パパ・パパゲーノ -112ページ目

家で食べる・外で食べる

 テレビで「全国うまいもの」のような紹介番組を連日やっていますね。大間のマグロはどこで食べられるか、とか、長浜ラーメンの名店はどこか、とか。


 家で作って食べたほうがおいしい料理と、ちゃんとした店で食べるしかない料理とがあります。後者の代表はテンプラですね。めったには食べないですけれど。それと、言うまでもなく寿司。


 これもめったに口にしないから、もはや、どっちでもよいようなものですが、ステーキというのも一流の店で食べてみたい。焼肉もうまい店が方々にたくさんあるようですね。


 東京・神保町で昼飯を食べ続けてきました。焼肉なら「京城園」。ここは、昼に食べる雑炊(カルビ・クッパ、コムタン)もうまい。夜の焼肉(牛タン、カルビ、等々)もすばらしい。いま、長い休業状態なのが残念です。【報告:再開しました。9月12日からだそうです。】


 タンタン麺が最近好きになって、いろいろな店で食べました。神保町界隈は中華料理の店が数え切れないほどあります。しかも、それぞれ個性があって甲乙つけがたいのです。タンタン麺に関しては、「上海朝市」という、中華ヴァイキングが売り物の店のそれが、私には一番合っています。「坦々麺」という漢字でよかったかしら。

 

 種類の豊富、値段の手ごろ、などを考慮すると、やはり家で食べるものが一番です。オクサンに愛想を言ってるのではありません。


 早い話、サンマの新鮮なのを焼いてすぐほうばるときの幸福感は、お店では味わえない。下ろしたばかりのダイコンオロシも好きなだけ食べられるし。

【追記】ついこのあいだ、家に帰ったら、サンマの刺身ができていました。オクサンが作ったものです。大船渡漁港にその日に上がったサンマが直送されてきたのです。この時期になると送ってくださる方がいます。いやあ、うまかった。 残ったのを焼いて食べました。タカハシさんに感謝。


 味噌汁も、自分で作って食べるのがうまい。冷凍の甘エビを解凍して刺身を食べたあとの、残ったアタマを放り込んで作った味噌汁とか。


 小学生の頃、学校全体でキノコとりにいって、そこで食べた味噌汁(サトイモも入る)はうまかったなあ。「芋煮会」と呼ばれるものですね。 

夢の中へ

 井上陽水に「夢の中へ」という歌があります。


 夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか ウフッフー


という歌詞でした。そう言われても、どこへ行ってみるのかしら、と思ったことでした。


 黒澤明監督に『夢』〔1990年)というオムニバス映画がありました。短編8本から成っていた。監督自身の夢からヒントを得て作ったもののようです。これこそ、「夢の中へ」行ってみた映像です。


 トンネルの中を、軍隊が行進するシーンのザックザックと響く靴音が印象的でした。もうひとつ、ひな祭りのひな壇が、そのまま小高い桃の山になっていて、ひな人形がきれいな着物を着て動くシーンも、つよく記憶に残っています。キツネが花嫁衣装を着た「きつねの嫁入り」のような映像もありましたかね。


 筒井康隆にも、夢を題材にした短編小説があったような気がします。


 私もよく夢を見ます。目覚めても覚えていることが多い。人に語ったり、映像にして残したくなったりするようなものではありません。


 夢の中でよく訪れる、温泉旅館があります。坂道を登って、その旅館の玄関前で、道が左に曲がるのまでいつも出てきます。2歳くらいの子どもの頃に、温泉町に住んだことがあるので、その頃の記憶が残ったかもしれません。実際に、そういう風景があったというのではありませんが。


 人には言わない、と言いながら、こうして書いています。コワイ夢にもパターンがありますが、思い出したくもないので、やめておきます。

アンナ・モッフォ

 アンナ・モッフォ(1932-2006)は、アメリカ生まれのソプラノ歌手です。享年74は、惜しいことでした。


 いつも見ている、ウィキペディアでは、「一番輝いていた1960年代、彼女は声の清らかさと素晴らしい肉体の美しさとで大いに賞賛された」と書かれています。


 ある人が貸してくれた「マダム・バタフライ」のテレビ映画を見ることができました。1956年にローマのテレビ局が撮影したものです。その映画によって、彼女はオペラ歌手の名声をゆるぎないものにしたようです。白黒画面ですが、たしかに、美貌の抜きんでていることは一目で知られます。24歳の、まぶしいほどの別嬪が、「清らかな声」で、15歳から18歳までの蝶々夫人を歌います。眼福という言葉が思わず浮かびましたね。


 ところで、このオペラは、長崎が舞台ですから、日本風の部屋や日本人役が大勢出てきます。「日本」という漢字が大きな花瓶に書かれているのに、文字が上下ひっくり返っていたり、登場人物が、なんだか、中国人風の仕草をしたりもします。


 びっくりしたのは、婦人方が全員和服を左前に着ていることでした。当時の、日本に対する認識がその程度だった、ということでしょうが、せっかくの名唱・名場面が、ずいぶん色あせてみえたました。貴重な映像を見せてもらったことには感謝しているのですけれど。

こむらがえり

 今年の夏は、どいうわけか、明け方ふくらはぎ痙攣がしばしば起きて難儀しました。左足がつって、飛び起きて痛みをじっと我慢し、やっと収まったころ、右足のふくらはぎが痛くなる。ときには、右足の裏がつっぱってしまうこともありました。ごくたまに、胸がつったり、手の先がつったりします。


 通院しているマッサージの先生に相談したら、ミネラルが不足しているかもしれないので、スポーツ・ドリンクを飲むように勧められました。ただし、あのドリンクを生で飲むと濃すぎるので、水で薄めるようにと言われました。「ダカラ」を買って、毎日飲んでいましたが、やや、頻度が減ったか、という程度で、こむらがえりが起きることは起きるのです。


 ネットで調べても、原因はよく分からないということです。


 防止対策として、「歩くこと」「水分補給」「バランスのよい食事」などをあげてある、おそらく医者のサイトも見ましたが、やってるもんなあ、というサジェスチョンでした。


 レッグ・ウォーマーで、足の冷えを避けるとよい、と書いてあるのもありました。それも、やってみました。かすかに効き目があったような気がします。


 アルコールを分解するために、水分がそっちに取られ、結果として水分不足になったかもしれません。しかし、たまたまシラフで寝た夜も何日かありましたが、それでも痙攣がやってきたこともあります。


 涼しくなったら、頻度がぐっと少なくなりました。このまま、行ってくれるといいのですが。


 どなたか、予防法をご存じでしたら教えてください。




闘うフィガロ

 鈴木康司先生の作品『闘うフィガロ』(大修館書店)は、『フィガロの結婚』『セヴィリアの理髪師』という戯曲を書いた、ボーマルシェの伝記です。両作品とも、オペラの名曲になったことで、歴史に残りました。


 ボーマルシェは1732年生まれ、1799年没。18世紀を走り抜けた鬼才だったということを、『闘うフィガロ』は活写します。貧しい家から身を起こし、美貌と才覚とで、社交界に進出し、のしあがっていく姿は、スタンダールの『赤と黒』の主人公ジュリアン・ソレルを彷彿させます。


 アメリカの独立戦争を裏から援助したりもした、とあります。政治的な野心も旺盛な人物だったようです。


 ヨーロッパは18世紀が面白いと、前から聞いていましたが、こういう人の生き方を見るにつけ、たしかにそうだと思わせられます。モーツァルトも、ゲーテも生きた時代でした。