パパゲーノ
このブログのタイトルが「パパ・パパゲーノ」になっているのは、言うまでもなく、モーツァルトのオペラ『魔笛』の鳥刺しの役名からです。女房になるパパゲーナとの早口の二重唱が、「パ・パ・パ・パ」と始まり、「パパパパパパ」となるのを短くして「パパ」をかぶせました。お父さんの意味もありますが。
このオペラは、映画『アマデウス』をごらんになった方は記憶していらっしゃるでしょうが、大衆演劇風オペラの座長シカネーダーという歌手が注文したのでした。初演でパパゲーノを演じたのもシカネーダーなのだそうです。
主人公というべきカップルは、タミーノ(テノール)とパミーナ(ソプラノ)ですが、そしてこの二人がからむシーンで素敵な歌がたくさん出てきますが、オペラ自体の面白さ、深さを示しているのは、パミーナの母、「夜の女王」(ソプラノ)と、その仇敵たる神殿の主、ザラストロ(バス)の存在です。そうして、物語の進行役のような役割を果たすパパゲーノ(バリトン)というわけです。
話の筋は省略しますが、まともに追いかけても混乱してしまう、なんというか、荒唐無稽な筋立てです。それなのに、流れる音楽の美しいことは、モーツァルトのほかの作品同様、筆舌に尽くしがたいものがあります。
フィッシャー・ディースカウが若い頃パパゲーノを歌ったCDも聞いたことがあります。
最後はどうしてもこの名前になってしまいますが、グルベローヴァの夜の女王こそ、見もの聞きものです。アーノンクール指揮のCDを聞いています。サヴァリッシュ指揮、バイエルン歌劇場ライブのDVDも見ています。
前方後円墳
仁徳天皇陵は大阪・堺市にあるのですね。学生時代にいちど遠くから見たことがあったような記憶があります。日本史の教科書に「前方後円墳」として出てきました。全長約486m、高さ約35m、総面積約46.5haもある、ものすごく大きなお墓です。
このくらいの土地をもつ人はいくらでもいそうです。もしその人が、自分のお墓を前方後円墳に造ってくれと、お金と一緒に遺言を残した場合、そういうお墓を造ることは可能だろうか、という疑問が生じました。
たまたま、NHKテレビで、墓石と、その値段を放送していたのを見ていて、そんな馬鹿なことを考えたのです。
墓石というのは、高いものは目の玉が飛び出るほど高い。生きている頃の権勢を石の値段で誇ってやろうとする人は後を絶たないようですし、そこに付け入って(だと思いたい)、うまいショーバイをする商人もなくなりそうもない様子です。
死者をおそれる気持は、「恐れ」にしても「畏れ」にしても、人間ができてからずっとつながっていますから、墓を大事にすること自体に否やはないのですが、そんなに高価なものである必要もないか、と、あっても買えないけれど思ってみたりしています。甕棺(かめかん)というのに入るのも悪くないし、などと、ちょっと先走り(のはず)ですが、バチあたりを口走ってみました。
がんもどき
病気のがんについて、「がんもどき」もある、と書いたのは、近藤誠医師でした。慶應義塾大学医学部の先生です。もうすぐ60歳になるというお年ですが、いまだに肩書きは講師のままです。その事情を書いた本もあったようですが、読んではいません。
『患者よ、がんと闘うな』(文春文庫)で「がんもどき」ということばに初めて出会ったような記憶があります。食べるほうの「がんもどき」が、雁の肉に似た味がするけれど実は似て非なるものであるのと同様、「癌もどき」も、癌に似ているが癌ではないもの、のように理解してしまっていました。違うんですね。
近藤先生の最近作『がん治療総決算』(文春文庫)によると、がんもどきと呼んでいるのは、
(がんのうちで、)臓器転移がないか、成長速度がゆっくりであるために人を殺すことができないもの
のことでした。人を殺してしまうほうを「本物のがん」と呼んでいます。がんは、どうやって人を死にいたらしめるか、これについても、この本でよく分かりました。しこりを作る「固形がん」による直接死因は、
食道がん:食道が詰まって飢餓
肺がん:呼吸機能が低下して呼吸不全
大腸がん:腸閉塞になって飢餓、など
(同書45ページ)
とあります。がん自体が毒を出して殺すのではないのですね。なんとなく、それ自体がマガマガしいもののように思っていたのですが。
この本では、がんだと分かったときにどうすればいいかが、丁寧に書いてあります。読むとだいぶ気が楽になります。
がん検診でがんだと言われたとしても、症状もないのにあわてて手術を受けたりするな、というのは、『それでもがん検診うけますか』(文春文庫)に、たしか書いてありました。
博弈なるものあらずや
この前の土曜日、駅前のパチンコ屋にふらっと入って、「うる星やつら」という台の並んだところへ、あてずっぽうに座りました。1000円を左上の隙間に差し込んで、手もとの「貸玉」のボタンを押すと、ジャラジャラ玉が落ちてきます。はじいているうちにどんどん玉が少なくなっていきました。
手もとのパチンコ玉がなくなって、やっぱりダメかと、帰りかけたのですが、妙にチカチカ光っています。おお、まだ500円分の玉が残っていたのを、はじき出しました。一番底の、跳ねブタみたいのが、しばらく開いたままになった。さあ、興奮を極力抑えながら、はじき続けること30分たらずだったでしょうか。
長細い舟形の入れ物に、玉を落として貯め、ひとつが一杯になり、二つ目、三つ目が一杯になったあたりで、初心者のオビエが走りました。ここらでやめとかないと、みんなまた吸い取られてしまうのではないだろうか。
根は小心でケチですから、そこでさらに攻めるのをやめて、計量機に持っていきました。帰りは、大漁旗を自転車に掲げようかと思ったくらいでした。2年に1回あるかないかの僥倖です。と言っても、1年にパチンコ屋に入るのは、多くても7、8回というところです。
『論語』に、「飽食終日、心を用うるところなきは難いかな。博弈なるものあらずや。これをなすは、なお已むにまされり」というのがあるそうです。「たらふく食うだけで頭も気も使わないのはだめだ。バクチというものがあるではないか。それのほうが、何もしないよりましだ」というほどの意味のようです。
この「博弈」(ばくえき・はくえき)は、いわゆるバクチ(賭け事)ではなくて、碁・将棋のたぐいであると、注釈書を見たら書いてありました。なあに、賭け碁・賭け将棋というのは、ごく普通に行われていることです。孔子さまのころだってやっていたに違いないのです。
たまに勝ったもんだから、ちょっと威勢よくゴタクを並べてみました。
月の客
昨夜の月は「仲秋の名月」というものでした。幸い、このあたりでは夕方くっきり晴れたので、月の光がひときわあざやかでした。駅から家まで満月をお供にして歩いて帰りました。
「花は盛りに 月は隈なきをのみ見るものかは」と言われても、まんまるお月さまを見るのはいい気持です。ちょっと雲がかかったりすると風情が増しますね。
月の名句は、江戸時代に多いような気がします。と言っても、近・現代の句をそんなに知っているというのではありませんが。以下、思い出すままに。
名月や 池をめぐりて 夜もすがら (芭蕉)
名月を とってくれろと 泣く子かな (一茶)
岩鼻や ここにもひとり 月の客 (去来)
月天心 貧しき町を 通りけり (蕪村)
下の和歌のようなものは、一度聞いて耳に残ったものですが、作者不詳のようですね。
月々に月みる月は多けれど 月みる月はこの月の月
ネットを覗くと、どれが moon で、どれが month だろう、と質問するひとがいて、それに答を書く人がいます。