動的平衡 | パパ・パパゲーノ

動的平衡

 『生物と無生物のあいだ』(講談社新書)はいまベストセラー・リストの上位に食い込んでいると思われます。「生命とは動的平衡にある流れである」というテーゼを、流麗な文章で語りつくした極上の教養書と呼ぶべきものです。著者の福岡伸一先生は青山学院大学の教授。分子生物学専攻。ここ、50年ほどの分子生物学の流れを、まことに手際よくまとめています。ご自身も、その流れの立派なプレーヤーのひとりなのですね。


 数年前に『もう牛を食べても安心か』(文春新書)という、まったく安心も油断もならない事態を「告発」した本も書いていらっしゃいます。その本にも、「動的平衡」ということが出てきます。ルドルフ・シェーンハイムという、ナチスを逃れて、アメリカに亡命した学者が、精密な実験にもとづいて最初にアイディアを出し、それまでの生命観を一変させた事情がくわしく述べられています。


 「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」


という、方丈記の冒頭が引用され、われわれの身体も、この表現にピッタリあてはまるのだと説明されます。分子のレベルで観察すると、アミノ酸(ペプチド)が、絶えず流れ込み、流れ出ているのだそうです。半年もたつと、全身がすっかり入れ替わっているのだという。


 そうすると、記憶とか、自分が自分であること(アイデンティティ)とか、は何が支えになっているのでしょうか。「記憶」について言えば、「海馬」がそれを担う、ということは聞いたことがあるでしょう。それはそうですが、記憶の容器が海馬というところにあって、そこから必要に応じて在庫を取り出して照合しているのではないらしい。私が中途半端に説明するよりも、福岡先生の本を読んでもらうほうが早い。まだ、50歳前の先生ですが、説得力抜群の書き手です。


 シェーンハイムは、ノーベル賞をもらってもなんの不思議もない学者なのに、1941年に40歳を少し過ぎて、ニューヨークの自宅で謎の自殺を遂げてしまったのだそうです。