自分ストーリー1〜10話
パン講師クリスチャンの平野宏子です。
9歳で両親の離婚、10歳で神様との出会いがあったのにもかかわらず自ら離れてしまった人生は、決して順調とは言えないものでした。
夫との出会い、三人の子供たちにも恵まれて、再び神様と再会してからの人生大逆転!!
私の『自分ストーリー』を通して、読んでくださる皆様も神様と出会ってほしい・・・。
祈りを込めて💓
こんにちは。
昨日は日曜日。うちの教会では、3週にわたってイースター礼拝が行われています。
イースターってディズニーランドやユニバーサルスタジオなどでもイベントしてるから、普通に耳にするようになりましたよね
でも、実は意味まではよくわかってない人が多いんじゃないかなぁ・・・と思うので、今日はよかったら聞いてもらえますか
クリスマスはキリストの誕生を祝う日だけど、イースターはキリストの復活を祝う日です。
キリストは、今から約2000年前に、十字架に付けられて無残な死をとげられました
しかし、これは無理矢理殺されたわけではないのです。確かに人間たちが罪をきせて死刑にさせたわけなんですけど、全てが神様のご計画だったんです。
だから、イエス様は父なる神のご計画に従ったのです。
キリスト誕生の400年前に、このことがすでに預言されていました
[イザヤ書 53:1-10]
私たちが聞いたことを、だれが信じたか。
主の御腕はだれに現れたか。
彼は主の前に、ひこばえのように生え出た。
砂漠の地から出た根のように。
彼には見るべき姿も輝きもなく、
私たちが慕うような見栄えもない。
彼は蔑まれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で、病を知っていた。
人が顔を背けるほど蔑まれ、
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに、彼は私たちの病を負い、
私たちの痛みを担った。
それなのに、私たちは思った。
神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。
しかし、彼は私たちの背きのために刺され、
私たちの咎のために砕かれたのだ。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、
その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。
私たちはみな、羊のようにさまよい、
それぞれ自分勝手な道に向かって行った。
しかし、主は私たちすべての者の咎を
彼に負わせた。
彼は痛めつけられ、苦しんだ。
だが、口を開かない。
主のみこころであった。
彼が自分のいのちを
代償のささげ物とするなら、
末長く子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
私たちの罪は、本来私たち自身が罰せられるものですが、私たちは自分では償いきれない罪を毎日のようにおかしているのです。
自分勝手な私たちの罪を、罪のない神様が自ら苦しみを受けて身代わりとなってくださったのが十字架の意味なのです。
それなのに、私たちは感謝することもなく、上にあるように、羊のようにさまよい自分勝手な道を歩んでいるというわけです
キリストは神様ですから、十字架を避けることももちろんできたのですが、私たちを愛しているが故に父なる神のご計画に従順に従ったのです。
この、神に従順に従う姿勢が私たち人間には必要なんです。
キリストは、十字架の死から三日後によみがえられました。それが、キリストが神である証となったわけです。人間だったら生き返ることはありませんから。
イースター(復活祭)は、そのことを世界中でお祝いする日なんです。
今年は4月9日がイースターです。
今日は、うちの教会から、一人の青年が伝道師となるべく神学校の入学式を軽井沢で迎えました。
おめでとうございます
主の導きに感謝します。