音が跳ぶ
久しぶりに『コジ・ファン・トゥッテ』のCDをかけました。ベーム指揮の、おそらく2度目の録音CD。ヘルマン・プライとペーター・シュライヤー、グンドゥラ・ヤノヴィッツとブリギッテ・ファスベンダー、の組み合わせ。もったいないほどの耳の悦楽です。
そのはずでした。ところが、第5曲あたりで、音楽が跳んでしまって、行ったり来たりします。気持ち悪いことこの上ない。昔、レコード・プレーヤーの針がピョンピョン跳ねることが、ときたまありましたが、あれと同じ現象が起きてしまいました。
少し前、『バラの騎士』(カラヤン、シュワルツコプフ)でも、同じことが起きました。
今年の夏は、おそろしく暑い日が続いて、CDプレーヤーも熱をもってしまい、なんというか、金属が膨張したせいでしょうか、他の時にはなんでもないCDが、やはり跳んでしまうことがありました。
その、後遺症なのですかね。CDに生じた不具合を直してくれるCD屋さんがあるということを、Aさんが教えてくれました。入院させたほうがいいかなあ。
プレーヤーは、ケンウッドの製品です。性能は、この40年余りのステレオ歴(学生のときも、ステレオだけはアルバイトしたお金で持っていました。大きいやつ)で、文句なしのナンバー1です。小さいのに音はいいし、扱いも楽だし。スピーカーなんて18センチ×30センチしかない(もちろんペア)のに、ヴェルディの『レクイエム』のフォルティッシモの大音声にビクともしません。
立派なお寺に備え付けてあるスピーカーが、BOSE(ボーズ )社製だったりするのが面白い、という話はまた別の機会に。
テレホンカード
東京都内の公衆電話がどんどん少なくなっていますね。前は、テレホンカードを、パーティーなどの引き出物にしました。かさばらないので貰うほうはありがたかった。いまや、ケータイ全盛ですから、もらっても使うところがないし、景品として出すところもめったに見かけなくなりました。
国際電話がかけられる公衆電話ボックスは、というか、ボックスは大抵国際電話対応のようですが、それは、前より多くなったかもしれません。その目的でカードを使うことはまずありませんが。
ヨーロッパの公衆電話から、自宅に何度か電話をかけました。ヴェネツィアからも、ウィーンからも。アムステルダムでもカードを買ったと思います。すべて、日本のテレホンカードと同じやり方でした。差し込んで順番に番号ボタンを押して、通話が終わると残金が表示される仕組みです。
ところが、アメリカの(この間のニューヨークの)テレホンカードは、仕掛けが違いました。しかも、ブロードウェイのみやげ物屋で買ったのと、国連ビルの売店で買ったのとが、使える電話機・会社が違っていて、大難儀しましたね。
すでに記憶はアイマイですが、カードのウラに銀箔が引いてあるところをコインでこする(日本の宝くじにそういうのがあるようです)と、そのカードの暗証番号が出てくる。電話の向こうから聞こえる英語の指示に従って、番号を何度も押して、首尾よくつながればよし、ダメだと最初からやり直しでした。
2度目にカードを差し込むと、あと残額がいくらある、とアナウンスがあるのだったと思います。コンピュータを発明した国にしては、不便なことだと思いました。
10年ほどまえカリフォルニアからクレジット・カードで電話をかけたこともありますから、アメリカ国内の公衆電話でもおそらく可能なのでしょうが、やり方はわからなかった。
かわいそうなミミ
木原光知子(昔は美知子)さんの訃報に接して、おもわず「かわいそうなミミ」というフレーズが頭に浮かびました。ミミは木原さんのニックネームだったそうです。もちろん、私がその名前で呼んだなどということはありません。
『ラ・ボエーム』のヒロインの名前がミミで、肺を病んでなくなったのと、オリンピック・スイマーがクモ膜下出血でなくなったのが、かさなってしまったのです。
東京オリンピックの日本代表でした。美人で、泳ぎが上手で、前途は洋々としていたはずでした。
日大に進んで、水泳部に所属したのではなかったか。どこかの雑誌のインタビューだったと思うけれど、こう発言したのをよく覚えています。
練習のために1日に1万メートル(もっと長かったかもしれません)泳ぐのは苦痛でもなんでもない。せっかく一生懸命泳いだのに、ゴールで待っていてくれる男がいないのがつらい。
痛切な響きがありました。結局、独身を貫いたのではないでしょうか。ほがらかな笑顔が素敵な人でしたね。
自然の中の自然
岩田一男著『英語に強くなる本』(カッパブックス、1961)は、ベストセラーになった本です。トイレの前で「入ってますか」と、当時は呼びかけたりしたものですが、それを英語で何と言うか。そんなことは言わなくてもいい、とんとんドアをたたけばすむことだ、と書いてあったことを覚えています。
トイレに行きたいときは、なんと言うか。これも、「失礼」(エクスキューズ・ミー)と言えばいいと、書いてあったような気がします。もし、気のきいた表現がしたかったら、
Nature calls me. (自然が呼んでいる)
と言うそうです。今でも覚えているから、よっぽど、印象が深かったものらしい。
新刊の『授乳時のケータイで子どもは壊れる』(ベスト新書)の中で、著者の正司昌子先生が、排泄という、ヒトの、自然そのものの行為について書いていらっしゃいます。サラサラおむつが気持がよくて、赤ちゃんがおむつをはずすタイミングが遅くなっているのだそうです。ミルクを一気飲みみたいにする赤ちゃんを、親が喜んで放っておくと、赤ん坊の「運動不足」が生じる、とか、最近の子どもたちをめぐる状況に、さまざま警告を発している面白い本でした。
戦時中は「産めよ殖やせよ」のスローガンで(もちろん、たしか子ども手当てのようなものもあって)、近所に子沢山の家はそれこそたくさんありました。私の伯母は、9人の子持ちでしたし。
戦後、「少なく産んで、大事に育てよう」ということになったのではないでしょうかね。「少子化」は、暗黙の国是だと思っていましたが、年金の元が足りなくなりそうになって、それが、再度問題になったのでしょうか。
箸を持ち歩く人
ひところ「マイ箸」というのがブームになって、割り箸を使わない人が増えたりしたことがあります。30年以上前、労働組合関係の泊りがけの討論集会だったと思うけれど、琵琶湖の近くのホテルで行なわれたのに参加したことがありました。
そのときに初めて、「マイ箸」の実践者という人を見ました。森林が消えると、酸素の供給が少なくなり、地球の環境が悪化の一途をたどることになる、だから、ひとりからできる環境保護という触れ込みで、まずは、ワリバシを使うことをやめよう、というキャンペーンがはられました。それに乗った人々は少なくなかった。
ワリバシは、じつは間伐材から作られるので、むしろ有効な廃物利用である、というようなことが言われ、いつの間にか、マイ箸持参の人というのを見かけなくなってしまいました。
ところが、昨日の昼食を食べた「スヰートポーヅ」という餃子専門の店で相席になった40代くらいのサラリーマンが、やおら、黒い、おそらく漆塗りの箸をポケットから取り出して、「箸いらない」と、お盆に載っていたワリバシを返しました。久しぶりに見たので記録しておきます。
なお、この店(神田すずらん通り)の餃子は、おすすめです。手ぶらで入っても大丈夫。小さな店ですが、大いにはやっているので、昼時は、店の前に並ばないと入れないことがあります。