語源ははっきりしません。「ヤノアサッテ」の「ヤノ」は「弥(ますます)」(「弥栄(イヤサカ)」などというときの)の意味だ、ということになっているようです。
「ヤノ」は「ますます」の意味なんだから、「ヤノアサッテ」は「アサッテのアサッテ(今日から数えて5日後)」を指す、という地方もあるんだとか。
        
        
        
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葛飾区立中央図書館
葛飾区立中央図書館というところに行ってきました。この10月17日にオープンしたばかりだそうです。金町駅のまん前のマンションの3階のフロア全部が開架式図書館で、400席を越す座席があります。蔵書の検索はパソコンの端末でおこない、館内地図を片手に自分で探す仕組みでした。開架式でない書庫もあるようで、そこの書物を閲覧したい場合は、係員に申し出ることになっています。L字型になった、おそろしく広いスペースですが、ワンフロアなので、移動は苦になりません。
葛飾区民と、近隣の区民(および隣の市である松戸市の市民)は、貸し出しのサービスが受けられます。それ以外の人は、館内での閲覧が自由だということでした。久しく、図書館に入館していなかったので、天井の高い、日差しが一杯の図書室の印象は鮮烈なものでした。この図書館のことは同僚のイトーさんが教えてくださいました。
インターネットで蔵書の検索をしていたら、葛飾区立図書館にあることがわかりました。探していたのは、「田村俊子選集」(全3巻)です。区内の図書館は12か所ほどもあるので、中央図書館にあるか否かは、ネットで調べただけではわからないのですが、おそらくここにあるだろうと、見当をつけておもむいたら、案の定、開架式の文学全集の棚にありました。探していた作品、「枸杞の実の誘惑」を収録した第2巻は、あいにく貸し出し中で見られませんでしたけれど。
前回書いた中野重治が、田村俊子(1884-1945)のこの作品に言及して、そこで提起された問題がまだ解決されていないではないか、と書き、何ヶ月か後の『展望』にその作品が掲載されたのを読んだことを思い出し、再読してみようと思ったのでした。
強姦されて身も心も傷ついた娘がいるのですが、親も兄弟も、「お前がスキを見せたのが悪い。キズモノになった娘を家に置いておくわけにはいかない」と、無体なことを言い出して、娘が自暴自棄に陥ってしまうのだったか。小説は、戦前に発表されたものですが、再掲された1960年代後半においても、問題の根本は解決されていない、という意味のことを中野重治は、強い口調で述べていました。
再読したい作品は、たいていの場合、古本屋で探してきたのですが、これからは、大きな図書館も探索場所になりそうです。
        
        
        
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