漫才
24時間テレビというのにたまたまチャンネルをまわしたら、島田紳助が転機について語っていました。大学へ進もうと思っていたときに、島田洋七の漫才を見て、笑いに対する感覚がおんなじ人がテレビに出ている、と感心して、大学へ行くのをやめて漫才の世界に飛び込んだのだそうです。
たしかに、当時B&Bと称していた、洋七・洋八のコンビの話は溌剌としておもしろかった。「もみじまんじゅう」というのがいちやく脚光を浴びたのもこの漫才師たちのおかげでしょうね。
後を追いかけた、伸助・竜助も、スピードがあって、あっという間に、先輩を追い越した感がありました。
むかし聞いた漫才に、若井はんじ・けんじという兄弟の漫才がありました。おそろしい早口の大阪弁でしゃべるやつ。ネタのひとつなのでしょうが、間違えたフリをして、けんじがはんじにチューをする。今までの聞いた上方漫才の中では、私のナンバーワンはこのコンビです。
横山やすし・西川きよしも、いいときは素晴らしかったけれど、少なくとも、私にとってはコンスタントにおもしろいというのではなかった。
東京の漫才では、なんと言っても、内海桂子・内海好江のテンポがよかったです。師匠と弟子なんですってね。惜しいことに好江師匠は亡くなりました。
若くて上手な芸人もたくさん出てきたようです。神保町花月という常打ちの劇場も東京にできました。【8月23日訂正:この劇場では漫才はかからないのだそうです。お芝居はやるみたい。早とちりしたようでお恥ずかしい。】生で見てみようと思っています。
不得手
今まで書いたのはみな自分の好きなもの、好きな分野のことでした。わざわざ嫌いなものを挙げることもないですから。
嫌いというより不得手といったほうがいいものなら、たくさんあることには気がついています。63にもなって気がついていなかったらバカですけどね。
不得手の筆頭は犬猫です。とくに猫。向こうも気配が分かるらしくて、近づくと威嚇するような構えになります。子猫のかわいいのならなんということはないのですが。
犬も私にとっては「友」でもなんでもない。よく吠えられますから、これもやはり、こちらの気配を向こうが察知しているのでしょう。テリトリーを誇示するために、そこらじゅうにオシッコしているのは、種の習性ですからしょうがないとは思うものの、ハシタナイことこの上ない。もっとも、これも子犬なら問題ない。
香水の匂い。ポマードの匂い。
匂いは排他的なものですから、自分の好きな匂い以外はダメという人は少なくないかと思います。
「笑点」という番組の大喜利。おもしろいと思ったことがほとんどありません。
歌を歌うときに、無意味にふるえる声を出す人の声。演歌の歌い手にときどきいます。
「清しこの夜」という歌の最後の旋律が、
ドソミ ソーミレド
と歌われるのがダメ。トリハダが立ってきます。
「こちら、枝豆のほうになります」
の「ほうになります」という文句。「枝豆おまちどおさま」と言ってもらったほうがずっと気分がよろしい。
いくらでも思いつくので、性格の悪さが(これ以上)ばれないようこのへんにしておきます。
ニックネーム
昨日、須賀敦子さんの旦那さんのペッピーノという名前はニックネームだろうと書きましたが、やっぱりそうのようです。本名はジュゼッペと言ったらしい。日本文学をイタリア語に紹介する仕事をおふたりでなさっていたようです。谷崎潤一郎『春琴抄』の共訳者としてジュゼッペ・リッカとなっています。
イタリア語はまるで分かりませんので、マルコとかマルチェロとかアレッサンドロとかいう男名前がどんな愛称になるのか見当もつきません。したがって、ジュゼッペがいつでもペッピーノになるかどうかも何とも言えません。
かの、大作曲家ヴェルディも、ファースト・ネームはジュゼッペですが、愛称で呼ばれそうな容貌ではありませんね。残された肖像を見るかぎり。
英語では略した名前が好まれるのでしょうか。いろいろあります。
ベス、ベティ、リズ、エライザなどはエリザベスの略称だと思います。
マット・デイモン、マット・ディロンなどのマットは元はマシューでしょう。
ブラピことブラッド・ピットのブラッドはおそらくブラドリーです。
ティム・ロビンスのティムはティモシーの略。
トム・クルーズのトムはトーマスから。
ボブはロバートの愛称。ロバート・デ・ニーロをマーティン・スコセッシが「ボブ!」を呼んだのを、アカデミー賞の授賞式の中継で聞いたことがあります。ボビーと言うこともありますね。
ジム、ジミーはジェイムズから。
ビルはウィリアムの略。マルクス兄弟のやったもので、何度も「ビル、ビル」と出てくるので、なんだろうと思っていたら、なんとウィリアム・シェイクスピアを指していたことがありました。
ジャックはジョンの愛称なんですって。知らなかった。ジョンは聖人ヨハネに由来する由緒ある名前なのでしょうが、略称にするまでもない簡潔な名前なのにおもしろいですね。ジャン・ジャック・ルソーなんて、同じ名前を繰り返していたのですね。
須賀敦子
素晴らしい書き手が現われました、と、トリゴエ先生が紹介してくださったのが、須賀敦子『ミラノ 霧の風景』という本です。1990年に白水社から出版されました。私が読んだのは91年か92年頃でしょう。
若いときパリに留学して、イタリアで長いこと暮らしてきたひとが、力むというところが微塵もない文章で、イタリアという風土と、そこで生活する(主として知的な職業の)人々の感じ方とを書いたものでした。
ペッピーノという(おそらくニックネームの)旦那さんが、時折控えめに登場していました。書いている時点ではもう亡くなっているのでした。少ししか出番はないのに、このイタリア人がどんなに愛情豊かで、作者を精神的に支えてきたかが分かるのでした。須賀さんも深く愛してらしたのですね。そのことも、控えめな表現ながらよく伝わってきました。
その後、一種のブームといってもいいくらい、須賀敦子本が出ました。あらかたは目を通したと思いますが、感銘の深さという点では、私の場合は第1作を越えることはなかった。
汽車に乗っていて、父上のことを思い出すシーンが、たしか別の本に出ていたと記憶しています。戦後すぐに外国留学するくらいですから、豊かなおうちだったと思う。父上との葛藤にも触れていたようでした。しかし、父上に対する尊敬と愛情とが、これもよく伝わってきました。
須賀敦子さんは、1929年のお生まれ。98年に亡くなりました。今では、「須賀敦子全集」(河出文庫)で、ほとんどの文章を読むことができます。『ミラノ 霧の風景』は第1巻に収められています。これを発表したときは、すでに60歳に手が届いていたのですね。
いちどだけ、原稿の内容について電話でお問い合わせしたことがあります。かわいい声でした。
おやこ鷹
「父も子もそろって有能」ということを示す言葉として「親子鷹」「父子鷹」があります。「父子鷹」は、勝小吉・海舟父子のことを書いた子母沢寛の作品名。映画にもなりました。
これからは、「母も子もそろって有能」という場合にも使われるでしょうね。
ただ有能であるばかりではなく、「同じ職業」も条件になります。
大関・貴ノ花と横綱・貴乃花父子などは、父子鷹と言えるかもしれません。ちょっと留保したくなるのは、力士としては、明らかに息子のほうが実績が上であることです。長男(横綱・若乃花)と比べてもそうなってしまう。日本で一番幸福な父親だったはずですけれどね。
飯田蛇笏(だこつ、1885-1962)と飯田龍太(1920-2007)父子は「おやこ鷹」でしょうね。ふたりがいなければ、昭和の俳句の歴史はずいぶんさびしいものになったはずですから。
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
草の露 連山影を正しうす (蛇笏)
一月の川一月の谷の中
かたつむり甲斐も信濃も雨の中 (龍太)
指揮者の、エーリッヒ・クライバーとカルロス・クライバー父子もいい勝負です。
ファンの数で言えば息子の圧勝というところです。残ったCDもたくさん売れたようですし。
でも、カルロスは父(の才能)に対して終生アタマが上がらなかった、と書いてある文章を読んだことがあります。
トンビとしては、はるか上空を舞う鷹たちを、あこがれながら見上げているわけであります。