気まぐれベスト・テン ミステリ編
いまブライアン・フリーマントルの新作『トリプルクロス』(新潮文庫、上下)が山場を迎えるところです。あいかわらずテンポがよい。ロシアの警察官ディミトリー・ダニーロフが主人公の連作シリーズ。
翻訳で読んだミステリ小説でベスト・テンをやってみます。
①フリーマントル『消されかけた男』(新潮文庫):さえない風貌の英国情報部員チャーリー・マフィンが主人公のシリーズ。これがたしか第1弾。何度も襲いかかる危機を、アタマを使って乗り越えるところがワクワクします。シリーズの何作目かは東京が舞台になっていました。
②ジェフリー・アーチャー『ケインとアベル』(新潮文庫、上下):テレビドラマにもなった話題作。ポーランドだったか、東欧の国で悲惨な目にあうケイン(の方だった)の少年時代から話が始まる。アメリカに移民してのし上がっていきます。どこかで、アメリカ生まれのアベルと出あって、生涯のライヴァルになるのだったと思う。上巻の迫力が圧倒的だった。
③トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(新潮文庫):映画にもなったからご存じでしょうが、文字で読むと感銘が違います。
④ルシアン・ネイハム『シャドー 81』(新潮文庫):ネイハムという作家はこれ1作しかないみたいです。飛行機が2機出てきますが、奇想天外な展開をする。読みながらつのる恐怖感は、これは映像では無理ではないかと思わせます。
⑤マイ・シューヴァル、ペール・ヴァールー『笑う警官』(角川文庫):スウェーデンの夫婦作家(マイが奥さん)が書いた、警官マルティン・ベックを主人公とする、連作小説10作(だったと思う)の、第一に推すべき作品。ストックホルムを舞台に、現代社会に生じてしまう暗黒面を描く。ご夫妻とももう亡くなったのではないかしら。
⑥ケン・フォレット『針の眼』(ハヤカワ文庫):絶海の孤島で繰り広げられる死闘がつよく記憶に残っています。筋立ての波乱万丈、手に汗にぎらせる語り口。ミステリ入門としてもおすすめ。
⑦ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』(ハヤカワ文庫):ベルリンの壁がまだあったころの話。東から西へ脱出しようとして銃殺されるシーンから話が始まる。ソ連という国がなくなって、スパイ小説の書き手たちも苦労しているようです。
⑧A.J.クィネル『メッカを撃て』『スナップ・ショット』(集英社文庫)、『血の絆』(新潮文庫):クィネルという作家もラインアップから欠かせない。どれもスピード感あふれる小説です。
⑨ドナルド・スタンウッド『エヴァ・ライカーの記憶』(文春文庫):タイタニック沈没をテーマにした小説、映画は数がすごく多い。読んでおもしろかったのがこれ。ディカプリオが出た『タイタニック』は、この本にくらべれば子供だましみたいなものです。
⑩エラリー・クィーン『Yの悲劇』(創元推理文庫、他):古典の傑作。ほとほと舌を巻くトリックです。学生の頃、クィーンや、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーたちの文庫本を3,4人で夢中になって回し読みしたのを思い出しました。
⑪ジャック・ヒギンズ『鷲は舞い降りた』(ハヤカワ文庫):さっきこれを入れ忘れました。追加します。第2次大戦中の、ドイツ人中佐クルト・シュタイナ(この小説ではシュタイナーとしていない)が、イギリスで諜報活動をする話。完全版と称する長めの新訳が5年ほど前に出ました。面白いことは保証します。
文庫本は、ときどき絶版ということがあるので、新刊書として見つからないことがあるかも知れません。ネットで探せば今では大抵見つかるようです。
花の名前
お隣さんからトルコ桔梗をいただきました。濃い目のピンクと、薄いピンクの花が2種類。花瓶にさしてながめています。写真が間に合わないので、なしで続けます。
大ぶりで、桔梗の仲間の花だから、こういう名前なのでしょうね。外来種ということも分かります。花の名前はこういうふうに付けてもらいたい。カタカナ名前の花がむやみにふえて覚えきれるものではありません。おじさんはとくに。
インパチェンスという名前の草の花があります。夏から秋まで咲いているという。いろんな色があるようです。これ、英語の綴りでは impatiens となっています。もともとラテン語なのだそうで、「アフリカホウセンカ」が和名とのこと。
ラテン語読みでは「インパティエンス」とでもなるところ、「ティ」を「チ」と表記したために、「ティエ」が「チエ」に、さらに「チェ」で落ちついたものらしい。なまじ、ローマ字に目がいくものだから、英語読みなら「インペイシェンズ」だよなあ、と思っていました。英語の辞書ではそうなっています。「我慢しないこと」を意味する impatience の次に出てきますし、もとはおそらく同じ語だと思います。
むかしは、カーネーションのことを「オランダ石竹」と呼んでいた、と、どこかで聞いたことがあります。石竹(せきちく)というのはナデシコのことだそうです。
なんでも、「どこからきた、和種なら何」という命名にしてくれとは言わないけれど、いきなりカタカナ名前だけを覚えるのはホネです。きれいな花を見ると、やっぱり名前が知りたくなるものね。
ムスカリなんて、このあいだやっと花と名前が一致したんですから。
「四」の読み
窪薗晴夫先生に『日本語の音声』(岩波書店)という本があります。これは名著です。音声学にかんして疑問があるときに開くと大抵のことが書いてある。当たり前ですが。しかも例に出す語が、いちいちよく吟味してあるのでアタマにすっきり入ってきます。
この本の「はしがき」冒頭にこうあります。
1から10まで順番に数えるときと,逆に10から1へと数えるときとでは発音が変わってしまう部分がある.前者では4と7がそれぞれ「しー」「しち」となるのに対し,後者では同じ数字がそれぞれ「よん」「なな」と発音される.
なぜそうなるのかが本文にあるだろうと、ページを繰っても見つけられない。たまたま、言語学会で先生にお目にかかったので、どこを読めば理由が書いてあるでしょうか、とうかがったら、本文には出てこないのだそうです。
4を「し」とも「よん」とも読み分けるのは、平安時代に例があるのだ、とその場で教えてくださいました。「し」は「死」につながるので避けられる、いわゆる「忌み言葉」の類なのだそうです。「しち」は「いち」と聞き間違えないために、訓読みにするのだとも。
さて、「四」を「し」と読む例、「よ・よん」と読む例を、思いつくままあげてみます。
し:四散・四天王・四角・四大・四民・四六・四面・四半分・四捨五入・四海・四股・四通八達・四分五裂・四半期・四六時中・再三再四・三寒四温・四月・四肢・四則・四苦・四高・四書・四声・四の五の・四重奏・四部合奏・四分音符・四条河原・四庫全書・文房四宝・四分咲き・四分の一
よ・よん:四段活用・四次元・四年生・勲四等・単四電池・四輪駆動・四分の一
四分の一だけが、両方の読みがあるようです。いまは「よん」が優勢か。
なお、旧制高校の金沢の「四高」は、「しこう」と読まないと卒業生(といっても多くは鬼籍に入られているでしょうが)に叱られます。
フィラデルフィア
ポール・ニューマンが、この間、俳優引退を表明しましたね。彼の奥さんがジョアンヌ・ウッドワードという女優です。1953年に結婚して子どもが3人。出たり入ったりの多いハリウッド役者同士の結婚としては、かえって珍しい。そうみんなに言われて、ニューマンはこう答えたそうです。「うちに帰ればビフテキが食べられるのに、ハンバーガー屋に寄る男がいるだろうか?」
トム・ハンクスがエイズにかかって死んでいく弁護士に扮した映画『フィラデルフィア』で、この、ジョアンヌが素晴らしい存在感を示しました。トムの母親役です。死の前日に病院に見舞って「あしたも来るからね」と言いながら、もうお別れだ、ということが痛いほどわかっていて、しかし、悲しい表情を浮かべるわけではない。ゲイになった息子をすべて包容する、これぞアメリカの母だと感じ入りました。
最後の夜を過ごして、死を見取るのがアントニオ・バンデラスです。母は、この恋人に息子を託すのですね。エイズが死と隣り合わせの病気だとさわがれたころの映画でした。監督はジョナサン・デミ。
デンゼル・ワシントンが、トム・ハンクスの弁護士として登場しています。トムの自宅で打ち合わせをした後だったか、『アンドレア・シェニエ』というオペラのアリアのレコードを聴くシーンがありました。歌っているのがマリア・カラス。今でも絶賛される録音を使っていたと思います。
映画に使われたクラシック音楽についても、いろいろな本が出ているようです。もちろんミスマッチもある。この映画のマリア・カラスの歌は動かしがたい選曲というべきものでした。
タケノコ
みやげものとして漬物や野菜を売っている店に寄りました。いつもは水煮の缶詰・瓶詰で売っている、根曲がり竹のタケノコがポリエチレンの袋に入れてありました。子どものころタケノコと言えばこれのことでした。孟宗竹のタケノコは大人になってから食べたものです。
細いタケノコがいまシーズンのようで、皮つきのまま焼いたのも、このたびの旅行で食べました。シャキシャキした食感がたまらない。昔はよく味噌汁の具にしました。
ダイコンとキュウリの味噌漬け(300円)とタケノコ一袋(450円!)を、おみやげに買ってきました。タケノコはいくらなんでも高い。じつはバーコードがまだ付いていないのをレジにもっていったら、今朝摘んで、煮て、皮をむいて、袋詰めにしたらしい、おばあさんが傍にいて、450円と高らかに言ったのを、少しいぶかしげな顔をしながら、レジのお姉さんがその通りに請求したものです。
旅をするとこういうこともあるか。清水の舞台から飛び降りるつもりで(大げさに言ってみるだけ)お金を払いました。
そういえば、「ババヘラ」(ばあさんのスプーン)という、おそろしく散文的なタイトルのシャーベット売りたちが、秋田県にはたくさんいます。あっちでは100円だったのに、と言いながら、トミさんは、200円のシャーベットを食べていました。「味がちがうもの」とそこのばあさんは誇らしくのたまっていましたが。
せちがらいショーバイをしているなあ、わがふるさとの人々は、と思ったことでした。