パパ・パパゲーノ -119ページ目

鶴は千年、亀は万年

 日本語の数の位取りは、小学校でこう教わったはずです。便宜のため漢字で書きます。


  一 十 百 千 万 十万 百万 千万 一億 十億 百億


 億より大きい数はめったに出てこないので、ここまで覚えれば十分ですね。


 さて、数字を言葉で言う場合、必ずしも規則的になっていないようだ、ということに気がつきました。お金の場合だと、こうなります。


 1円(いちえん) 10円(じゅうえん) 

 100円(ひゃくえん) 1000円(せんえん)

 10,000円(いちまんえん) 100,000円(じゅうまんえん)

 1,000,000円(ひゃくまんえん) 10,000,000円(いっせんまんえん)

 100,000,000円(いちおくえん)


 1000台の数字を口で言う場合なら、


 1975年(せんきゅうひゃくななじゅうごねん) 1800円(せんはっぴゃくえん)

 1050人(せんごじゅうにん)


と言うはずです。人によってはまれに、


 1975年(いっせんきゅうひゃく…)  1050人(いっせんごじゅう…)


とするかもしれません。しかし、


  10年を「いちじゅうねん」と言う人はまずいない。


さらに、


 10,000年を、ただ「まんねん」で済ます人もいません。必ず、「いちまんねん」と言います。


 冒頭のを読む場合と読まない場合とがあって、そこに規則性のようなものが見えない、ということを言ってみたい。1000が境い目になっていて、それより多い場合には読むのかなあ、という程度です。


 「鶴は千年、亀は万年」を「鶴は千年、亀はいちまんねん」と言うのは、いかにも語呂が悪いので、こういう対句のときは、合わせるのでしょうね。


 

蝶々夫人

 プッチーニのオペラ『蝶々夫人』(Madama Butterfly, マダム・バタフライ)は、20世紀初頭の長崎が舞台になっています。アメリカ海軍士官のピンカートンと蝶々さんの悲恋物語だと思っていましたが、ちょっと違いました。


 没落士族の娘蝶々さんは、家が傾いて芸者になったのですね。周旋屋のゴローというのが、ピンカートンにこの芸者を世話することになります。蝶々さん15歳。当時の金で100円。安い買い物であった、と、私の持っているCDの解説には書いてありました。


 要するに、来日した外国人の例にもれず(無論ラフカディオ・ハーンのような例外もあります)、ピンカートン士官も「現地妻」を「調達」したのでした。キリスト教に改宗したり、祝言をあげたり、「結婚」の形式を整えてあります。主人がいったん帰国しているあいだに子どもも生まれる。男の子ですが、名前がなんと Dolore (Sorrow) 「悲しみ」というのです。


 帰りを待ちわびて歌うアリアが、あの「ある晴れた日に」です。あらすじを頭においてこのメロディーを聞くと、哀切きわまりない歌であることがよくわかります。


 ピンカートンはケイトというアメリカ人の妻を伴ってふたたび長崎に来たのですから、この恋が悲劇に終わるのは目に見えています。父にもらったという懐剣(でしょうね)が重要な小道具として使われる。


 私の聞いているCDは、カルロ・ベルゴンツィ(ピンカートン)とレナータ・テバルディ(バタフライ)、それに、女中のスズキに扮するのが、フィオレンツァ・コッソットの組み合わせ。1958年(初演からほぼ50年後)の録音。セラフィン指揮。デッカ盤。


 テバルディがかわいい声で "uno! due! tre!" と言ったりします。ソプラノ殺しと言われることもある、出ずっぱりのオペラですが、ベルゴンツィの美声とあいまって、悲惨な話ではあるものの美しさこの上ない声を聞かせます。

 

貴腐ワイン

 「貴腐ワイン」はご存じですか? 貴腐葡萄から造られるワイン。貴腐葡萄というのは、ワインにするブドウが完熟したところに、ある種のカビがつき、水分だけ蒸発して甘みだけが残ってできるブドウだそうです。見た目には、木になったまま干しぶどうができた状態です。


 工程は分かりませんが、こうして取れた葡萄でワインを造る。予想通り、ものすごく甘いワインになります。ふつうのワインを飲むのと勝手が違います。少しでいい。フランスの甘いリキュールに「コアントロー」というのがあったと思います。それより格段に甘いお酒でした。赤も白もあるようです。


 ライン川めぐりの客船が停泊する港(?)のひとつに、リューデスハイムという街があります。いつも観光客でいっぱいのところのようでした。白ワインがたくさんできるそうです。ゲーテが好んだワインもここの産だと、宣伝していました。


 おそらくたくさんのワイン・ケラー(酒蔵)があるのでしょうが、その一つに、日本人が経営しているところがありました。15年ほど前、そこで初めて貴腐ワイン(白)というものを飲みました。記念におみやげとして空輸してもらいました。びっくりするほど高いみやげになりましたけれど。


 ドイツ語では「トロッケン・ベーレ・アウスレーゼ」と言えば、このワインを指すのだそうです。

動的平衡

 『生物と無生物のあいだ』(講談社新書)はいまベストセラー・リストの上位に食い込んでいると思われます。「生命とは動的平衡にある流れである」というテーゼを、流麗な文章で語りつくした極上の教養書と呼ぶべきものです。著者の福岡伸一先生は青山学院大学の教授。分子生物学専攻。ここ、50年ほどの分子生物学の流れを、まことに手際よくまとめています。ご自身も、その流れの立派なプレーヤーのひとりなのですね。


 数年前に『もう牛を食べても安心か』(文春新書)という、まったく安心も油断もならない事態を「告発」した本も書いていらっしゃいます。その本にも、「動的平衡」ということが出てきます。ルドルフ・シェーンハイムという、ナチスを逃れて、アメリカに亡命した学者が、精密な実験にもとづいて最初にアイディアを出し、それまでの生命観を一変させた事情がくわしく述べられています。


 「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」


という、方丈記の冒頭が引用され、われわれの身体も、この表現にピッタリあてはまるのだと説明されます。分子のレベルで観察すると、アミノ酸(ペプチド)が、絶えず流れ込み、流れ出ているのだそうです。半年もたつと、全身がすっかり入れ替わっているのだという。


 そうすると、記憶とか、自分が自分であること(アイデンティティ)とか、は何が支えになっているのでしょうか。「記憶」について言えば、「海馬」がそれを担う、ということは聞いたことがあるでしょう。それはそうですが、記憶の容器が海馬というところにあって、そこから必要に応じて在庫を取り出して照合しているのではないらしい。私が中途半端に説明するよりも、福岡先生の本を読んでもらうほうが早い。まだ、50歳前の先生ですが、説得力抜群の書き手です。


 シェーンハイムは、ノーベル賞をもらってもなんの不思議もない学者なのに、1941年に40歳を少し過ぎて、ニューヨークの自宅で謎の自殺を遂げてしまったのだそうです。

命の水

 酒には弱いのに強い酒が好きです。


 アクア・ヴィットは北欧でできる芋の焼酎です。キリキリに冷やしたコップに入れて飲むことが多い。「命の水」という意味だそうです。


 ロシアの酒「ヴォトカ」も、多分、語源は「命の水」という意味のはずです。スタリチナヤとモスコフスカヤという銘柄のヴォトカが、ひところは安く飲むことができました。これも冷たいのがうまい。


  ビーフイーターというのは、イギリスのジンです。カクテルのベースになることが多い。オン・ザ・ロックでレモンをしぼって飲みました。ジンもおそらく焼酎の一種です。これからジンを飲んでみようというかたはぜひこれを。おじさんがスカートをはいているデザインのびんに入っています。


 沖縄の「どなん」というのも飲みました。60度も度数がある。強烈なお酒です。おいしいですけどね。


 中国の「竹葉」(ちくよう)というのも、度数の高い、うまい酒でした。


 いまは、もっぱら、麦からできた焼酎を飲んでいます。「いいちこ」「吉四六」など。