自分ストーリー1〜10話
こんばんは。
パン講師クリスチャンの平野宏子です。
いよいよ今日は私のバプテスマ式について書きますね 自分ストーリー61話になります。
教会に通い始めたのが5月頃、
その年の2007年12月25日のクリスマスでした。
バプテスマというのは、結婚式と同じくらい、クリスチャンにとっては・・というよりも人間にとっては人生の大イベントなんです
そのことを知らない人が多いので、是非このブログで知っていただきたいです。
今後の生き方を(もちろん死んだ後も)、神の子として自分をささげて歩んでいくことを表明する儀式です。
ささげるっていうと自分の人生ではなくなるって感じがするかもしれませんけど、その逆なんですよ
過酷な人生や人の言葉に左右されずに、神に守られて自由な人生を歩むことができるんです。
自分にとって最善の生き方や選択が示されるので、失敗がなくて成功しかないんです。
少なくとも私はそう
だから、皆さんにも神が与えている人間の本来の生き方を知って欲しいです。
じゃあ、クリスチャンはみんな喜びだけで生きれているかというとそんなことはないでしょうね。
それは、一言でいうと、信仰次第だと思います。
バプテスマってどういうことをするかというと、水に沈められます
それだけ聞くと恐っですね
バプテスマは、イエス様もされたんですよ。
バプテスマのヨハネからね。
バプテスマは、古い自分から、神に罪を赦していただいた新しい自分になるという意味を表す儀式です。
実は私、三澤牧師からバプテスマに向けての学びを受けてたんですけど、頭まで水に浸かることは聞いてなかったんですよね
先生からしたら当たり前のことなんでしょうけど、クリスチャンになりたての私は知らなかったんです。
ハンカチを持ってきて口に当ててくださいとは言われたけど、息を止めててくださいとは言われてなかった
うちの教会の礼拝堂は、壇上の床がバプテスマプールになっていて、そこに膝立ちして先生が寝かせるように支えて顔まで潜ったところで一瞬で起き上がらせるのです。
イメージわきますか
まだ古い会堂だった頃。
証しを読んでいるところです。
これは沈められる前ですね。
私は息を止めずに普通に呼吸してたから、当たり前に水を飲むよね
バプテスマの前に死ぬーーーーーー
といっても一瞬で先生が起こしてくれるから死なないけどね
この日から私は船橋バプテスト教会に所属し、教会の一員としてご奉仕をしながら教会生活を送っています。
続く・・・
今日のみことば
イエス様は神ですから、バプテスマを受ける必要はないんですけど、イエス様は私たちと同じ人となり、同じように歩んでくださったのです。
[マタイの福音書 3:13,14,15,16,17]
そのころ、イエスはガリラヤからヨルダン川のヨハネのもとに来られた。彼からバプテスマを受けるためであった。
しかし、ヨハネはそうさせまいとして言った。「私こそ、あなたからバプテスマを受ける必要があるのに、あなたが私のところにおいでになったのですか。」
しかし、イエスは答えられた。「今はそうさせてほしい。このようにして正しいことをすべて実現することが、わたしたちにはふさわしいのです。」そこでヨハネは言われたとおりにした。
イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると見よ、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分の上に降って来られるのをご覧になった。
そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」