中野重治
一度は自分の本棚に収まった全集・選集で、古本屋さんに引き取ってもらったものがいくつもあります。「吉行淳之介全集」(講談社版のほう)、「有吉佐和子選集」、「鴎外全集」「南方熊楠全集」など。筑摩書房から出版された「中野重治全集」も、同じ運命をたどりました。「鴎外全集」「熊楠全集」は少し読んだだけで手放したのですが、他のは、ほぼ全部読んだはずです。
中野重治(しげはる:1902-79)は、雑誌『展望』(第2期、1964-78:筑摩書房)によく書いていたのを読んで、親しみを感じていました。『本とつきあう法』というエッセイ集が、やはり筑摩書房から出て、これに教えられていろいろな本を読んだ覚えがあります。ちくま文庫にも入りましたが、現在絶版のようです。ちくま文庫は、古い作家の作品を出し続ける奇特なライブラリーですが、自社の財産であるこんな文庫もなんとか残しておいてもらいたい。
中野の小説は、どの作品にも、彼自身がモデルであるらしい主人公が、さまざまな人生の苦労に遭遇しながら、呻吟し、苦闘し、克服し、という話が多く、男が生きてゆく(あえて言えばインテリとして生きてゆく)のは大変なんだなあ、としばしば思わされました。『歌のわかれ』『むらぎも』『甲乙丙丁』などが代表作と言えるものでしょう。
元来が詩人として文学的活動を始めた作家です。「雨の降る品川駅」という有名な詩を収める、『中野重治詩集』という本もあります。
散文の文体が独特のもので、正確に表現しようとするあまり、粘着質の性格がそのまま出てしまうようなところがありました。友だちに持ったら難儀しそうな人です。ずっと記憶に残っていて、このブログで引用しようと思って探していた文章がやっと見つかったので紹介しましょう。
彼【鴎外】は大きな人間、大きな学者、大きな詩人であった。敵は彼の前になぎたおされた。彼にはいわば欠けるところがなかった。たしかに彼には学者および詩人としての魂があった。けれども、他のすべてがなくてただ一つそれあるために人を学者・研究者に追いやってしまったところのもの、他のすべてがなくてただ一つそれあるために、あらゆる抵抗の甲斐なく人が泣く泣く詩人となるほかなかったところのもの、かかるものとしての学者の魂、詩人の魂はついに鴎外の魂でなかったのである。
もとは、『鴎外その側面』(昭和27年)に出ていたそうですが(引用は谷沢永一『日本人が遺してきた知られざる名文・名句』〈青春出版社〉から:一部表記変更)、私が最初に読んだのは『本とつきあう法』の一編だったように覚えています。存命の作家を槍玉にあげるときもこんな筆法でしたから、書かれたほうはたまらなかったでしょうね。
        
        
        
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定期購読
私が編集の仕事に就いたのは、1970年です。三島由紀夫が自決した年。大阪万博というのもありました。もちろん、インターネットは影も形もなかった。ケータイ電話もない。
今では、まずパソコンを起動させて、メールのチェック、ニュースの見出しをざっと見て、必要な記事に目を通すことから一日の仕事が始まりますが、当時は、テレビのニュース、新聞という順番でした。
編集というのは、大きく言えば森羅万象にかかわるテーマを取り扱うので、「好奇心」をエンジンにして、情報を広く浅く収集する必要があります。
手っとり早いのは、週刊誌でした。毎週読んでいた週刊誌は、『週刊朝日』『サンデー毎日』『朝日ジャーナル』『週刊ポスト』『週刊文春』『週刊新潮』などです。写真週刊誌が創刊されたのは少し後ですが、それも毎号見ていました。
月刊誌は、『文藝春秋』『世界』『諸君!』『中央公論』『噂の真相』『話の特集』など。文芸誌も、『オール読物』『小説新潮』『文学界』『海』『新潮』など。『群像』と『文藝』は、隣のセクションで取っていたのをときどき見せてもらっていました。
普通の書店は、雑誌や本を、「取次(とりつぎ)」という名前の卸売り店から、定価の 78% ほどで仕入れますが、出版社でも、それと同じ割引率で他社の本を買うことができます。ここに書きだした雑誌類を、すべてその方式で買ったわけではありません。週刊誌や『文藝春秋』などは、駅のキオスクで買う。
そんなにたくさん買って、全部読むのか、と聞かれたこともあります。読めるわけがない。そうではなくて、言ってみれば、めくるために買いました。めくるだけなら、1冊10分もかかりません。興味をひく記事や小説などだけを読むのです。
野坂昭如、山口瞳、半村良、向田邦子、山本夏彦、山本七平、中野翠、養老孟司、高山正之、などの連載は、待ち遠しいものでした。
定期購読のためにかかった費用は、一サラリーマンとしてはずいぶんな額のはずですが、社会勉強のための「学費」と割り切るほかありません。
今では、インターネットで、無料で大量の記事を読むことができます。英語を読む手間を惜しまなければ、世界中のニュースをほぼリアルタイムで追跡することさえできます。
左に列挙しているブックマークにはほぼ毎日アクセスしていますが、これらも皆、じつに面白い。最近の収穫は堀江貴文のブログです。時代の先端を読む目のつけどころが冴えわたっています。
        
        
        
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パリ・オペラ座のすべて
『パリ・オペラ座のすべて』というドキュメンタリー映画を見ました。監督はフレデリック・ワイズマンというアメリカ人。渋谷のル・シネマという映画館です。全国でも数えるほどしか公開されなかったようです。大阪・京都・名古屋など。
原題は、La danse: Le ballet de l'Opera de Paris というものです。『ダンス:パリ・オペラ座のバレエ』という意味でしょう。「オペラ座のすべて」という訳題は、明らかにミスリーディングです。だいいち、オペラがひとつも出てきません。オーケストラさえ、ほんのわずかに顔を出すだけです。
ひたすら、ダンス(バレエ)のレッスン風景が繰り返されます。出てくるダンサーは、オペラ座のエトワールたちですから、練習とは言え、圧倒的な踊りを見せてくれます。私は、誰も初めて見るダンサーたちですが、知っている人には、ため息の出るようなラインアップのようです。マチュー・ガニオ、バンジャマン・ペッシュなどの名前を、来春来日する公演のチラシで確かめましたが、この映画にも出ていました。
芸術監督のブリジット・ルフェーブルという人がしばしば登場して、コレオグラファーと議論したり、演出家らしい人と電話で話したりする、その様子を実写していきます。
ガルニエのオペラ座(本拠地。もう一つはバスティーユのオペラ座)の屋根上で養蜂が行なわれているのは有名な話ですが、ネットをかぶったおじさんが、ハチミツで一杯のパネルを階段の踊り場に運ぶシーンがいきなり出てきます。説明がないので、知らない人は、なんでこの場面があるのだろう、といぶかしく思うかもしれません。
衣装の縫い子さんや、髪を整える床屋さんや、顔のメークアップをする美容師や、食堂のコックさんなど、裏方の人々もたくさん出てきます。照明のコントロール・ルームも出てきました。劇場の経営側の偉い人が、四十歳で定年になるという、ダンサーたちの年金について方針を述べるシーンまでありました。
盛りだくさんの映像でしたが、全部で2時間半もかかるのは、いくらなんでも長すぎました。「くるみ割り人形」の練習シーンだけは、知った音楽(ピアノ伴奏)なので少しホッとします。「パキータ」という初めて見る・聞く作品が好ましいものでした。
少し前に『幸せはシャンソニア劇場から』という、ちょっとミュージカル風の映画を見たのですが(これはよくできていました)、そのときの予告編で、「オペラ座のすべて」が紹介されていたので、思い立って見物してきたのです。
        
        
        
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市営温水プール
私の住む千葉県柏市は、人口40万人弱、世帯数が14万強、の、中規模の都市です。5年ほど前に「南部クリーンセンター」という、ごみの焼却施設ができたのは知っていましたが、そこにプールが付設されているのを知ったのは、つい最近のことです。焼却炉の熱を利用して、1年じゅう泳げる6レーンの温水プールと、ひょうたん型の流れるプールがあります。余熱を利用して発電もしているのだそうで、その電気で施設内の電力をまかなっているのだとか。
最寄りの南柏駅そばにあるスポーツジムからも、高い塔のような建物が見えます。煙突かと思ったら、そうでもないようで、目印なのかもしれません。焼却は、建物の内部で完全におしまいまでやってしまうのだそうです。見学に訪れた、隣の我孫子市の関係者のレポートをネットで読みましたが、ずいぶんうらやましそうな筆致でした。希望すれば、中の見学ができるようなので、一度、見学してみようと思います。
プールのある建物は、クリーンセンターの敷地内にあって「リフレッシュプラザ」という名前で、他にも、多目的ホールや、会議室、和室の休憩室など、まことに立派な施設です。プールの使用料は、市民で高齢者の場合2時間400円。ジャグジーや露天もある、風呂に入る場合は別料金。プール施設内にも、シャワールームが備えてあるので、シャンプーや石鹸など一式持参で、プールだけ利用する市民もたくさん見かけます。
国の資金援助も30%ほど(建設費用、および運用費用)あるそうですが、こういう施設が利用できるようになったのは、喜ばしいことです。自宅から自転車で約10分の距離ですから、行き帰りも運動になるので、それもありがたい。今日は、200メートル泳いできました。
        
        
        
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泣ける映画
日垣隆さんの近著『折れそうな心の鍛え方』(幻冬舎新書)の中に、「泣ける映画ベスト30選」と副題の付いた章があって、「大人たちよ、映画を観てもっと泣こう」というのがメインタイトルです。
この本自体が、自力でウツの症状を克服するための「心の鍛え方」を説く内容で、ご当人が最近のウツ体験の時も、「毎日のようにDVDで映画を観て泣いたら、がんがんよくなりました」とも書いています。
選ばれた30本の映画のうち、私が見たことがあって、たしかに「大人が泣ける」と思える(要するに私が観て泣いたか、泣きそうになった)のは、次の作品でした。
「シンデレラマン」:ラッセル・クロウが、かつてのチャンピオン・ボクサーで、奥さんがレニー・ゼルウィガー。再起をかけてふたたびリングに上がり、勝つまでの物語。アメリカの大恐慌時代がよく描かれていました。元マネジャーを演じたポール・ジャマッティの演技も見もの。
「セント・オブ・ウーマン」:盲目の退役軍人にアル・パチーノ。ニューヨークの高級ホテル、ラ・ピエールのレストランで撮影されたという、若い娘と老兵のダンス・シーンが印象に残ります。
あとは、タイトルのみ並べます。
 「ショーシャンクの空に」
 「ライフ・イズ・ビューティフル」
 「レインマン」
 「グラン・トリノ」
もちろん日本映画も何本か上がっていますが、私はどれも観ていないものでした。
 「明日の記憶」
 「ALWAYS 三丁目の夕日」
など。面白いのは、トム・ハンクス主演の「ターミナル」が出ていることです。「言葉が通じない状況」という点ではたしかに涙をさそうのかもしれませんが、私は大笑いしながら観ましたね。
私もいずれ「泣ける映画15選」くらいのところを書いてみようと思います。
        
        
        
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