キノコ
「キノコとり」をしたことはありますか? キノコ狩りともいうのかな。中学生くらいまでは田舎の山でキノコとりをしました。キノコの季節はハツタケ(初茸)から始まるのでした。
ぼくらが取ることのできたのは、アミタケ、アワタケの類です。商品価値は高くない。ではあるけれど、十分にキノコの味がします。舌ざわりもキノコそのものでした。
学校の裏山で、うまく行くと、味噌汁の具にできるほどの量を収穫することができました。やったことのある人は分かるでしょうが、最初のひとつを見つけるまでがタイヘンです。そこが、初夏のタケノコ掘りと違うところです。このタケノコは、孟宗竹のそれではなく、「根曲がり竹」のタケノコです。誰かの所有物件ではないので、山に行くと掘ることができました。
キノコがひとつ見つかると、近くにある仲間が、こっちだよと呼びかけてくるように見つかって、興奮しましたねえ。
後年、10月末に越後湯沢で、深い谷を登り、相当高くまで行ったところの倒木の陰に天然のナメコをひと株見つけたときも興奮しました。このときは、残念ながらそれひとつだけで、あたりにはなんにもなかった。他の種類も何一つ収穫ができずに泣く泣く山を降りました。宿のご主人が気の毒がって、土間に並べてあったキノコを恵んでくれました。
いつぞや、鈴木孝夫先生の研究室(慶応大学)を訪ねたら、壁に、たくさんの種類のキノコの写真が載ったポスターが貼ってありました。キャプションはロシア語です。どこの国へ行っても、キノコがあればまず口に入れてみるのだ、とびっくりするようなことをおっしゃった。好きだ、ということが知られているので、いろいろな国の人からキノコ関連のものが送られてくる、ということでした。
奥羽山脈では、今頃からキノコの盛りでしょうね。
小島美子
【11月18日付記:コメント欄にあるように、とんでもない誤解をしていたようです。ご迷惑をおかけした方には心からお詫び申し上げます。先生から頂戴した学恩には変りありません。】
小島美子(こじま・とみこ)先生は、日本の民族音楽研究の牽引車ともいうべき方です。美子と書いて「とみこ」とお読みする珍しいお名前です。
テレビの民謡選手権のような番組で、審査員をしておられたこともあるので、白髪で丸顔の先生を覚えている方もいらっしゃるでしょう。
この先生のお書きになった本は、少ししか読んだことがありません。私が若い頃、編集にたずさわっていた雑誌に書いていただいた論文で、感銘を受けたものがあります。
沖縄に「カチャーシー」という手踊りがあります。両手を肩よりちょっとあげて、手のひらを返したり、腕を左右に動かすあの踊りです。私自身は、何の踊りであれ、まったくダメです。新宿の、広い板の間のある沖縄料理店によく行く先輩がいて、何度も連れていかれました。酒がまわってくる頃、さあ踊ろうとその先輩が声をかけ、他のお客さんも混じってカチャーシー大会になったものです。
沖縄出身の人は、女はもちろん、男でも、じつに見事に踊るのですが、わが先輩の踊りは、なんというか、盆踊りふうになってしまって、感じが違うのですね。
小島先生の解説によると、沖縄を含む南島(ポリネシアにまで至る)の踊りの、動きの基本は、船に乗って、重心の安定を取るように振りをつける、というものでした。膝の微妙な動きがあるかないかで、踊りの質が変わってしまうのが、この説明でよくわかったように思いました。
土の上での踊りと水に浮かんだ状態での踊りの違いを教えていただいたのです。今でもそのことに感謝しています。
プロポーション
ピンボケのヴィーナスですが、私のデジカメで撮影したもの。トリミングも下手ですねえ。
下の絵は、コピーです。ラファエッロの傑作『聖母子と幼児聖ヨハネ』。この絵もルーブル美術館にありました。
イブニング姿の西洋婦人がどうしてあんなに格好よく見えるのでしょうか、というのが今日のテーマです。慣れないことを書くので、ときどき舌がもつれるかもしれません。
たとえば、『椿姫』の冒頭、ヴィオレッタがイブニング・ドレスを着ています。パーティの主催者ですから正装をしている。これを、ルーマニア生まれのソプラノ歌手、アンジェラ・ゲオルギウが演じるDVDを見ると本当に息を呑みます。歌唱力よりも美貌でスターになったと、やっかみからワルクチを言う人があるくらいです。
胸の露出も多いので、おじさんの視線はそこに行くことが多い。みんな立派な容量を持っているように見えます。
そこで、ここに掲出した彫刻と名画の出番です。お二方とも特にたわわというのではない例として登場してもらった。不謹慎ですみません。
サイズで言えば、西洋婦人をしのぐ女性は東方にもたくさんいるように見受けます。
洋服は、洋人に合うよう、そのプロポーションに合わせて発達してきたのですね。足が長い・短いだけの問題ではなさそうだいうことに、ようやく気がついた、という報告です。
いつぞや書いた、アンナ・モッフォの蝶々夫人の左前の和服が、なんともだらしがなく見えたのも、左前だからだけではなくて、身体の寸法と着物とのバランスが悪かったからのようです。
見れる・出れる
長崎出身のナガタさんと話していたら、彼が「見れる」と言ったのに耳がとまりました。聞いたら、標準語を話すときは、「見れる」になるとのこと。長崎方言では「見らるっ」と、最後の音を呑むように言うそうです。いわゆるグロッタル・ストップです。もとは「見らるる」でしょうね。ちゃんと、「見られる」というカタチを保っています。
東北方言では、だいたい「見れる・出れる」ではないでしょうか。私も子どもの頃からそう言っています。「見られ〔え〕る・見られ〔え〕ね」(見られる・見られない)というペアもあることはありましたが。
この「ら抜き言葉」についての解説では、『続弾! 問題な日本語』(大修館書店)の、北原保雄先生がお書きになったものが、丁寧で分かりやすい。
「切る・切れる」がOKなら、「着る・着れる」もいいではないか、「練る・練れる」に対する「寝る・寝れる」も。私の方言では、五段活用も、下一段活用も、区別なく、かつ問題なく、「~れる」が言えます。「信じれる」はOKの人が半分以上、どうかなと言う人が3割くらいでしょうか。
小室哲哉が作った歌の中に出てきた「信じれない」という表現を聞いた時は、さすがに驚きました。これは、秋田の方言話者でもダメと言う人が多いのではないかなあ。
もっとも、これらの「ら抜き言葉」、いま、パソコンで入力すると苦もなく変換されましたから(信じれる?)、もはや、問題にすることはないのかもしれません。書き言葉でこれがあると、私の年代ではまだ抵抗がある人のほうが多いと思われます。
カーテン・コール
10月2日の『ドン・ジョヴァンニ』の演奏会でちょっと珍しい光景を見ました。
フィナーレが終わって、拍手万来の中、主役・脇役が、と言っても、10人くらいが入れ代わり立ち代わり、お辞儀をしたり、投げキスをしたりしている間に、オーケストラ・ボックスが空っぽになってしまいました。ひととおり歌手への拍手が済んだところで、幕がするする上がって、舞台奥に、指揮者であるバレンボイムを真ん中に、オーケストラのおそらく全メンバーが、並んで立っていました。ひときわ大きな拍手が起きました。
同じ舞台を見た S さんは、何度も劇場でオペラを見たけれど、こんなのは初めてだとおっしゃってました。
バレンボイムがお茶目なのか、演出家の意図なのか――ドン・ジョヴァンニが食事をするシーンで、レポレッロがなぜだかタオルを指揮者に放り投げます。それに応えて、指揮棒をワイングラスにもち換えて、乾杯の合図を返していました。客席を一挙に舞台と一体化させる巧妙な仕掛けに見えました。
オーケストラが、最後の音を出し終えると、拍手に続いて歌手たちのカーテン・コールに移るわけですが、DVDで何度も見ますし、舞台でもそうですが、主な役の何人かが並んで、お辞儀をして袖に引っ込む順番は、主役のソプラノから順に女声陣が先ですね。例外がない。胸を張って、背筋をピンと伸ばして舞台下手(しもて)にさがる姿をみていると、「レディ・ファースト」というのはこのことか、と納得させられます。