自分ストーリー1〜10話
パン講師クリスチャンの平野宏子です。
9歳で両親の離婚、10歳で神様との出会いがあったのにもかかわらず自ら離れてしまった人生は、決して順調とは言えないものでした。
夫との出会い、三人の子供たちにも恵まれて、再び神様と再会してからの人生大逆転!!
私の『自分ストーリー』を通して、読んでくださる皆様も神様と出会ってほしい・・・。
祈りを込めて💓
こんにちは。
今日は私の子育てについて振り返ってみようと思います
私はピアノが弾きたかった
私は子供の頃、物凄くピアノを習いたくて、3年生くらいから父にピアノを買ってほしいとずっと言い続けていました。
しかし、当時電子ピアノってあったのかわからないけど、普通のピアノは高価だからなかなか買ってもらえなかったです
小さい頃から歌うことが大好きな子供でした。
4年生5年生では卒業式や入学式の演奏で選抜され、5年生6年生の鼓笛パレードでも選抜テストで合格しました。
音楽の成績も高学年からずっと5でした。
音楽って、いくら得意でも何の楽器も弾けませんでは説得力もないものです。
ようやく父を説得してピアノを買ってもらえたのは中学二年生でした。
それでも嬉しくて高校二年生までは習いましたけど、音大を受験するには遅すぎましたね
子供たちのピアノとスイミング
自分の子供にはそんな思いをさせたくなかったし、どうしたらこの子達の得意なことを見つけて伸ばせるかといつも思っていました。
そこで思ったのはやっぱりピアノ
私のように手遅れにならないようにと、三人とも幼稚園児から始めました。
これ、もう20年使ってる電子ピアノです。
でも、そんなに自分から練習するわけでもなく、長男と次男は高学年で辞めましたね
楽譜が読めるだけでも少しは役に立ったと思うけど。
三男は中学に行っても続けたいと言ってたんですけど、サッカーのクラブチームに所属してて週7日練習してましたから、ピアノを続けるのは無理でしょうと言って辞めさせました。
でも、このピアノが今頃役に立ってて、彼は教会の日曜学校で子供たちの賛美にピアノを弾いています。
ピアノを習わせてくれて感謝してると言われた時には、泣きそうなほど嬉しかったです
あと、長男と次男は小学生までスイミングに通わせました。学校だけでは泳げるようにならないと思ったからです。ほんとうは、学校でしっかりやってほしいですよね。
わざわざお金かけて習わせないとならないのはどうなんだろうと思います。
塾もそうなんですけどね
三男のサッカー
三男は小学2年からサッカーを始めました
正直、最初は考え直してほしくて、部活は毎朝早く学校に行って朝練があるんだよ~とか、土日も試合があるから休みなしだよ💦って諦めるように仕向けてました
どうしたって親も関わることになりますからね。
でも、元々早起きの三男には何の意味もありませんでしたよ
学校の部活は3年生から。
ポジションはキーパー。
小学5年生で船橋トレセン(船橋市の選抜チーム)に合格しました。
部活とトレセンと、更にはキーパースクールにも通うことになり、私も送迎で忙しくなりました
子供がやりたいということはやらせるし、やりたくないことは無理矢理はやらせない。
そんな方針でした。
ただ、親として提案だけはしていましたね。
子供は視野が狭いので、将来のことなど考えようがないんです。
私自身が、もっと知識を与えてくれる親だったら・・って思っていたから。
勉強はできないよりはできた方が将来困らない。
なので、長男は小学生から通信講座を始めました。
続く・・・
昨日の礼拝の聖書箇所から。
人間は高ぶりやすい性質があります。
この世のものはすべて主の恵みによって与えられているのだと聖書は教えています。
健康であることも神の恵みだし、仕事が与えられていること、その成果を得ていること、つまりお金も神様の恵みなんです。
なのに、私たちは自分が一生懸命に働いて得たお金なのだから、全て自分の好きに使うのは当たり前だと考えていますし、例えば仕事で月商1000万得たとしたら自分が何だか凄い人間のように思って人前で誇ってしまったり・・・。
[ガラテヤ人への手紙 6:3,4]
だれかが、何者でもないのに、自分を何者かであるように思うなら、自分自身を欺いているのです。
それぞれ自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、自分にだけは誇ることができても、ほかの人には誇ることができなくなるでしょう。
自尊は大切だけれども、人には誇らず謙遜であるようにと神様は教えておられます。
前回の記事で、50万円が戻らなかったと書きましたね その50万円は、元々私の物ではなくて、神の恵みによって与えられてたお金なわけです。
だから、私が悔しがる必要はなくて、神様がまた必要を与えてくださると信じることができたのです。