パパ・パパゲーノ -111ページ目

チキチータ

 アバ(ABBA、商標?としては左のBが鏡文字になっている)という、スウェーデンのグループのレコードは、それが大流行した80年代はじめに買って持っています。Aが頭文字の女たち(アグネッタ、アンニ)と、Bが頭文字の男たち(ビヨルン、ベニー)のバンドですね。作詞・作曲は全部この2Bによるもののようです。


 代表作「ダンシング・クィーン」は、ダンス・ミュージックとしてもディスコなどでかかったのではないでしょうか。耳に残っている曲は、ほかに「フェルナンド」「ヴレヴー」「ノウイング・ミー、ノウイング・ユー」「マンマ ミーア」「マネーマネーマネー」などなど。バラード風のしんみりしたメロデイーで始まり、サビのところでいきなり早いテンポのダンス・ナンバー風になるものが多い。


 この間、ニューヨークで見たミュージカル「マンマ ミーア!」は、このアバの曲をつないでつくられていたので、劇場中のひとびとの体が音楽にあわせてゆれているような気がしました。私も、ほとんどみんな聞いたことのあるものだったので、自然に横に揺れることになりました。


 最近、このグループの活動を収めたDVDをおそろしく安い値段で手に入れました。インタビューに各メンバーが答えながら、その誕生から現在(と言っても80年代後半か?)までを、映像で見せたものでした。


 女声ヴォーカルの二人がとびきり歌がうまいのは、レコードでよく知っていましたから、あらためてため息がでましたが、歌いながら見せる動きは案外ギコチないのですね。いまのアメリカでなら通用しない(アメリカン・アイドルにはなれない)ような動きでした。


 アバの曲の中では「チキチータ」が一番好きです。この曲に限って、レコードの印税を、将来にわたって全部ユネスコに寄付したはずです。


 Chiquitita, tell me what's wrong

You're enchained by your own sorrow

In your eyes there is no hope for tomorrow


と、悲しくはじまるのですが、最後はやさしく励ましの声をかけることになります。


一緒に買ってきた ABBA GOLD というヒット作を集めたCDに、上にあげた曲が全部入っています。


セヴィリアの理髪師

 ロッシーニの『セヴィリアの理髪師』も、堂々たる傑作ですね。私が言うまでもないけれど。聞いているのは、レヴァイン指揮、EMIのCDです。ロジーナをビヴァリー・シルズが歌っています。男の歌手たちもみんな上手です。


 このCDの表紙の写真が、どこにでもある床屋の椅子です。理髪師というのは「床屋」でよかったはず、というのはいつかもこの日記に書きました。


 このオペラは、ボーマルシェが3部作として書いた劇が元になっています。3部作の最初。次が『フィガロの結婚』です。3番目がオペラになっているか否かは知りません。


 アルマヴィーヴァ伯爵、フィガロ、バルトロ、バジーリオ、と、『フィガロ』に出てくるキャラクターが皆出てきます。ロジーナはこの後、伯爵夫人になるわけです。


 最初に、『セヴィリアの理髪師』を作曲したのが、ジョヴァンニ・パイジエッロ(1740-1816)という作曲家。1782年。モーツァルトが『フィガロ』を作曲したのが1786年。順番になっています。


 ロッシーニは、モーツァルトが35歳で死んだ(1791年)次の年に生まれました。そして、パイジエッロが亡くなった年(1816年)に、『理髪師』を作曲したのだそうです。この時24歳。道理で、全編、若さの横溢したような鮮烈な音楽です。重唱曲がことのほか美しい。


 舞台を見ずに音楽だけを聞いているので、だれとだれが登場する場面なのか分からなくなります。それでも耳は十分楽しんでいます。

 

日付

 むかし聞いたおハナシにこんなのがあります。


お空の宿屋に、ある日、太陽と月と星とが泊りました。朝になって、目覚めた星が、相客の太陽も月も姿が見えないのをいぶかって、宿屋のあるじにたずねます。「お日様もお月様も、とっくにおたちでございます。」それを聞いて、星がこう言ったという。「ああ、月日のたつのは早いものだなあ。」


 語呂合わせでできた他愛もない話ですが、時間の過ぎる早さを感じるたびに、思い出してしまいます。Yさんが教えてくれたのですが、彼は、池田弥三郎先生にうかがった、と言っていたように記憶しています。江戸の商家(池田先生が生まれたのは銀座の天麩羅屋でした)に伝わった話ということだったかも知れません。


 新式の腕時計を持っています。2,3日腕にはめずに寝かせておくと、針が進まない式の時計。内蔵コンピュータが時をきざんでいるらしい。あらためて動かすと、グルグル針がまわりだす。これを見ると、「時の経つのは早いなあ」と感心します。ヘンな感じではありますが。


 仕事に必要なメモというのは、紙の上でも、パソコン画面でも、それこそ限りなくありました。パソコンは、たいてい書き込みの日付が入りますが、後で見直した日付も入ったりするので、じつは、元の日付が特定できなかったりします。やり方をよく知らないせいでもありますが。


 紙のメモ(ワープロのプリントアウト、紙片、大学ノート、手帳のうしろのほう、など)には、必ず、最初にそれを書いた日付を入れることにしていました。ついこの間書いたよなあ、と思って、見直すともう1年前だったりします。日付書き込みを続けていると、大げさに言えば、時間の累積を感じることができます。

 

沈香も焚かず

 「沈香も焚かず屁もひらず」という慣用句があります。「よくも悪くもなく平凡に暮らすこと」を言いますね。目だった活躍をするでもなく、さればと言って、こっそり悪事をたくらむでもない、というような人物を評するときに使われます。


 「沈香」は普通は「じんこう」と読みます。沈丁花を「じんちょうげ」と読むときのように。しかし、沈丁花を「ちんちょうげ」と読む人もいるし、そう読んでも間違いとはいえないようです。同じように、「沈香」も「ちんこう」と読んでもよいようです。


 「沈香」は、お香(こう)のひとつだそうです。沈丁花の仲間の木の樹脂からできる。よい香りが立つといいます。「伽羅」とも呼ばれる。香りをかいだことはありません。それを屁のような、ありふれた現象と対句にしたところがこの慣用句の面白さでしょう。最初はどこでできたものか、調べはつきません。


 「沈」を「チン」と読むのは漢音で、「ジン」と読むのは呉音のようです。


 漢音と呉音をおさらいしておきます。


 中国から漢字を輸入した時代によって、音が少しずつ違っていました。もちろん時代が違っても読みが変わらない字も多かった。


 初めに来た(6世紀)のが呉音、あとから(7世紀)来たのが漢音。「呉音を学んではいけない」とお触れが出たりして、呉音は、主に仏教語に残ったのだそうです。多くの漢字は、ですから、漢音で読まれることが多い。


 その後、平安時代以降に入ってきた中国語の音をまとめて「唐音」と呼ぶ。


 以上、『新漢和辞典』という辞書の解説で勉強しました。


 呉音・漢音・唐音が現代にも生きている例を、大東文化大学のサイトで見つけたので引用します。


 呉音: 東(とうきょう)  修(しゅぎょう)  頭脳(のう)

 漢音: 城(けいじょう)  進(しんこう)   頭部(とうぶ)

 唐音: 南(なんきん)   宮(あんぐう)   饅(まんじゅう

序曲

 ヨハン・シュトラウスの喜歌劇『こうもり』のDVDを見ました。ウィーン国立歌劇場のライヴです。歌手達が気持よさそうに歌っています。初めて聞くオペラだと思っていたら、序曲が鳴り出したら、これは中学生の頃から聞いたメロディーでした。


 ロッシーニの『セヴィリアの理髪師』の序曲も、昔から繰り返し聞いている曲でした。


 LPレコードの前に、SPレコードというものもあって、子どものころ、手回しの蓄音機(!)で聞いていました。ついでながら、この手回し蓄音機のコレクションが、角館の武家屋敷・青柳家の博物館にありましたね。


 オペラの序曲というのは、そのサイズの演奏時間に合っていたのでしょう。ラジオでも何度か聞いているはずです。


 『フィガロの結婚』も、『ペールギュント【訂正:これは組曲でした】も、そうやって序曲には親しんでいたのでした。


 マスカーニ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲、ビゼーの『真珠採り』の中の一曲、など、気がつけば、耳に親しんだオペラの曲はいっぱいありました。


 『カルメン』の、これも間奏曲だったかのフルートの曲は、自分で何度も演奏したことがあるくらいです。


 今では、全曲を心おきなく聴くことができるようになって、いい時代になったよなあ、という感慨がしばしば訪れます。いま日曜日の午後です。何を聞こうかな。