家の作りやうは
『徒然草』第五十五段にこうあります。
家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。
暑きころわろき住居は堪へがたき事なり。
京都の夏の暑さは今でもものすごいものですから、昔も大変だったのでしょうね。夏に住みやすい家を建てるべきだという主張です。
長いことマンション住まいでした。コンクリで固めてあるのですから、「夏向きに作った」家ではなかった。4階だったので、開け放しておくと風は通りましたけれど。いま住んでいる家を作るときには、とくに夏向き・冬向きは意識しませんでした。
今ではエアコンがゆきわたっていますから、風が通らない家でも、この暑さをしのぐのに不自由はないのかもしれません。でも、冷房の冷気は、涼しいというより、骨まで冷やしているようで私は好きになれません。電気代も馬鹿にならないし、電力不足にもなりそうだし。
というわけで、エアコンはあまりつけないで、窓を開けて、扇風機をまわして汗を吹き流そうとします。それでもまあ、暑い暑い。「今年一番の暑さ」と天気予報が毎日言っているような気がします。
ドイツは、冬の寒さがきびしいので、冬がしのぎやすいように家を造るのだと聞きました。兼好法師がドイツに生まれていたら、夏ならどんな所にも住むことができる、と言ったかもしれません。
筋子のおむすび
今まで食べたもののなかで一番うまかったものを思い出してみよう、と、一夕、アマノさんたちと話をしたことがありました。30年くらい前。
アマノさんは、東京・立川の近くの出身です。子どもの頃まだ養蚕が盛んで、桑畑がたくさんあったのだそうです。彼が一番おいしかった思い出として語ったのは、口いっぱいにほおばった桑の実のことでした。口のまわりが桑の実の汁で紫色になる。それを、持っていった青梅の実をかじって、それでこするときれいになるんだ、と言ってました。
私が思い出した、それまで食べたいちばんうまいものは、アマノさんと同じく子どものころに食べたものになりました。農林一号と呼ばれていた(はずの)桜桃(さくらんぼ)の味も捨てがたい。トシローくんちのアンズもおいしかった。シンジくんの家の裏になっていたのを食べさせてもらったスモモ(赤すもも)のうまかったことも忘れられない。ユースケの家でごちそうになったスイカもうまかったなあ。秋の、ぶどうも、洋梨も、マクワウリも、みんな味の記憶が鮮明です。くだものがたくさん採れるところで育ったのは幸せであったという他ありません。自分のうちにはなかったので、子どものころはみんな友達のところでごちそうになったのでした。感謝感謝。
夏の暑い日でしたが、山の池のほとりで、弁当にもっていった筋子のおむすびをかじったときの記憶が、輝く第一位でした。そのころの筋子は、いまと違ってずっとしょっぱかった。赤い汁が、おむすびの白いごはんのすき間にしみ出して、そこをほおばるときの旨さといったらなかった。
子どもですから、おなかがすいたら何を食べたってうまいはずです。30年前にもそうだったように、今でも(上にあげた記憶はじつは現在のものでもあります)、人の名前や、食べたときの光景と一緒にうまい食べ物を思い出しているのですね。
八月の鯨
ベティ・デイヴィス(1908-89)とリリアン・ギッシュ(1893-1993)が姉妹役になって出た映画『八月の鯨』は、日本では岩波ホールで(おそらく1988年に)公開されました。1987年の作品ですが、翌年には日本で見られたことになります。その年に私も見たはずです。20年も前のことになるのですねえ。
リビー(ベティ・デイヴィス、79歳)とサラ(リリアン・ギッシュ、90歳)の姉妹が毎年夏を過ごす別荘での夏の数日間の話だったと思います。映画制作時の二人の実年齢は上の通りですが、物語のなかの年齢はもう少し若い設定でした。驚くべし、リリアンが妹の役だということになっていました。そのことが、当時話題になりました。
ばあさんが二人で夏を過ごしているわけですが、姉のリビーは病気でもう目が見えません。そのこともあって、始終機嫌がよくないし、ことばにもトゲがあります。姉の世話をしているサラは、愛嬌のあるおばあさんです。近所に住む、ロシアの没落貴族が毎朝散歩の途中、別荘のそばを通ります。そのとき、サラが言ったセリフ。
What a beautiful morning it is! (なんて美しい朝なんでしょう!)
中学校の英語の授業で教わったまんまの感嘆文が、実際の場面で使われたのに感動したのをまざまざと覚えています。
別荘は島の高台にあって、若い頃は、八月にはそこから遠くの海を泳ぐ鯨が見えたのに、今では見ることがない。むかしからそこにきていた姉妹は、今年こそ見えるでしょうね、と思いながら遠くを見つめている。題名(The Whales of August)は、そういう含みなのだそうです。
往年のハリウッド・スターふたりが、老いを迎えて(実際ベティは2年後に亡くなる)、自然体で演技したように見える、静かな名画でした。今ではきっとDVDで見られるはずです。TVの映画チャンネルでもときどき見かけます。
書き出しの文章
文章家はみな書き出しの一文を工夫しているようです。有名なもの。
木曽路はすべて山の中である。(藤村『夜明け前』)
山椒魚は悲しんだ。(井伏鱒二『山椒魚』)
メロスは激怒した。(太宰治『走れメロス』)
国の守は狩を好んだ。(石川淳『紫苑物語』)
以上は、ほぼ似たような書き出しで、雄勁な表現をこころがけた結果でしょうか。太宰のものは、井伏を意識していたと思います。
珍しい例。
住まいのことでは私も一時難儀した。(永井龍男、エッセイの冒頭)
これは、戦後、家で苦労した人にはたちどころに何かが伝わる書き出しのようです。山口瞳がこの一文を激賞しました。おそらく、永井のこれをアタマにおいて、小林秀雄の追悼号に谷沢永一先生は、こう書きました。
小林秀雄には私も難儀した。
これも、小林秀雄と格闘したことのある人ならすぐ分かる。
外国文学(翻訳)の書き出しで印象的だったのはこれ。
幸福な家庭は互いに似通っているが、不幸な家庭はとりどりに不幸である。オブロンスキー家ではなにもかもがめちゃくちゃだった。(トルストイ『アンナ・カレーニナ』、おそらく米川正夫訳。記憶にたよっています。)
現代日本文学の中でもっとも有名な書き出しということなら、下の二つでしょうね。
国境の長いトンネルを抜けると雪国だつた。夜の底が白くなつた。(川端康成『雪国』)
我輩は猫である。名前はまだない。(漱石『我輩は猫である』)
しかし、書き出しの豪華絢爛は、なんと言っても古典文学です。教室で暗記させられるということもあるかも知れませんが、調子のよさはなんともいえない。忘れないように書き残しておきます。
月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。(『おくのほそ道』)
いづれの御時にか。女御・更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給ふありけり。(『源氏物語』)
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。(『平家物語』)
ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。(『方丈記』)
つれづれなるままに日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(『徒然草』)
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく。山ぎはすこし明りて 紫立ちたる雲の細くたなびきたる。(『枕草子』)
状況可能
「状況可能」という術語は柴田武先生の本で教わったと、前に書きました。秋田方言の、こんな例だった。
小学生の少女が事故にあって怪我をし、入院します。治療の甲斐あってもうすぐ退院できる、ということを報告した作文に、
院長先生が、あと3日たてば退院するにいいと言いました
とあったのを、柴田先生が見つけて、ご論文に取り上げたものでした。
「…できる状況になる」というのが、状況可能表現のカナメです。他の例をあげてみます。
◇見るにいい
「見るにいい映画」(見てもいい映画)―「18歳未満でも見るにいい映画」
「この映画、見るにいい」―「この映画は、(18歳未満でも)見るにいい」
否定形は「見らえね」(見られない)ですから、共通語と一緒です。
◇運転するにいい
「運転するにいい車」(例:故障が直って、もう動かせる)
「この車、明日だと運転するにいいよ」(例:故障が直ってくるから、あるいは、他の人が使わないから、など)
否定形は、「運転されね」(運転されない)です。これは、共通語だと「運転できない」になりそうです。さっきの「退院するにいい」も、否定形になると「退院されね」(退院されない)となります。「まだ治療が必要で、3日では退院できない」などと言いたいときにこう言います。
前に紹介した『秋田のことば』(無明舎)には、秋田方言のこの表現について他にもいろいろ例があがっています。県の南と北とで、ずいぶん違っているのが面白かった。